大日如来とお釈迦様の関係如何
「真言宗義章」(真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より
「根本佛たる大日如来が密教の教主であり、顕教の教主たる釈尊は大日如来の変化身である。」
問。真言の教主は大日、顕教の教主は釈迦とは?
答。大日如来は能現の法身(すべてを生み出す主体としての佛)、釈迦は所現の法身(生み出された客体としての佛)なり。
問。顕教に依れば三十二相の応身佛(衆生教化の対象に応じて現れた仏)とみるも、八万四千の相好尊持の報身佛(修行をして成仏したお姿)と見るも全く釈迦佛の機見の不同なりといふ。顕教の機は生身佛三乗五乗(五乗とは人乗,天乗,声聞乗,縁覚乗,菩薩乗)等の顕教を説き給ふと感見するにて、その実は釈迦一佛なるべし。この故に普賢観経には釈迦佛を名つ゛けて毘盧遮那遍一切処(佛説觀普賢菩薩行法經「時空中聲即説是語。釋迦牟尼名毘盧遮那遍一切處」)と説き給ひ、したがって慈覚・智証等の台密の諸師は一同に顕密二教は釈迦一佛の所説と判釈せられたり、如何?
答。顕教の人師は未だ法身佛色相説法の深義を伝へざるがゆえに色相説法の仏身といへば唯だ生身佛にのみ限れりと思ふゆえに生身佛の上に於いて拝見不同の説をなすこと固より怪しむに足らず。台密の人師は真言を習ふと雖も正統の所伝に非ざるがゆえに其の根本義において未だ理を尽くさざる所甚だ多し。
問。若ししからば如何なる理証において一佛別なることを知るべきや?
答。高祖大師は秘蔵記の中に恵果和尚の口説によりて、この義を示し給えり。いわく「大日法身自然覚を成ずるとき心中無数の眷属もまた同時に自然覚を成ず。是れ即ち曼荼羅の諸尊なり。これらの諸尊より各々垂迹の生身を現じて十方の衆生を化益し給う。この故に天竺出現の生身の釈迦は現図曼荼羅に就かば釈迦院の主たる変化身の所現なり。変化身はすでに大日の所現なり。この垂迹より現ずる生身の釈迦は迹中の迹なることを知るべし。例えば数多の窓ある暗室に明灯を燃すときはその光、同通して各々の窓を照らす。しかして後、又各々の室より光散じて窓外に漏るるが如し」と。
當に知るべし迹を摂して本に帰すべき道理あるべしといへども本を廃して迹を立ことは道理に背けり。彼の普賢経の文の如きは且つこの摂迹帰本の辺に約したる説のみ。守護経の第九に云はく、「佛、秘密主に告げて言はく、善男子、その陀羅尼は毘盧遮那世尊、色究竟天にて天帝釈及び天衆のために已に広く宣説したまへり。我今この菩提樹下、金剛道場に於いて諸の国王及び汝らが為にこの陀羅尼を説く」(守護國界主陀羅尼經・般若根本事業莊嚴品第八「佛告祕密主言。善男子毘盧遮那世尊。色究竟天爲天帝釋及諸天衆已廣宣説。我今於此菩提樹下金剛道場。爲諸國王及與汝等。」)と。この文の意は法身大日如来、天上に於いて既に説き給ひし所の唵字陀羅尼の法門をば我代わりてこの菩提樹下にありて汝らが為に伝説するなりと釈尊の仰せらるる義なり。又釈尊、法身佛の驚愕を被りて無上菩提を成じたまふこともこの経の所説なり。これらの道理証文によりて二教の教主各別なる所以をよくよく了知すべし。