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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

大乗本生心地観経報恩品(全品書き下し)

2021-08-28 | 諸経

大乗本生心地観経報恩品(全品書き下し)

1、大乗本生心地観経の全体のエッセンス。
経題について、「本生」というのは「本不生」とか「不生不滅」ということ。「心地観」とは「大地がすべてを生ずることように心も全てを生じていると観ずる」ということ(「大乗本生心地観経通解・本多日生」等)。仏書解説大辞典では「本経は般若・維摩・法華・華厳・涅槃を根本常識としてその上に唯心論唯識説とを以て三界唯心唯識の説を立て、実践門としては弥勒信仰に立ち、瑜伽・梵網等の大乗戒を護るべしと教え、真実経等に説く三密の修行を勧めたものである。・・本経の説かんとする最後の問題は・・唯心的唯識的世界観を説き、実際問題としては出家主義と戒律信仰であろう」とあります。

全体は八巻十三品。印度より渡唐の般若三蔵訳とされる。(しかし大正二年石山寺で発見された「大乗本生心地観経」断簡には唐の憲宗皇帝の御製序があり「罽賓国沙門 般若宣梵文 醴泉寺日本国沙門霊仙筆受并譯語・・」と銘記があり 、 日本の霊仙三蔵の業績でもあることが確証されています(「霊仙三蔵・渡辺三男」による)。また日本へ伝えたのは「霊仙が渤海国の僧貞素に托して謝恩のために天長二年 ( 八二五)頃、朝廷に献上されたと推定されている(「空海にみる忠と 孝・松長有慶」)。

2、構成
 巻第一・序品一。
王舎城耆闍崛山で釈尊は多くの比丘・菩薩・八部衆等に囲まれていた。宝蓮華師子座に坐した釈尊は胸間から大光明を発し、これを見た師子吼菩薩は、光中に顕示された深意を讃え、心地観門を説かるべし、と勧める。

巻第二・ 報恩品二の上 
 王舎城の長者五百人が、大乗出家主義は父母の恩をないがしろにするもので報恩の道に外れるものだ、と言う。そこで釈尊は彼等をたしなめ、恩には父母恩・衆生恩・国王恩・三宝恩の四恩が平等にある、と説く。
巻第三 ・報恩品二の下
 その時、王舎城の東北の小国・増長福の智光長者が、親不孝息子を連れて聞法に来たり、釈尊は再び四恩を説く。また三聚戒を説き懺悔をすすめ、事理二観
(仏や浄土の具体的な姿を対象とする事観と真理を直接対象とする理観)を教える。また報恩に真実の十波羅蜜行を勧める。
巻第四 ・厭捨品第三
 智光長者は、感激し三宝に帰依するとを誓った。しかしなお、愚かな出家者より在家の菩薩が勝れているのではないか、と疑問を呈した。釈尊はこれに答えて、出家主義を説いた。

巻第五 ・無垢性品四
 そこで智光長者は出家の心がまえについて尋ねた。釈尊はこれに答え、自分がどのような因縁で出家できたか観想し、衣服臥具飲食湯薬の四事に執着せず、十二頭陀行を修せよと教える。

 巻第五・阿蘭若品五
 その時、常精進菩薩の問いに答えて佛は、修行者が阿蘭若行(森林にすむ行)により速やかに成仏できると説く。
巻第六 ・離世間品六
 楽遠離行菩薩も仏の威力を受けて、「様々な執着から逃れるためには阿蘭若で修行せよ」と説く。
 巻第六 ・厭身品七
釈尊は弥勒菩薩の問いに答えて三十七種不浄観を説く。
巻第七・波羅蜜多品八
 弥勒菩薩が阿蘭若で修行する意味を問うたのに対し九品中の上根の三品の菩薩は阿蘭若に住するからであると説かれた。
 巻第七・功徳荘厳品九
 仏は弥勒菩薩に阿蘭若では煩悩の根源が自心であると観ずるように教える。また自分の入滅五百年後、仏法が滅びようとした時、多くの衆生が阿蘭若で無上道を修め、天上へ転生して弥勒菩薩にまみえ、来世に大宝龍華菩提樹下で解脱するであろうと授記された。

巻第八 ・観心品十
 文殊菩薩が「心」・「地」の理を尋ねたのに対し釈尊は三界唯心、心法不可得を説く。最後に陀羅尼と金剛縛印を説く。
 巻第八 ・発菩提心品十一
 また文殊菩薩は、三世が空性ならどのように菩薩心を発すれば良いか尋ねたので、釈尊は空は有病を破せんがためのものであり、空病に執着すべからずとする。空の薬を服して邪見を除いたところに発菩提心ありとする。月輪観・陀羅尼・印相を示す。
  巻第八 ・成仏品十二
 また釈尊は月輪観の次は三大秘密法も観ずべきとして具体的に心・語・身の秘法を教える。
 巻第八 ・嘱累品十三
 最後に釈尊はこの大乗心地観経を文殊菩薩等に付嘱。またこの経の一四句偈なりとも信じ説く功徳甚大なりとする。


3、古来この経の眼目は「報恩品」に説く、父母・衆生・国王・三宝の四恩説と四恩に対する報恩行にあるとされてきました。
・大師の「梵網経を講釈する表白」には「・・風に聞く、情なき橋梓(きょうし・橋板)なほ父子の礼あり。智なき烏獺(うたつ・カラスや獺)もまた報恩の孝を懐く。いかに況や天地の尤霊なる、気を含める最貴、誰か父母の恩を忘れ、師僧の徳を忘れんや。経(心地観経)の中に、仏恩処あることを説くに、それに四種あり、父母・国王・衆生・三宝なり。父母は我を生じ、我を哺する功、厚地に過ぎたり。国王は我を安んじ、我を貴くする徳、高天にも逾こへたり。衆生は三世の達親(すべての親)みなこれ孝妣(こうひ・亡父と亡母)なり。三宝とは仏法僧なり。佛はよく我が生盲を開いて険夷(険阻と平坦)を導き示す。法はよく我に甘露をそそいで熱悩を除去す。僧宝の中に二種あり。菩薩・聖僧、四摂(布施・愛語・利行・同時)をもて我が迷を引き、四量(慈・悲・喜・捨)もて我が酔を醒ます。現前師僧の徳は四恩の中に尤も高く尤深。いかんとなれば父母の恩はただ一生の肉身を養う。国王の恩は一世の凡体を安んず。三宝は法界に遍すといえどもすべて見聞することなし。四恩の所在を知り、三宝の帰すべきをさとって現前の安楽を得、後世の菩提を証すゆえんはみなこれ現前師僧の功なり。この故に臂を断ちて不生の観を仰ぎ、身を投じて寂滅の偈を渇ふ。良まことにゆえあり。・・」とあり、
・また大師の「佛経を講演して四恩の徳を報ずる表
白」には「・・・それこの身は虚空より化生するにも非ず、大地より変現するにも非ず。必ず四恩の徳に資けられてこの五陰の体を保つ。いわゆる四恩とは一つには父母、二つには国王、三つには衆生、四つには三宝なり。
我を生じ我を育するは父母の恩、天よりも高く地よりも厚し。身を粉にし命を損ずともいずれの劫にか報ずることを得む。父母我を生ずといふと雖も、もし国王なくば弱強相戦い、貴賤劫奪して身命保ちがたく、財宝何ぞ守らむ。万生の室宅を安んじ、四海の康哉(やすらか)を与ふ、その官邑を封じ、その爵禄を授く、現世の顕栄を為し、後葉の美声を流す、国王の力ただよく然らしむ。
衆生我に於いて何の恩徳かある。吾はこれこのかた四生六道の中に父たり子たり。いずれの生をか受けざえらむ。いずれの趣にか生ぜざる。もし恵眼をもってこれを観ずれば一切衆生はもなこれ我が親也。この故に経(心地観経)にいわく「一切の男子はこれ我が父、一切の女人はこれ我が母、一切の衆生はもなこれ吾が二親師君なり」このゆえに衆生の恩すべからく報酬すべし・・」とあります。

4、大乗本生心地観経報恩品(全品書き下し)
大乘本生心地觀經卷第二・大唐罽賓國三藏般若奉詔譯・報恩品第二之上
(ここからいよいよ報恩品を書き下していきます。報恩品は二巻と三巻に渡って説かれていますが、まず第二巻では五百長者が「近親者を捨てて出家するような残酷な大乗の修行は、まず涅槃を得てそれから衆生を救うという二乗に劣るという。」というのに対し仏は四恩を説き四恩は平等と説く。また有名な「母の十徳」「聖王の十徳」「三宝の十徳」を説く。そして四恩に報ずるためには「十の眞實波羅蜜多」に努めよと説く。眞實波羅蜜多とは「無上大菩提心を發起し無所得に住し、諸衆生を勸めて同じ此の心を発し眞實法を以て一四句偈を一衆生に施し、向無上正等菩提に向かはしめば是を名て眞實波羅蜜多と名ずく」とする。)

「爾時世尊、安詳として三昧より起ち、彌勒菩薩摩
訶薩に告げて言く「善哉善哉。汝等大士。諸善男子。
世間之父に親近せんと欲するが為の故に、出世之法を聽聞せんと欲するが為の故に、如如之理(真如)を思惟せんと欲するが為の故に、如如之智を修習せんと欲するが為の故に、佛所に來詣し供養恭敬す。我今、心地妙法を演説し衆生を引導して佛智に入らしめん。如是の妙法は諸佛如來、無量劫を過ぎて時に乃ち之を説く。如來世尊の世に出興したまふに値遇すること甚だ難きことは優曇華の如し。假使へ如來世に出現したまふも、此妙法を説きたまふこと亦復た難しと為す。所以は何かんとなれば、一切衆生は大乘菩薩行願を遠離して、聲聞縁覺の菩提に趣向し、生死を厭離して永く涅槃に入り、大乘の常樂の妙果をねがはざればなり。
然るに諸如來は法輪を転ずるに四失(以下に出る)を遠離して相應法を説く。(四失とは)
一に無非處。二に無非時。三に無非器。四に無非
法。應病與藥し復除を得しめたまふ。即是ち如來不共の徳なり。聲聞縁覺未だ自在を得ず。諸菩薩衆不共之
境なり。是の因縁を以て菩提正道・心地法門は難見難聞なり。若し善男子善女人ありて、是妙法を聞き一經於耳し須臾之頃も攝念觀心し無上大菩提種を熏成せば、久しからずして當に菩提樹王金剛寶座に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得べし。」
爾時、王舍大城(ラージヒル)に五百長者あり。其名を妙徳長者・勇猛長者・善法長者・念佛長者・妙智
長者・菩提長者・妙辯長者・法眼長者・光明長者・滿願長者という。如是等の大富長者は正見を成就し、如來及諸聖衆を供養す。是の諸長者は世尊の大乘心地法門を讚歎したまふを聞きて、是の念を作す。「我、
如來の金色光を放ち菩薩の難行苦行を影現したまふを見るに、我は苦行を行ふ心を愛樂せず。誰か能く永劫に生死に住して而も衆生の為に諸苦惱を受くることを好まんや」と。是の念を作し已って即ち座より起ち、偏袒右肩右膝著地合掌恭敬して異口同音に前んで
白佛言「世尊よ。我等大乘諸菩薩行をねがはず。
亦た苦行の音聲を聞くを喜ばず。所以者何、一切菩薩所修の行願は、皆な悉く是れ知恩報恩にあらず。何以故。父母を遠離して出家に趣き、自の妻子を以て欲っする所に施し、頭目髄腦其の願求に隋って悉く皆な布施し諸逼惱を受けて三阿僧祇劫に具に八萬四千波羅蜜行を修し生死の流を越へ、方めて菩提大安樂處に至る。(このような残酷な大乗の修行は以下ようにまず二乗により涅槃を得てそれから衆生を救う方法に劣るという。)二乘の道果に趣向して三生百劫に資糧を修集し生死因を斷じ、涅槃の果を證し速かに安樂に至り方はじめて報恩と名くるに如かず」と。
爾時佛、五百長者に告げてたまはく「善哉善哉。汝等大乘を讚歎するを聞きて、心に退轉を生ず。妙義を發起して未來世中に恩徳不知の一切衆生を利益安樂せん。諦聽諦聽、善く之を思念せよ。我今、汝の為に分別して世出世間の有恩之處を演説せん。善男子、汝等の所言は未だ正理にかなわず。何以故。世出世の恩に四種あり。一に父母の恩。二に衆生の恩。三に國王の恩。四に三寶の恩なり。如是の四恩は一切衆生
平等に荷負す。善男子。父母の恩とは、父に慈恩あり。母に悲恩あり。母の悲恩とは若し我れ世に住して一劫中に説くとも盡す能わず。我今汝の為に少分を宣説せん。假使へ人あり、福徳のための故に、一百の淨行大婆羅門、一百の五通諸大神仙、一百の善友を恭敬供養せんに、七寶上妙堂内に安置し、百千種の上妙珍膳を以てし、諸瓔珞衆寶衣服を垂れ、栴檀沈香の諸房舍をたて、床臥敷具を百寶莊嚴し、衆病療治の百種湯藥、一心供養して百千劫に滿つるも、一念の孝順心に住して微少物を以て悲母を色養し隨所に供侍するに如かず。前の功徳を比するに、百千萬分にして不可校
量なり。世間の悲母の子を念ずること無比なり。恩は未形(妊娠中)に及ぶ。始め受胎より十月の終わりまで、行住坐臥に諸苦惱を受くること口の所宣にあらず。欲樂する飮食衣服を得ると雖も愛を生ぜず。憂念之心は恒に休息するなし。但だ自ら思惟するのみなり。
將に生産せんと欲するや漸く諸苦を受け晝夜愁惱す。若し産難時は百千刃の競って來りて屠割するが如し。或は無常を致すこと有り(死ぬこともある)。若し苦惱なければ諸親眷屬の喜樂無盡なり。猶し貧女の如意珠を得たるが如し。其子聲を發するや、音樂を聞くが如し。母の胸臆を以て寢處と為し、左右膝上を常に遊履と為す。胸臆中に甘露泉あり、長養之恩は普天に彌わたり、憐愍之徳は廣大無比なり。世間の高しとする所は山岳に過ぎたるはなし。悲母之恩は須彌にこゆ。世間之重は大地を先と為す。悲母之恩は亦た彼に過ぐ。若男女ありて恩に背き順ぜず、其父母をして怨念の心を生ぜしめ、母をして惡言を発せしむれば子即ち
隨墮す。或は地獄餓鬼畜生に在らむ。世間之疾は猛風に過ぎたるはなし。怨念之徴は復た彼よりも速かなり。一切如來金剛天等及五通仙も救護すること能はず。若し善男子善女人、悲母の教に承順無違ならば諸天護念し福樂無盡なり。如是の男女を即ち尊貴天人種類と名く。或は是れ菩薩の衆生を度せんが為に、現に男女となって父母を饒益す。若し善男子善女人、母恩に報ぜんが為に一劫を経て毎日三時に自身の肉を割き以って父母を養ふとも未だ一日之恩だにも報ずる能はず。所以者何。一切の男女は胎中に處して口に乳根を吮ひ母血を飮噉す。出胎し已るに及んで幼稚之前に所飮の母乳は百八十斛なり。母は上味を得れば先ず其子にあたへ、珍妙衣服も亦復た如是なり。愚癡鄙陋も情愛無二なればなり。昔女人あり、佗國に遠遊し所生子を抱きて殑伽河(ガンジス河)を渡る。其水暴漲して力前進むこと能ず。愛念して捨てず母子倶に沒す。是の慈心善根力の故に即ち色究竟天に上生して大梵王と作る。
是の因縁を以て、母に十徳有り。一は名て大地、母胎中に所依となる故に。二は名て能生、衆苦を經歴して而も能く生ずる故に。三は名て能正、恒に母手を以て五根を理おさめるが故に。四は名て養育、四時宜に隨って能く長養するが故に。五は名て智者、能く方便を以て智慧を生ずるが故に。六は名て莊嚴、妙瓔珞を以て而も嚴飾するが故に。七は名て安隱、母の懷抱を以て止息と為せば故り。八は名て教授、善巧方便して子を導引するが故に。九は名て教誡、善言辭を以て衆惡を離れしむるが故に。十は名て與業、能く家業を以て子に付囑するが故に。善男子よ、諸世間において何が最富、何が最貧なるや。悲母在堂、之を名て富となす。悲母不在、之を名て貧と為す。悲母在時を名て日中と為す。悲母死時を名て日沒と為す。悲母在時を名て月明と為し、悲母亡時を名て闇夜と為す。是故に汝等、勤加修習して父母に孝養せよ。若し人、仏に供すると福は等しく異なるなきなり。應當に如是に父母の恩に報ぜよ。

善男子よ、衆生の恩とは、即ち無始よりこのかた一切衆生は五道を輪轉して百千劫を經る。多生中において互に父母となる。互に父母となるを以ての故に一切の男子は即ち是れ慈父、一切の女人は即ち是れ悲母なり。昔生生中に大恩あるが故に猶ほ現在の父母の恩の如く等無差別なり。如是の昔の恩猶未だ報ずる能はず。或は妄業に因って諸違順を生じ、執著を以ての故に反って其怨を為す。何以故。無明は宿住智明(前世を知る智慧)を覆障し、前生に曾って父母たりしを了ぜざるを以てなり。ゆえに報恩し互に饒益たるべし。無饒
益者を名て不孝と為す。是の因縁を以て諸衆生類は一切時において亦た大恩あり。實に難ひ報しとなす。如是の事を名て衆生恩となす。

國王の恩とは福徳最勝なり。人間に生ずると雖も自
在を得るを以ての故に。三十三天の諸天子等は恒に其の力を與へて常に護持するが故に。其の國界における山河大地・盡大海際は國王に屬し、一人の福徳は一切衆生の福に勝過るが故に。是の大聖王は正法を以て化し、能く衆生をして悉く皆な安樂ならしむ。譬ば世
間の一切の堂殿は柱を根本と為すがごとく、人民の豐樂は王を根本と為し、王に依って有る故に。亦た梵王の能く萬物を生ずるが如く、聖王は能く治國之法を生じて衆生を利する故なり。日天子の能く世間を照らすが如く、聖王も亦た能く天下を觀察して人をして安樂ならしむる故なり。
王もし正治を失へば人は所依なし。若し正を以て化せば(以下に述べる)八大恐怖は其國に入らず。所謂、他國侵逼、自界叛逆、惡鬼疾病、國土飢饉、非時風雨、過時風雨、日月薄蝕、星宿變怪なり。人王は化を正しうして人民を利益すれば如是の八難は侵すこと能はざるが故に。譬ば、長者に唯一子あり、愛念無比憐愍饒益し常に安樂を與へて晝夜捨てざるが如し。國の大聖王も亦復た如是なり。等しく群生をみること同一子の如し。擁護の心は晝夜捨つることなし。如是の人王は十善を修せしめば、名て福徳主となす。若し修せしめざれば名て非福主となす。所以者何。若し王國内に一人の修善あれば其の所作の福は皆な七分となる。造善之人は其五分を得、彼の國王は常に二分を獲るを以てなり。善く王に因って修するが故に福利を同じゅうする故に。
十惡業を造るも亦復た如是なり。其の事を同じゅうするが故なり。一切國内の田地園林所生之物も皆な七分と為すも亦復た如是なり。若し人王ありて正見を成就して、如法に世を化せば名て天主となす。天善の法を以て世間を化すが故なり。諸天善神及護世王は、常に來って王宮を加護するが故に。人間に處すと雖も天業を修行し、賞罰之心は偏黨無きが故に。一切の聖王の法も皆な如是なり。如是の聖王を名て正法王となす。是の因縁を以て十徳を成就す。一に名て能照、智慧眼を以て世間を照らすが故に。二に名て莊嚴、大福智を以て國を莊嚴するが故に。三に名て與樂、大安樂を以て人民に與ふるが故に。四に名て伏怨、一切の怨敵は自然に伏するが故に。五に名て離怖、能く八難をしりぞけ恐怖を離る故に。六に名て任賢、諸賢人集まり國
事を評ずるが故に。七に名て法本、萬姓の安住するは國王に依るが故に。八に名て持世、天王の法を以て世間を持するが故に。九に名て業主、善惡の諸業は國王に屬する故に。十に名て人主、一切の人民は王を主と為す故に。一切の國王は先世の福を以て如是の十種の勝徳を成就す。大梵天王及び忉利天は常に人王を助けて勝妙樂を受けしめ、諸羅刹王及び諸神等は身を現ぜずと雖も王及び眷屬を潛來衞護す。王、人民の諸不善を見て制止する能はずんば、諸天神等は悉く皆な遠離す。若し修善を見れば歡喜讃歎して盡く皆な唱して「我之聖王」と言ひ、龍・天は喜悦して甘露雨を澍そそぎ、五穀成熟・人民豐樂なり。若し諸惡人等に親近せずして世間を普利し咸く正化に従へば、如意寶珠は必ず王國に現じ、王の隣國におけるものは咸く來りて歸服し、人とと稱歎せざるなけん。若し惡人ありて王國内に於いて逆心を生ぜば如是之人の福は自ら須臾の頃に衰滅し命終には當に地獄の中に堕し畜生を經歴して備つぶさに諸苦を受けん。所以者何。聖王にたいして恩を知らざるが故に諸惡逆を起こし如
是の報を受くるなり。若し人民ありて能く善心を行じ仁王を敬輔し佛の如く尊重せば、是人は現世安隱豐樂にして有所の願求は心に稱はざるなし。所以者何。一切國王は過去時において曾って如來清淨禁戒を受け、常に人王となりて安隱快樂なりしなり。
是因縁を以て違順の果報は皆な響の應ずるが如し。聖王の恩徳は廣大なること如是なり。

善男子よ、三寶の恩は名て不思議となす。衆生を利樂して休息あることなし。是の諸佛の身は眞善無漏にして無數大劫に因を修して證する所なり。三有の業果は永しへに盡きて餘すところなし。功徳の寶山は巍巍として無比なり。一切の有情の能く知る能はざるところなり。福徳甚深にして猶ほ大海の如し。智慧の無礙なること虚空に等し。神通變化して世間に充滿し、光明は遍く十方三世を照す。一切衆生は煩惱業障都て覺知せず、苦海に沈淪して生死無窮なり。三寶は出世して大船師と作り、能く愛流を截ちて彼岸に超昇す。諸の有智の者は悉く皆な瞻仰す。
善男子等。唯一の佛寶に三種身を具す。一に自性身。二に受用身。三に變化身。第一の佛身に大斷徳(差別相を断ずる徳)有り。二空(人空・法空)の所顯は一切諸佛悉く皆な平等なり。第二の佛身に大智徳あり。眞常無漏にして一切諸佛悉く皆な同意なり。第三の佛身に大恩徳あり。定通變現にして一切諸佛は悉く皆な同事なり。善男子。其自性身は無始無終なり。一切の相を離れて諸戲論を絶す。周圓無際・凝然常住なり。其の受用身に二種相あり。一に自受用。二に他受用。自受用身とは三僧祇劫に所修の萬行、諸衆生を利益安樂ならしめ已って十地滿心(に至り)運身して直ちに色究竟天に往き三界を出過して淨妙國土にいき、無
數量の大寶蓮華に坐す。而して不可説海會の菩薩に前後を圍遶せられ無垢繒を以て頂上に繋けられ、供養恭敬尊重讃歎せらる。如是を名けて後報利益と為す。
爾時、菩薩は金剛定に入り、一切微細の所知障と諸煩惱障を斷除して阿耨多羅三藐三菩提を證得す。如是の妙果を名て現報利益となす。
是の眞報身は有始無終にして壽命・劫數は限量あることなし。初め成正覺より未來際を窮む。諸根の相好は法界に徧周して四智圓滿す。是れ眞報身の受用法樂なり。一に大圓鏡智なり。異熟識(阿頼耶識の別名)を轉じて此の智慧を得る。大圓鏡の諸色像を現ずるが如し。如是の如來鏡智之中に能く衆生の諸善惡業を現ず。
是の因縁を以て、此の智を名て大圓鏡智と為す。大悲の故に恒に衆生を縁じ、大智に依るが故に常に法性に如す。眞俗を雙觀して間斷あることなし。常に能く無漏根身を執持して一切功徳の依止する所と為す。
二に平等性智。我見識を轉じて此の智慧を得る。是れを以て自佗平等二無我の性を能證す。如是を名て平等性智と為す。
三に妙觀察智。分別識(第六識である意識)を轉じて此の智慧を得る。能く諸法の自相共相を観じ、衆會の前において諸妙法を説き、能く衆生をして不退轉を得しむ。是を以て名て妙觀察智と為す。
四に成所作智。五種の識(前五識)を轉じて此の智慧を得る。能く一切種種の化身を現じて諸衆生をして善業を成熟せしむ。是の因縁を以て名て成所作智と為す。如是の四智を上首と為し、八萬四千の智門を具足す。如是の一切諸功徳の法を名て如來自受用身と為す。
諸善男子。二に如來他受用身とは、八萬四千の相好を具足し眞淨土に居り一乘法を説き、諸菩薩をして大乘微妙の法樂を受用せしむなり。一切如來は十地諸菩薩衆を化せんが為に、十種の他受用身を現ず。第一に佛身。百葉蓮華に坐して初地の菩薩の為に百法明門(菩薩が初地の位において得る法門のことで、あらゆる法門を明瞭に通達した智慧の意)を説く。菩薩悟り已って大神通を起こし變化して百佛世界に滿ち無數の衆生を利益安樂す。
第二の佛身は、千葉蓮華に坐し、二地の菩薩の為に千法明門(二地の菩薩の千種の法の智慧)を説く。菩薩悟り已りて大神通を起し變化して千佛世界に滿ち、無量衆生を利益安樂す。
第三の佛身は、萬葉蓮華に坐し三地菩薩の爲に萬法明門を説く。菩薩悟り已りて大神通を起こし、變化して萬佛國土に満ち、無數衆生を利益安樂す。如是に如來は漸漸増長し乃至十地他受用身は不可説妙寶蓮華に坐して十地の菩薩の為に不可説の諸法明門を説く。菩薩は悟り已って大神通を起こし變化して不可説佛の微妙國土に満ち不可宣説不可宣説無量無邊種類衆生を利益安樂す。
如是の十身は皆な七寶菩提樹王に坐して阿耨多
羅三藐三菩提を證得す。諸善男子よ、一一の華葉を各各一の三千世界と為し、各に百億の妙高山王及び四
大洲・日月星辰・三界諸天ありて具足せざるなし。一一の葉上の諸贍部洲に金剛座菩提樹王あり、其の百
千萬より不可説に至る。大小の化佛は各の樹下に於いて魔軍を破り已って一時に阿耨多羅三藐三菩提を證得す。如是の大小諸化佛身は各各の三十二相八十
種好を具足し諸資粮及び四善根諸菩薩等二乘凡
夫の為に隨宜に三乘の妙法(以下に云うところの、一に声聞乗の四諦、二に縁覚乗の十二因縁、三に菩薩乗の六度)を説く。諸菩薩の為には應ずるところの六波羅蜜を説き、阿耨多羅三藐三菩提を得しめ、佛慧を究
竟せしむ。求辟支佛者の為には、應ずるところの十二因縁法を説く。聲聞を求める者の為には應ずるところの四諦法を説き生老病死を度し涅槃を究竟せしむ。餘の衆生の為には人天教を説き人天の安樂妙果を得しむ。諸如是等の大小化佛を皆悉く名けて佛變化身となす。

善男子よ、如是の二種の應化身佛は滅度を現ずと雖も、而も此の佛身は相續して常住なり。諸善男子よ、一の佛寶に如是等の無量無邊の不可思議ありて衆生を利樂する廣大恩徳あり。是の因縁を以て名て如來應正遍知明行圓滿善逝世間解無上士調御丈夫天人師佛世尊となす。善男子よ、一佛寶中に六種の微妙功徳を具す。一には無上大功徳田。二には無上大恩徳あり。三には無足二足及多足の衆生中の尊なり。四には極めて値遇しがたきこと優曇華の如し。
五には三千大千世界に獨だ一り出現す。
六には世出世間の功徳、一切義を圓滿す。如是等の六種功徳を具して常に能く一切衆生を利樂す。是を名て佛寶不思議の恩となす。
爾時、五百の長者は白佛言、「世尊よ、佛所説の如くんば一佛寶中に無量の化佛あり。世界に充滿して衆生を利樂すと。しかるに何の因縁を以てか世間の衆生は多く佛を見ずして諸苦惱を受くや」。
佛、五百長者に告ぐ「譬ば日光天子は百千光を放ちて
世界を照明すれども而も盲者ありて光明を見ざるが如し。汝善男子よ、意において云何。日光天子に而も過ありや否や」。時に長者言く「不也、世尊。」
佛言く「善男子。諸佛如來は常に正法を演じて衆生を利樂すれども是の諸衆生は常に惡業を造り都て覺知せず。慚愧の心なし。佛法僧において親近を楽ねがはず。如是の衆生は罪根深重、無量劫を経るとも三寶の名字すら見聞するを得ず。彼の盲者の日光を覩みざるがごとし。若し衆生ありて如來を恭敬し大乘を愛樂し三寶を尊重せば、當に知るべし是の人は業障を銷除し福智増長・成就善根・速得見佛・永離生死・當證菩提す。
諸善男子よ、一佛寶に無量の佛あるが如く、如來所説の法寶も亦た然なり。一法寶中に無量の義あり。善男子よ、法寶中に四種あり。一者教法。二者理法。三者行法。四者果法。一切無漏の能く無明煩惱業障を破する聲名・句文を名けて教法と為す。有無の諸法を名けて理法と為す。戒定慧行を名けて行法と為す。無爲の果を名けて果法と為す。如是の四種を名けて法寶となす。衆生を引導して生死海を出て彼岸に到らしむ。善
男子。諸佛の師とするところは即ち是れ法寶なり。所以者何。三世の諸佛は法に依って修行し一切障を斷じ菩提を得成し盡未來際に衆生を利益するをもってなり。是の因縁を以て三世の如來は常に能く諸波羅蜜微妙法寶を供養す。何況んや三界一切の衆生の未得解脱のもの而も能く微妙法寶を敬せざるべけんや。
善男子。我昔曾って求法の為に人王となる。大火坑に入りて而も正法を求め、永く生死を断じて大菩提を得る。是故に法寶は能く一切の生死の牢獄を破る。猶ほ金剛の能く萬物を壊すが如し。法寶の能く癡闇衆生を照すこと日天子の能く世界を照らすが如し。法寶は能く貧乏衆生を救ふこと摩尼珠の衆寶雨ふらすがごとし。法寶の能く衆生に喜樂を與ふること猶し天鼓の諸天を樂しまする如し。法寶は能く諸天の寶階たり、正法を聽聞して生天するを得るが故なり。法寶は能く
堅牢大船たり。生死海を渡して彼岸に到らしむ故に。法寶は猶ほ轉輪聖王の如し。能く三毒の煩惱賊を除くが故に。法寶は能く珍妙衣服たり。無慚の諸衆生を覆蓋する故に。法寶は猶ほ金剛甲冑の如し。能く四魔を破し菩提を證するが故に。法寶は猶ほ智慧の利劍の如し。生死を割斷し繋縛を離れしむるが故に。法寶は
正に是れ三乘寶車なり。衆生を運載して火宅を出しむるが故に。法寶は猶ほ一切明燈の如し。能く三塗黒闇處を照すが故に。法寶は猶ほ弓箭矛矟の如し。能く國界を鎭め怨敵を摧くが故に。法寶は猶ほ險路の導師の如し。善く衆生を誘ひて寶所に達せしむるが故に。善
男子よ、三世の如來所説の妙法は如是等の難思議の事あり。是を名けて法寶不思議の恩となす。
善男子。世出世間に三種の僧あり。一に菩薩僧。二に聲聞僧。三に凡夫僧。文殊師利及び彌勒等は是れ菩薩僧。舍利弗・目犍連等の如きは是れ聲聞僧。若し別解脱戒(律の個条書)を成就せる眞善の凡夫、乃至一切正見を具足して能く廣く他の為に衆の聖道法を演説開示し衆生を利樂するは名けて凡夫僧となす。
未だ能く無漏戒定及び慧解脱を得るあたわずと雖も而も彼を供養する者は無量の福を獲る。如是の三種を名けて眞の福田僧となす。復た一類あり。名て福田僧となす。佛舍利及び佛形像并に諸法僧・聖の所制の戒において深く敬信を生じ、自ら邪見なく、他をして亦た然らしめ能く正法を宣じ一乗を讃歎し、因果を深信し常に善願を發し其過犯に随って業障を悔除す。當に知るべし是の人は三寶を信ずる力、諸外道に勝ること百千萬倍にして亦た四種の轉輪聖王(金、銀、銅、鐵)にも勝れり。何ぞ況んや餘類の一切衆生をや。欝金華(うこんげ・サフラン)の萎悴すると雖も猶ほ一切諸雜類華に勝るが如し。正見の比丘も亦復た如是なり。餘衆生に勝ること百千萬倍、禁戒を毀つと雖も正見を壞らず。是の因縁を以て名て福田僧となす。若し善男子善女人等、如是の福田僧を供養する者は所得の福徳は窮盡あることなし。前三の眞實僧寶を供養して所獲の功徳と正等無異なり。如是の四類の聖凡の僧寶は有情を利樂して恒に暫くも捨つることなし。是を名けて僧寶不思議の恩となす」。
爾時、五百長者、白佛言「世尊。我等今日佛の法音を聞き、三
寶の世間を利益することを得悟す。然も今、何の義を以ての故に佛法僧を説いて名けて寶となすを得るやを知らず。願くは佛、解説顯示して衆會及び未來
世において三寶を敬信する一切有情をして永く疑網を断じて信を壞せざらしめ、三寶不思議海に入らしめよ。」
爾時、佛、諸長者に告げて言く「善哉善哉。汝善男子。
能く如來甚深妙法を問ひて未來世において一切衆生を利益安樂ならしめんとす。譬ば世間第一の珍寶を具足の十義(以下に説く)を具足して國界を莊嚴し有情を饒益するが如く、佛法僧寶も亦復た如是なり。
一者堅牢。摩尼寶の人の能く破する無きがごとく、佛法僧寶も亦復た如是なり。外道天魔の能く破する能わざるが故に。
二者無垢。世間の勝寶は清淨光潔にして塵穢を雑へざるが如く佛法僧寶も亦復た如是なり。悉く能く煩惱塵垢を遠離す。
三者與樂。天の徳瓶(大智度論に出る話。貧人が一心に天に祈りて富貴を求めるに天が宝の出る徳瓶を授けたという。)の能く安樂を與ふるが如く佛法僧寶も亦復た如是なり。能く衆生に世出世の樂を與ふ。
四者難遇。吉祥寶の希有にして得難きが如く佛法僧寶も亦復た如是なり。業障の有情は億劫にも遇ひ難し。五者能破。如意寶の能く貧窮を破するがごとく、佛法僧寶も亦復た如是なり。能く世間の諸貧苦を破する故に。
六者威徳。轉輪王所有の輪寶は能く諸怨を伏するが如く佛法僧寶も亦復た如是なり。六神通を具して四魔を降伏す。
七者滿願。摩尼珠の隨心に所求の衆寶を能く雨ふらすが如く佛法僧寶も亦復た如是なり。能く衆生所修の善願を満たす。
八者莊嚴。世の珍寶の王宮を莊嚴するが如く佛法僧寶も亦復た如是なり。法王の菩提寶宮を莊嚴す。
九者最妙。天の妙寶の最も微妙なるが如く佛法僧寶も亦復た如是なり。諸世間の最勝妙寶を超ゆ。
十者不變。譬ば眞金の火に入りて變ぜざるが如く佛法僧寶も亦復た如是なり。世間の八風は能く傾動すること能はざるところなり。佛法僧寶は無量の神通變化を具足して有情を利樂して暫も休息することなし。是の義を以ての故に諸佛法僧を名けて寶となす。
善男子。我汝等がために四種の世出世間有恩之處を略説せり。汝等當に知れ。菩薩行を修して如是の四種之恩に應報せんことを。
爾時、五百長者白佛言「世尊。如是の四恩は甚だ
難報なり。當に何行を修して而も是の恩に報ずべきや」。佛、諸長者に告げて言く「善男子。菩提を求める為に三種の十波羅蜜あり。一は十種の布施波羅蜜多。二は十種の親近波羅蜜多。三は十種の眞實波羅蜜多。若し善男子善女人ありて阿耨多羅三藐三菩提心を発して能く七寶を以て三千大千世界に満てて無量の貧窮の衆生に布施せんに如是の布施は但だ布施波羅蜜多と名くれども、眞實波羅蜜多とは名けず。若し善男子善女人ありて、大悲心を發し無上正等菩提を求めんがために自妻子を以て他人に施與して心に悋惜なく、身肉手足頭目髓腦乃至身命を來求に施せば、如是の布施は但だ名けて親近波羅蜜多となせども未だ眞實波羅蜜多と名けず。若し善男子善女人、無上大菩提心を發起し無所得に住し、諸衆生を勸めて同じ此の心を発し眞實法を以て一四句偈を一衆生に施し、向無上正等菩提に向かはしめば是を名て眞實波羅蜜多となす。
前の二布施は未だ名て報恩となさず。若し善男子善女人。能く如是の第三眞實波羅蜜多を修せば乃ち名けて眞實に能く四恩を報ずとなす。所以者何。前の二布施は所得の心有りて、第三の施は無所得の心なればなり。眞實法を以て一有情に施して無上大菩提心を発せしむ、是の人は當に菩提を得證する時に廣く衆生を度し窮盡あることなく、三寶の種をついで斷絶せしめず。是の因縁を以て名けて報恩となす。
爾時、五百長者は佛より未だかって聞かざる所の報恩
の法を聞き、心に踊躍を懷き未曾有を得て無上
菩提に趣おもむき、忍辱三昧を得て不思議智に入り永く不退轉を得る。
爾時、會中の八萬四千衆生は菩提心を發して堅固
信及び此三昧を得る。海會の大衆は悉く金剛忍辱三昧を得て無生忍及び柔順忍を悟り、或は初地を証して不起忍(無生法忍)を得る。無量の衆生は菩提心を発して不退位(菩薩52位のうちの十住から、十行にあたる段階)に住す。
爾時、佛、五百長者に告げたまはく「未來世中の一切衆生、若し此の心地觀報四恩品を聞くことを得て受持・讀習・解説・書寫し廣く流布せしめば如是の人等の福智は増長し、諸天衞護し、現身無疾・壽命延長なり。若し命終時には彌勒内宮に即得往生し白毫相をみて生死を超越し、龍華三會に當に解脱を得、十方淨土に隨意往生して見佛聞法し正定聚に入り、阿耨多羅三藐三菩提如來智慧を速成す。
大乘本生心地觀經卷第二終わり

・次に第三巻
(第三巻も報恩品。第二巻を偈文にしてのべたもの。王舎城の東北の小国・増長福の智光長者が、親不孝息子を連れて聞法に来たり、釈尊は再び四恩を説く。また三聚戒を説き懺悔をすすめ、事理二観(仏や浄土の具体的な姿を対象とする事観と真理を直接対象とする理観)による滅罪方法を教える。また報恩には真実の十波羅蜜行が大切とする。)

「大乘本生心地觀經卷第三・大唐罽賓國三藏般若奉詔譯
報恩品第二之下
爾時、王舍大城東北八十由旬に一小國あり。
名けて増長福となす。彼國中において一長者あり、名を智光といふ。年老いて衰邁せしが唯だ一子あり。其子は惡性にして父母に順はず。所有教誨は皆な從はせる能はず。釋迦牟尼如來が王舍城耆闍崛山にいまして濁惡世無量衆生のために大乘報恩之法を宣説さると遙聞し父母及び子并に諸眷屬は聽法の為の故に供具を齎持して佛所に來詣す。供養恭敬して白佛言「我に一子あり、其性は弊惡にして父母の所有ゆる教誨を受けず。今佛、四種の恩を報ぜよと説きたまふを聞きて、聽法の為の故に佛所に來詣す。唯だ願くは世尊よ、我等類及び諸眷屬の為に四恩甚深妙義を宣説し彼の惡子をして孝順心を生ぜしめ、此世・當生までも安樂を得せしめたまへ。」
爾時、佛は智光に告げたまはく「善哉善哉。汝法の為の故に我所に來至し供養恭敬して聞是の法を聞んと樂ねがふ。汝等諦聽し善く之を思念せよ。若し善男子善女人ありて、菩提心を発し法要を聞かんがための故に、擧足下足、其の遠きも近きも、所踐の地、微塵數
量までも是の因縁を以て金輪轉輪聖王を感得せむ。聖王の報盡くれば欲天の王と作り、欲天の報盡くれば梵天王と作り、見佛聞法し妙果を速證せむ。汝大長者及び餘衆等よ、法の為の故に我所に來至すること如是に八十由旬を經過せり。大地微塵一一塵數までも能く人天輪王の果報を感じ、既に聞法已らば當來に阿耨多羅三藐三菩提を証得せん。我、先に甚深四恩微妙義趣を説けども今復た汝の為に重ねて此の義を宣べむ。而して偈を説いて言く
最勝法王にして大聖主なり。 一切人・天は等倫なし
諸相好を具して以って嚴身し 智の海は空の如く量あることなし。
自他利行を皆圓滿し 名稱は普く諸國土に聞え
永く煩惱餘習氣を断じ善く密行を持ちて諸根を護る。
百四十種の不共の徳と 廣大福海を悉く圓滿す
三昧神通皆具足し 八自在宮に常に遊樂したまふ
十方の人天及外道 能く調御師を難ずるものなし
金口は能く無礙辯を宣べ 能く問ふもの無しと雖も而も自ら説きたまふ
大海の潮の時を失せざるが如く 亦た天鼓の天心に稱かなふが如く
如是の自在は唯だ佛のみ有しまふ 五通の仙・魔・梵等の有するとことに非ず
難思の劫海に行願を修し如是の大神通を證獲したまふ
我、三昧大寂室に入り諸根及藥病を觀察し
自ら禪定を出て而して三世諸佛の心地門を讃歎す
時に諸長者は大心を退し 二乘自利行に住せんとねがふ
(故に)我大智方便教を開きて三空解脱門(空解脱門・無相解脱門・無作解脱門)に引入す
如來の意趣は能く量りうる莫し 唯だ佛のみ能く眞祕密を知りたまふ。
利根の聲聞及獨覺、 不退勤求の諸菩薩、
十二劫數共に度量するとも 能く其の少分を知ることなし
假使たとへ十方の凡聖の智を一人に授與して智者たらしめ
如是の智者を竹林のごとくするとも 能く其少分を測量する能わず。
世間の凡夫は慧眼なし 恩處に迷ふて妙果を失ふ。
五濁惡世の諸衆生は深恩を悟らずして恒に背徳なり
我爲に四恩を開示し 正見菩提道に入らしむ
慈父悲母の長養の恩によりて 一切の男女は皆な安樂なり
慈父の恩は高きこと山王の如く 悲母の恩は深きこと大海の如し
若し我、一劫に世に住して悲母の恩を説くともよく盡す能わず
我今少分を略説せむに猶し蚊虻の大海を飲むが如し
假使へ人有りて福徳をなさむがために淨行婆羅門・五通神仙自在者・大智師長及び善友を供養するに
七珍を安置して堂殿と為し 及び牛頭栴檀房を以て百寶臥具各敷陳し世間の美味甘露の如くし
萬病療治の諸湯藥を金銀器物中に盛滿し
如是に供養すること日に三時 乃至數百劫に盈つるとも
一念少分を申のべて悲母大恩田を供養するものの
福徳無邊不可量なるにしかず。算分・喩分(さんぶん・ゆぶん・数量や比喩で示すこと)皆無比なり。
世間悲母は其子を孕むや 十月懷胎して長く苦を受く
五欲の樂においても情は著せず 隨時の飮食も亦た同然なり
晝夜常に悲愍心を懷き 行住坐臥諸苦を受く
若し正しく其の胎藏の子誕るるや鋒刃を攅あつめて肢節を解するが如く
迷惑して東西を辯ずる能はず 遍身疼痛は堪へるかたなし
或は此の難によりて命終すれば 六親眷屬咸く悲惱す
如是の衆苦は皆な子による 憂悲痛切口宣しがたし
若し平復を得て身安樂なれば 貧の獲寶したるが如く喜び量り難し
容顏を顧視して厭足なく 憐念之心は暫も捨てがたし
母子恩情は常に是の如し 出入にも胸臆前を離れず
母乳は猶し甘露泉の如し 長養及び時に曾って竭るなし
慈念之恩は實に難比なり 鞠育之徳亦た量り難し
世間の大地は重と称せども 悲母の恩の重きは彼に過ぎたり
世間の須彌は稱して高しとなせども 悲母の恩の高きことは彼に過ぎたり
世間は猛風を以て速疾となせども唯だ母心の一念は彼に過ぎたり
若し衆生有りて不孝を行ひ 母をして暫時にも恨心を起さしめ少分といへども怨念の辭を生ぜしめば 子は乃ち言に随って苦難に遭ひ
一切佛・金剛天・神仙祕法も能く救ふこと能はず
若し男女有りて母の教により顏色を承順して相違せざれば
一切の災難は盡く消除す 諸天は擁護し常に安樂なり
若し能く悲母に承順せば如是の男女は悉く非凡なり。
大悲菩薩人間と化して報恩の諸方便を示現したまふ
若し男子及女人ありて母恩に報ぜんがために孝養を行ひ
割肉刺血して常に供給し 如是にすること數一劫に盈ち
種種に孝道を勤修すとも猶ほ未だ能く暫時の恩にも報ゆることあたはざらん。
十月胎藏中におり 常に乳根を銜ふくみ脂血を飮み
嬰孩より童子に及ぶまで 所飮の母乳は百斛餘なり
飮食湯藥妙衣服 子を先にし母は後にするを常則と為す
子若し愚癡にして人に惡にくまるるとも 母は亦た恩憐にして棄遺せず。
昔女人有り、其子を抱へ 恒河水の瀑流を渡るに
汎水を以ての故に力前すすみ難し 子と倶に沒するも能く捨ること能はざりき。
是の慈念善根力により 命終して梵天に上生し
長く梵天の三昧樂を受け 如來に遇ひて授記を受けることを得。
是故に悲母に十徳あり。義・利に隨應して其名を立つ。
一に大地と名け、二に能生、 三に能正者、四に養育、五に與智者、六に莊嚴、 七に安隱と名け、八に教授、九に教誡者、十に與業、 餘の恩は母恩に過ぎざるなり
何の法か世間に最富有なるや 何の法か世間に最貧無なるや
母の堂に在す時を最富となし 母の不在の時を最貧と為す
母在之時を日中となし 悲母亡ずる時を日沒となす
母在の時は皆圓滿、 悲母亡時は悉く空虚あんり。
世間一切の善男女よ、 父母の恩重は丘山の如し
應當に孝敬して恒に心に在け 知恩報恩は是れ聖道なり
不惜身命にして甘旨を奉じ 未だ曾って一念も色養を虧かかさざれ。
如し其の父母奄喪する時は 將に報恩せんと欲すれども誠に及ばざるなり
佛昔慈母の為に修行し相好金色身を感得す
名聞廣大にして十方に遍し 一切人天咸く稽首す
人とと皆な恭敬す 自から往昔に慈恩に報ぜしに縁よりてなり
我、三十三天宮に昇り 三月母の為に眞法を説き
母をして聽聞せしめ正道に歸し、無生忍を悟りて常不退ならしむ
如是は皆な悲恩に報ぜんが為なり。 報ずと雖も恩は深くして猶ほ未だ足らず
神通第一の目犍連は 已に三界の諸煩惱を断じ
神通力を以て慈母を観るに 受苦の餓鬼中に在るを見る
目連は自ら往きて母恩に報ず、慈親の所受苦を救免して
他化に上生せしめ、諸天衆と共に遊樂すべく天宮に處おらしむ。
當に知るべし父母の恩は最深なり。 諸佛・聖賢も咸く報徳す。
若し人、至心に佛を供養すると 復た精勤して孝養を修すると
如是の二人の福は異あることなし。受報亦三世に無窮なり。
世人は子の為に諸罪を造り三塗に墮在して長く苦を受く。
男女は聖にあらざれば神通なし。 輪迴を見ざるのよりて報ずべきこと難し。
哀しい哉、世人は聖力なく慈母を拔濟すること能はず
是の因縁を以て汝當に知れ、諸功徳を勤修福利し
其男女の勝福を追ふを以て 大金光有りて地獄を照らし
光中に深妙音を演説し 開悟して父母を發意せしむ
憶へ昔、所生に常に造れる罪を。 一念の悔心は悉く除滅す。
口に南無三世佛と稱へ無暇の苦難身を得脱し
人天に往生して長く受樂し 見佛聞法し當に成佛す。
或は十方淨土中に生じて 七寶蓮華を父母と為し
華開きて見佛して無生を悟り 不退の菩薩を同學となし
六神通自在力を獲て菩提微妙宮に得入せむ。
皆是れ菩薩の男女となり 大願力に乗じて人間を化したまふなり。
是を名て眞に父母の恩に報ずとなす。 汝等衆生共に修學すべし。
有情輪迴して六道に生ずるは 猶ほ車輪の無始終なるが如し
或は父母たり男女たり 世世生生に互に恩あり。
父母を見るが如く等無差なれ 聖智を證せざれば識る由なし。
一切の男子は皆な是れ父、 一切の女人は皆な是れ母なり。
如何んぞ未だ前世の恩を報ぜずして 却って異念を生じて怨嫉を成すべきや。
常に須からく報恩し互に饒益せよ。 應に打罵し怨嫌を致すべからず。
若し福智門を増修せんと欲せば晝夜六時に當に發願すべし。
願くは我、生生無量劫に 宿住智大神通を得て
能く過去百千生を知り 更に六趣四生中に循環して相ひに父母たりしことを憶識せむ。
我が一念をして常に彼に至らしめ 爲に妙法を説ひて苦因を離れしめ 人天に長く受樂せしめ
堅固菩提願を勸發して菩薩六度門を修行せしめ
永く二種の生死の因を断是ぜしめ、 疾く涅槃無上道を證せしめむ。
十方一切の諸國王は 正法もて人を化するがゆえに聖主と為す
國王の福徳を最勝と為す。 所作自在なるを名けて天と為す。
三十三天及餘天 恒に福力を將もって王の化を助く。
諸天の擁護すること一子の如し 是を以て天子の名を称し得るなり。
世間は王を以て根本と為す。 一切の人民の所依たること 猶し世間の諸舍宅の如し 柱を根本となして成立す
王は正法を以て人民を化すこと 大梵王の萬物を生ずるが如し
王の非法を行じて政理を無みするは 琰魔王の世間を滅するが如し
王、姧邪の人を容受せば 象の華池をふむに等し。謂ふ勿れ時濁惡世に逢ふと。 當に知るべし善惡は是れ王の修なることを。
日天子の世間を照らすが如く 國王も世を化すこと亦た如是なり。
日光は夜分不照と雖も 能く有情をして安樂を得しむ
王非法を以て世を化せば 一切の人民は所依無し
世間の所有あらゆる恐怖は 王の福力により生ずる能はざらしむ
人民の成ずる所の安隱樂は 當に知るべし是れ王福の所及なり
世間の所有あらゆる勝妙華は 王の福力に依りて開敷す。
世間の所有る妙園林は 王の福力に依りて皆な滋茂す
世間の所有る諸藥草は 王の福力に依りて諸疾をいやす
世間の百穀及び苗稼も 王の福力に依りて皆成實す
世間の人民の豐樂を受くるも 王の福力により常に自から然るなり。
譬ば長者に智慧端嚴世無比の一子ありて
父母の恩愛すること眼目の如く 晝夜常に護念心を生ずるが如し
國の大聖王も亦た如是なり。 衆生を愛念すること一子の如し
耆年(きねん・年寄)を養育し孤獨を拯すくひ 賞罰之心は常に不二なり。
如是の仁王を聖主となす 群生の敬仰すること如來に等し
仁王化治すれば國は災なし 萬姓は恭勤して常に安隱なり。
國王無法にして世を化せば 疾疫流行し有情に災す
如是の一切人・は 罪福昭然して覆ふ所なし。
善惡法を中分して七分し 造者は五を獲、王は二を得る
園林田宅悉く皆な然り 所税等を分つも亦た如是なり。
轉輪聖王出現の時は 分ちて六分と作して王は一を得る
時に諸人民は五分を得る 善惡業報も亦た皆な然り。
若し人王ありて正見を修し 如法に世を化せば天主と名ずく。
天法に依りて世間を化するがゆえに 毘沙門王は常に擁護し
及び餘の三天・羅刹衆も 皆な當に聖王宮を守護す
聖王出世して國を理おさむる時は 衆生を饒益して十徳を成ず
一には能く國界を照らすと名け、 二には国土を莊嚴すと名け、三には能く諸安樂を與ふと名け、 四には能く諸怨敵を伏すとな名け、
五には能く諸恐怖を遮すと名け、 六には諸聖賢を修集すと名け、
七には諸法に根本となると名け、 八には世間を護持すと名け、
九には能く造化の功を作すと名け、 十には國界人民主と名く。
若し王が十勝徳を成就せば 梵王帝釋及諸天
夜叉羅刹鬼神王は 隱身して常に來りて國界を護り、
龍王は歡喜して甘雨を降らし 五穀は成熟し萬姓安らかなり。
國中處處に珍寶を生じ 人馬彊力にして怨敵なからむ
如意寶珠は王の前に現じ 境外の諸王は自ら賓伏せむ。
若し生じて王國において不善を行ひ、一念起心して衆惡を成ぜば
是人は命終して地獄に墮し 受苦して永劫に出期なし
若し誠を勤めて国王を助くるあらば 諸天は護念して榮祿を増さむ
智光長者よ、汝應に知るべし 一切の人王たる果報は業の所感なり
諸法は因縁ならずして成ぜざるはなし。 若し因縁なからば諸法なし
生天及び惡趣なしと説くあれども 如是之人は因を了ぜざるなり
無因無果は大邪見なり 罪福を知らずして妄計を生ず
王の今の所受の諸福樂は 往昔曾って三淨戒を持ち
戒徳の熏修により招感する所にして 人天の妙果たる王身を獲たるなり
若し人、菩提心を發起し 願力を以て無上果を資成し
上品清淨戒を堅持せば 起居自在にして法王となり
神通變化して十方に滿ち 隨縁して普く諸群品を濟はむ
中品に菩薩戒を受持するものは 福自在を得て轉輪王となり
隨心の所作は盡く皆な成ず 無量の人天は悉く遵奉せむ
下上品に持たば大鬼王なり 一切のは咸く率伏す
戒品を受持して缺犯ありと雖も 戒勝れるが故に王と為るを得る
下中品に持たば禽獸王なり 一切の飛走皆は歸伏す
清淨戒において缺犯ありとも 戒勝れるがゆえに王たることを得る
下下品に持するは琰魔王なり地獄中に處して常に自在なり
禁戒を毀つと雖も生惡道 戒勝によるが故に王たるを得る
是の義を以ての故に諸衆生よ 應に菩薩清淨戒を受けよ
善能く護持して無缺犯ならば所生の處に隨って人王と作る
若し如來戒を受けずんば 終に野干身をも得ることあたわざらむ
何ぞ況んや能く人天中最勝快樂を感じて王位に居らむをや
是故に王者は無因にあらず 戒業を精勤して妙果を成じたるなり
國王は自ら是れ人民の主なり 慈恤すること母の嬰兒を養ふが如し
如是に人王には大恩あり 撫育之心には報ずべきこと難し
是の因縁を以て諸有情よ 若し能く大菩提を修證せむには
諸衆生において大悲を起こし 應に如來の三聚戒
(摂律儀戒、摂善法戒、饒益有情戒)を受けよ
若し如法受戒を欲する者は 應當に懺罪し消滅せしめよ
起罪之因に十縁あり 身三、口四、及び意三なり
生死は無始、罪も無窮なり 煩惱の大海は深くして底無し
業障は峻極にして須彌の如し 造業の由因は二種の起あり
所謂る現行及び種子なり。 藏識(阿頼耶識)は一切種を持縁し
影の形に隨ふが如く不離身なり 一切時中に聖道を障ぐ
近くは人天妙樂果を障へ 遠くは無上菩提果を障ふ
在家は能く煩惱の因を招き 出家も亦た清淨戒を破す
若し能く如法に懺悔する者は 所有あらゆる煩惱悉く皆な除くこと
猶ほし劫火の世間を壞し須彌并巨海をも燒盡するが如し
懺悔は能く天路に往生す
懺悔は能く四禪樂を得 懺悔は寶摩尼珠を雨ふらす
懺悔は能く金剛壽を延べ 懺悔は能く常樂宮に入らしむ
懺悔は能く三界の獄を出さしめ 懺悔は能く菩提華を開く
懺悔は佛大圓鏡を見せしめ 懺悔は能く寶所に至らしむ
若し能く如法に懺悔する者は 當に二種の觀門に依りて修せよ
一者觀事滅罪門 二者觀理滅罪門
觀事滅罪に其三あり 上中下根を三品となす
若し上根の淨戒を求むるものあらば大精進を發して心無退にして
悲涙泣血し常に精懇哀感し徧身に皆血を現じ
念を十方三寶所并に餘の六道諸衆生に繋け
長跪合掌して心を亂ぜず 發露洗心して懺悔を求めよ
唯願くは十方三世佛 大慈悲を以て我を哀愍したまへ
我輪迴に處して無所依なり 生死の長夜常に覺めず
我凡夫にありて諸縛具し 狂心顛倒して徧く攀縁す
我は三界火宅中に處して 妄りに六塵に染まれども無救護なり
我は貧窮下賤家に生れ 自在を得ずして常に苦を受く
我は邪見の父母の家に生まれ 造罪するは惡眷屬に依る
唯だ願くは諸佛大慈尊よ 哀愍護念して一子の如くせよ
一たび懺悔して復た諸罪を造らざらむ 三世如來當に證明したまへ
如是に勇猛懺悔する者は 名て上品淨戒を求むとなす
若し中根に求戒の者あらば 一心勇猛に諸罪を懺悔し
涕涙交こもごも横るも覺知せず 徧身流汗して佛に哀求し
無始生死の業を發露せよ 願くは大悲水に塵勞を洗ひ
罪障を滌除して六根を浄めむ 我に菩薩三聚戒を施せ
我れ願くは不退轉を堅持し 精修して苦衆生を度脱せしめ
自未得度先度他 盡未來際に常に斷つこと無けむ
如是に精勤勇猛する者 不惜身命に菩提を求めば
能く三寶靈異相を観ぜむ 是を名けて中品大懺悔となす
若し下根求淨戒を求むるは無上菩提心を發起し
涕涙悲泣して身毛を豎たて 所造罪において深く慚愧し
十方三寶及び六道衆生前に対して
至誠に無始來の所有あらゆる諸衆生惱亂を發露し
無礙大悲心を起こし 不惜身命に三業を悔ひ
已作之罪を皆發露し 未作之惡は更に造らずと(期せよ)。
如是に三品の懺悔諸罪を 皆な名けて第一清淨戒となす
慙愧の水を以て塵勞を洗ひ 身心倶に清淨器と為せばなり
諸善男子よ汝當に知れ 已に淨觀諸懺悔を説きぬ
其れ事・理は無差別なり 但だ根と縁と應ずや不やによりて(事・理の二様)なり。
若し正理を修習し觀ぜんと欲するならば一切諸散亂を遠離し
新淨衣を著し跏趺坐し 攝心正念して諸縁を離れ
常に諸佛妙法身は體性如空にして不可得なるを観ぜよ
一切の諸罪は性皆如なり 顛倒の因縁は妄心より起る
如是の罪相は本來空なり 三世之中に所得なく
内に非ず外に非ず中間に非ず 性相如如にして倶に不動なり
眞如の妙理は名言を絶す 唯だ聖智のみありて能く通達す
有に非ず無に非ず有無に非ず有無に非ざるにも非ず、名相を離れて
法界に周偏して無生滅なり 諸佛は本來同一體なり
惟だ願くは諸佛、加護を垂れたまひ 能く一切の顛倒心を滅せよ
願くは我をして眞性の源を早悟し如來無上道を速證せしめよ
若し清信善男子有りて 日夜に能く妙理の空を観ぜば
一切の罪障は自ら消除す 是を名けて最上持淨戒となす
若し人、實相の空を觀知せば 能く一切諸重罪を滅すること
猶し大風の猛火を吹くが如し 能く無量の諸草木を焼く
諸善男子よ眞實の觀は 名けて諸佛祕要門となす
若し他の為に廣く分別せむと欲せば 無智の人の中にて宣説すること勿れ
一切の凡愚の衆生類は 聞きて必ず疑心を生じ不信なればなり
若し智者ありて信解を生ぜば 念念に觀察して眞如を悟り
十方諸佛皆現前し 菩提の妙果は自然に證せむ
善男子等、我滅後に 未來世中に淨信の者は
二觀門に於いて常に懺悔し 當に菩薩三聚戒を受けよ
若し上品戒を受持せむと欲せば 應に戒師・佛・菩薩を請ぜよ(以下ここでは具足戒を授ける際に必要とされる「三師七証」説を取らずに観普賢菩薩行法経で説く「大乗戒師」説を取り、戒も大乗戒である「三聚戒」を説く。)
我釋迦牟尼佛を請じて 當に菩薩戒和上と為し
龍種淨智尊王佛(文殊菩薩)を 當に淨戒阿闍梨と為せ
未來の導師は彌勒佛 當に清淨教授師と為し
現在十方の兩足尊を 當に清淨證戒師と為し
十方一切諸菩薩を 當に修學戒伴侶と為し
釋梵四王金剛天を 當に學戒外護衆と為し
如是の佛菩薩及び現前傳戒師を以て奉請すべし
普く爲に四恩に報ぜんがための故に清淨菩提心を發起し
應に菩薩三聚戒を受くべし 饒益一切有情戒・
修攝一切善法戒・ 修攝一切律儀戒
如是の三聚清淨戒は 三世の如來護念したまふ所なれども
無聞非法の諸有情は 無量劫中にも未だ聞見せず
唯だ過去十方佛のみありて 已に淨戒を受けて常に護持す
二障煩惱を永く斷除し無上菩提果を獲證す
未來一切の諸世尊も三聚淨戒寶を守護し
三障(煩悩障、業障、報障)并びに習氣を斷除し 當に正等大菩提を證す
現在十方の諸善逝は 具に三聚淨戒の因を修し
生死輪迴苦を永斷し三身菩提果を得證す
生死の深大海を超越するは 菩薩淨戒を船筏と為し
貪瞋癡の繋縛を永斷し 菩薩淨戒を利劍と為す
生死の嶮道の諸怖畏は 菩薩淨戒を舍宅と為し
貧賤諸苦因を息除するに 淨戒能く如意寶と為る
鬼魅所著の諸疾病には 菩薩淨戒は良藥と為る
人天に王と為りて自在を得るには 三聚淨戒は良縁と作る
及び餘の四趣諸王身は 淨戒を縁と為して勝果を獲る
是故に能く自在因を修し 當に王となるを得て尊貴を得るには
應に先ず十方佛を禮敬し 日夜に清淨戒を増修せよ
諸佛護念して常に受持す 戒は金剛に等しく破壞あることなし
三界の諸天諸善神は王身及眷屬を衞護し
一切の怨敵は皆歸伏し 萬姓は歡娯して王化に感ず
是故に菩薩戒を受持せば 世出世の無爲の果を感ぜむ

三寳は常に住して世を化す 恩徳は廣大不思議なり
過未及現の劫海中に 功徳利生は休息あることなし
佛日は千光にして恒に世を照らし 群生を利益し有縁を度す
無縁は佛の慈光を覩ざること 猶ほし盲者の所見なきが如し
法寳は一味にして變易あることなし 前佛後佛の説は皆な同じなり
雨の一味にして普く能く霑うるほすも 草木の滋榮大小に別るるが如し
衆生は根に随って各の解を得こと 草木の潤に禀したがって亦た差殊なるが如し
菩薩聲聞は衆生を化すこと 大河の水の流れて竭ざるが如くなれども
衆生は無信にして化を被むらざること幽冥に處して日の難照なるが如し
如來の月光は甚だ清涼なり 能く衆暗を除くこと亦た如是なれども
猶ほ覆盆の月を照さざるが如く 迷惑の衆生も亦た如是なり
法寳は甘露妙良藥なり 能く一切の煩惱病を治す
信有るものは服藥して菩提を證し 無信は隨縁して惡道に堕す
菩薩聲聞は常に世に在りて 無數の方便もて衆生を度す
衆生にして信樂心あらば 各の三乘の安樂位に入る
如來が世間に出ずんば 一切衆生は邪道に入り
甘露を永離して毒藥を飲み 長く苦海に溺れて出期無し
佛日は三千界に出現し 大光明を放ちて長夜を照らす
衆生は睡るが如くにして覺知せざれども 光を蒙りて無爲の室に得入す
如來未だ一乘法を説かざるとき 十方國土は悉く空虚なりしが
發心修行して正覺を成ぜば 一切佛土は皆嚴淨なり
一乘の法寳は諸佛の母なり 三世の如來は此より生ず
般若方便を無間に修せば 解脱道を成じて妙覺に登る
若し佛菩薩不出現ならば 世間の衆生は導師無し
生死の嶮難を過す由し無し 如何ぞ寳所に至るを得む
大願力を以て善友の為に 常に妙法を説き修行せしめ
十地に趣向して菩提を証せば 善く涅槃安樂處に入らむ
大悲菩薩は世間を化し方便して衆生を引導するが故に
内に一乘眞實行を秘し 外に縁覺及聲聞を現す
鈍根の小智は一乘を聞き 怖畏發心して多劫を経、
身に如來藏あるを知らず 唯だ寂滅を欣んで塵勞を厭ふ
衆生は本より菩提種あり 悉く阿頼耶藏識中にあり
若し善友に遇ふて大心を発し 三種錬磨して妙行を修せば
永く煩惱・所知障(煩悩障は自我の障害、所知障は法に対する執着に依る障害)
を断じ如來常住身を證得せむ
菩提の妙果は成じ難からず 眞の善知識は實に難遇なり
一切の菩薩は勝道を集せむに 四種の法要を應當に知るべし
善友に親近するを第一と為す 正法を聽聞するを第二と為す
理の如く思量するを第三と為す 如法に修證するを第四と為す
十方一切の大聖主は 是の四法を修して菩提を證す
汝諸長者大會衆 及び未來世の清信士よ
如是の四法菩薩地を 要ず當に修習せよ、仏道を成ぜむ
善男子等應に諦聽せよ 如來所説の四恩とは
佛寳之恩を最も上となし 衆生を衆せんが為に大心を発し
三阿僧祇大劫中に 具さに百千諸苦行を修し
功徳圓滿して法界に遍く 十地究竟して三身を證す
法身の體は諸衆生に遍じ 萬徳凝然として性常住なり
不生不滅無來去 不一不異非常斷なり
法界に遍滿すること虚空の如く 一切如來は共に修證す
有爲無爲の諸功徳は法身に依止して常に清淨なり
法身の本性は虚空の如し六塵を遠離して染ずる所無し
法身は無形にして諸相を離る 能相・所相は悉く皆な空なり
如是の諸佛の妙法身は 戲論言辭の相を寂滅す
一切諸分別を遠離して 心行處滅して體皆な如なり
如來身を證得せんと欲するが為に 菩薩は善く萬行を修す
智體は無爲にして眞法性なり 色心は一切諸佛に同じ
譬ば飛鳥の金山に至り 能く鳥身をして彼色に同ぜしむるが如く
一切の菩薩は飛鳥の如く 法身の佛體は金山に類す
自受用身の諸相好は 一一、十方刹に遍滿す
四智圓明にして法樂を受け 前佛後佛の體は皆な同なり
遍法界と雖も無障礙なり 如是の妙境は不思議なり
是身は常に報佛土に住し 自受法樂は無間斷なり
他受用身の諸相好は 隨機應現して増減あるなし
地上諸菩薩を化せんがための故に 一佛にして十種の身を現じ
隨所に應現して各の不同なり 展轉倍増して無極に至る
根に随って爲に諸法要を説き 受法して入一乘をねがわしむ
彼の神通を獲て漸く増長し 所悟の法門も亦た如是なり
下地の菩薩は智慧を起こすとも 上地に了達すること能わず
能化所化は地に隨って増し 各の本縁に随って所屬となる
或は一菩薩の多佛化し 或は多菩薩の一佛化す
如是に十佛は成正覺し 各の七寳菩提樹に坐す
前佛入滅して後佛成じ 化佛の劫を經て現ずるに
不同なり
十佛の所坐は蓮華臺なり 周遍各の百千葉あり
一一葉中に一佛土あり 即ち是れ三千大千界なり
一一の界中に百億の日月星辰・四大洲・
六欲諸天及び四禪・空處・識處・非想等あり
其四洲中の南贍部に 一一各の金剛座あり
及び菩提大樹王あり 爾の變化する所の諸佛身は
一時に菩提道を證得し 妙法輪を大千に転ず
菩薩縁覺及聲聞は 根の宜よろしきに随って聖果を成ず
如是に所説の三身佛は 最上無比にして名て寶となす
應化の二身の所説の法は 教理行果を法寶と為す
諸佛は法を以て大師となし 修心して證する所は菩提道なり
法寳は三世に變易なし 一切の諸佛は皆な歸學す
我今薩婆若を頂禮す故に法寳を説いて佛師となす
或は猛火に入りても焼く能はず 時に應じて即ち眞解脱を得る
法寶は能く生死の獄をくだく 猶ほ金剛の萬物をくだくが如し
法寶は能く衆生心を照らす 日天子の空界に臨むが如し
法寶は能く堅牢船と作る 能く愛河を渡して彼岸に超ゆ
法寶は能く衆生に樂をあたふ 譬ば天鼓の天心に應ずるが如し
法寶は能く衆生の貧を濟ふ 摩尼珠の衆寶を雨ふらすが如し
法寶は能く三寶の階となる 聞法し修因して上界に生ず
法寶は金輪大聖王なり 大法力を以て四魔を破す
法寶は能く大寶車となる 能く衆生を運んで火宅を出しむ
法寶は能く大導師となる 能く衆生を引率ひて寶所に至らしむ
法寶は能く大法螺を吹き 衆生を覺悟して佛道を成ぜしむ
法寶は能く大法燈となる 能く生死の諸黒闇を照らす
法寶は能く金剛箭となる 能く國界を鎭め諸怨を伏す
三世の如來所説法は 能く衆生を利して苦縛を脱せしめ
涅槃安樂城に引入す 是を名けて法寶の恩は報じ難しとなす
智光長者よ、汝諦聽せよ 世出世僧に三種あり
菩薩・聲聞との聖と凡衆なり 能く衆生を益して福田となる
文殊師利大聖尊は 三世諸佛以って母となす
十方如來の初發心は 皆是れ文殊の教化力なり
一切世界の諸有情は 聞名し身及び光相を見
并びに隨類の諸化現を見て 皆な佛道を成ずること難思議なり
彌勒菩薩法王子は 初發心より食肉せず
是の因縁を以て名けて慈氏となす 諸衆生を成熟せんと欲するが為に
第四兜率天四十九重如意殿に處して
晝夜恒に不退行を説き 無數の方便もて人天を度す
八功徳水妙華池に 諸有縁者を悉く同生せしむ
我今弟子を彌勒に付す 龍華會中に解脱を得む
末法中において善男子よ 一摶之食を衆生に施さば
是の善根を以て彌勒を見る 當に菩提究竟道を得む
舍利弗等の大聲聞は 智慧・神通もて群生を化す
若し能く解脱戒を成就せば 眞に是れ正見を修行する人なり
他のために説法し大乘を伝ふ 如是の福田を第一となす
或は一類の凡夫僧ありて 戒品は不全なれども正見を生じ
一乘微妙法を讃詠し 隨犯隨悔して障銷除し
諸衆生の為に成佛の因となる 如是の凡夫も亦た僧寶なり
欝金華の萎悴すと雖も 猶ほ一切諸妙華に勝るが如し
正見の比丘も亦た如是なり 四種の輪王の及ばざる所なり。
如是の四類の聖・凡僧とは 有情を利樂して暫くも歇むことなし
稱して世間良福田となす 是を名けて僧寶の大恩徳となす
我所説の四恩の義 是を名けて能く世間の因を造るとなす
一切萬物は是より生ず 若し四恩を離るれば不可得なり
譬ば世間の諸色塵は 能く四大を造り而も生を得るがごとし
有情世間も亦復た然なり 彼の四恩によって安立をうる
爾時、智光長者及諸子等は佛所説の四種の大
恩を聞きて未曾有を得、歡喜合掌して白佛言「善哉善
哉。大慈世尊。濁惡世の不信因果・不孝父
母の邪見衆生のために、眞の妙法を説き世間を利樂す。唯だ願くは世尊。報恩の義を説け。我等既に甚深の四恩を悟り、而も今、未だ何の善業を修して是の恩に報ずべきやを知らず。佛長者につげたまはく「善男子
等。我五百長者の為に先に已に廣説せり。而今汝が為に少分を略説せむ。若し善男子善女人。阿耨多羅
三藐三菩提を得んがために、十波羅蜜を精勤修行せむに、若し有所得ならば未だ報恩と名けず。若し人、須臾も能く一善を行じ心無所得ならば
乃ち名けて報恩となす。所以者何。一切如來は無所得に觸れて乃ち佛道を成じ諸衆生を化せばなり。若し淨信の善男子等ありて、是の經を聞くを得て信解受持解説書寫し無所得を以て三輪體空にして竊かに一人がために四句の法を説き邪見心を除かしめ
菩提に趣向せしめば、是れ即ち名けて四恩を報ずとなす。何以故。是の人は當に無上菩提を得、展轉して無量衆生を教化し佛道に入らしめ三寶の種子を永く斷絶ぜざらしむればなり。
爾時智光長者は是の偈を聞き已りて忍辱三昧を得、世間を厭離して不退轉を得たり。時に諸子等八千人も倶に此三昧を得、皆な無等等阿耨多羅三藐三菩提心を發し、四萬八千人も亦た三昧を證し遠塵離垢し法眼淨を得たり
(大乘本生心地觀經卷第三終わり)


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