水原堯栄「弘法大師御影」には様々な大師像が紹介されています。
「其の一、真如様式
真如親王の筆と伝えられる右方斜面向きにして右手に五古杵を非竪非横に持て胸に当て左手に百八果の念珠をお持ちになり胸を開かれて些かの屈託もなきお姿にして 仙洞御所御料椅子に安座されている御影で、余はこれを真如様式とよぶ。(西新井大師の鎌倉時代の重文「弘法大師像」などこれ。)
其の二、八祖様式
其の一の真如様式と同じであるが四脚の床座の上に坐しておられるお姿。真言八祖像にみられるもの。(1も2も大師の御靴は横になり、半分が床座からでています。これはすぐにも助けを呼ぶ衆生を済度せんとお出かけにならんとするあり様をしめしているとされます。)
其の三、善通寺様式
其の一の真如様式の大師お姿左上に釈迦如来影現の描かれたるもの。塵添壒嚢鈔に「大師の御影の上に山端に,佛形を図するあり。これなにごとぞ。これは讃州善通寺にこの仏像御筆ありと云々その御影に書き加えるか。いま所々にこれあり。その起こりをいふに、讃州多度の郡屏風の浦はご誕生の地たるによって、彼ここに還って遍覧し給しに、海岸浦の松、尋常の姿にあらず。丹青の綵を交えたる事、屏風を立てたるがごとし。仍て此の地名あるなり。此地勝境たる故に大師練行し給時、弧峯の上片雲の中に、釈迦如来安祥として形を現し給いき。大師歓喜のあまり則その姿を写し留め御座しける也。それよりしてこの山を我拝師山とも号し、又湧出嶽ともなずけ給うものなり。」とある。醍醐三宝院のこの様式の御影の軸表紙に「善通寺形大師」と題されている。
其の四、稚児大師
童形の大師像。月輪中に蓮華を描き蓮華の上に垂髪姿金剛合掌の童子御姿。はじめてこれを書かれたのは勤操大徳であるとされるが、この構図は「御遺言」の「夫以吾昔得生在父母家時。生年五六之間、夢常見居坐八葉蓮華之中諸佛共語也」(そもそも思いめぐらしてみれば、わたくしが昔生まれて、父母の家にいた、5,6歳の頃、いつも八葉の蓮華の中に坐って諸仏と共に語る夢を見た)という文より図案せられたもの。
其の四の一、稚児大師(道順様式)
道順の「御遺言大事」の文意より構案されたものでさきの稚児大師像で月輪中に剣、或は如意宝珠をお持ちになっているもの。
其の五、入木道の大師
東寺観智院蔵狩野守信筆の像、右手に筆、左手に紙で机にお座りのもの。
其の六、秘剣大師
大師は「般若心経秘鍵」で「文殊の利剣は諸戯を断つ、覚母の梵文は調御の師なり チクマンの真言を種子と為す 諸経を含蔵せる陀羅尼なり」と述べられています。文殊菩薩の利剣をお持ちになり衆生を利益するお姿です。
其の七、日輪大師
日輪中に蓮華を描きその中に右手に五古杵、左手掌上に五輪塔を捧げておられるもの。
其の他、大師のおすがたは縁に応じていろいろなおすがたで示現される・・」。
追加で、その九、善通寺の「瞬目大師」(この大師像は、弘法大師が唐に渡る前、母のために御影堂前の御影の池で、自分の姿を写して描いたとされています。鎌倉時代、土御門天皇御拝覧の時に、目をまばたきされたことから、この御尊号を下賜されたといわれています。善通寺御影堂奥殿に秘蔵、50年に一度、弘法大師御遠忌にのみ御開帳。)
「其の一、真如様式
真如親王の筆と伝えられる右方斜面向きにして右手に五古杵を非竪非横に持て胸に当て左手に百八果の念珠をお持ちになり胸を開かれて些かの屈託もなきお姿にして 仙洞御所御料椅子に安座されている御影で、余はこれを真如様式とよぶ。(西新井大師の鎌倉時代の重文「弘法大師像」などこれ。)
其の二、八祖様式
其の一の真如様式と同じであるが四脚の床座の上に坐しておられるお姿。真言八祖像にみられるもの。(1も2も大師の御靴は横になり、半分が床座からでています。これはすぐにも助けを呼ぶ衆生を済度せんとお出かけにならんとするあり様をしめしているとされます。)
其の三、善通寺様式
其の一の真如様式の大師お姿左上に釈迦如来影現の描かれたるもの。塵添壒嚢鈔に「大師の御影の上に山端に,佛形を図するあり。これなにごとぞ。これは讃州善通寺にこの仏像御筆ありと云々その御影に書き加えるか。いま所々にこれあり。その起こりをいふに、讃州多度の郡屏風の浦はご誕生の地たるによって、彼ここに還って遍覧し給しに、海岸浦の松、尋常の姿にあらず。丹青の綵を交えたる事、屏風を立てたるがごとし。仍て此の地名あるなり。此地勝境たる故に大師練行し給時、弧峯の上片雲の中に、釈迦如来安祥として形を現し給いき。大師歓喜のあまり則その姿を写し留め御座しける也。それよりしてこの山を我拝師山とも号し、又湧出嶽ともなずけ給うものなり。」とある。醍醐三宝院のこの様式の御影の軸表紙に「善通寺形大師」と題されている。
其の四、稚児大師
童形の大師像。月輪中に蓮華を描き蓮華の上に垂髪姿金剛合掌の童子御姿。はじめてこれを書かれたのは勤操大徳であるとされるが、この構図は「御遺言」の「夫以吾昔得生在父母家時。生年五六之間、夢常見居坐八葉蓮華之中諸佛共語也」(そもそも思いめぐらしてみれば、わたくしが昔生まれて、父母の家にいた、5,6歳の頃、いつも八葉の蓮華の中に坐って諸仏と共に語る夢を見た)という文より図案せられたもの。
其の四の一、稚児大師(道順様式)
道順の「御遺言大事」の文意より構案されたものでさきの稚児大師像で月輪中に剣、或は如意宝珠をお持ちになっているもの。
其の五、入木道の大師
東寺観智院蔵狩野守信筆の像、右手に筆、左手に紙で机にお座りのもの。
其の六、秘剣大師
大師は「般若心経秘鍵」で「文殊の利剣は諸戯を断つ、覚母の梵文は調御の師なり チクマンの真言を種子と為す 諸経を含蔵せる陀羅尼なり」と述べられています。文殊菩薩の利剣をお持ちになり衆生を利益するお姿です。
其の七、日輪大師
日輪中に蓮華を描きその中に右手に五古杵、左手掌上に五輪塔を捧げておられるもの。
其の他、大師のおすがたは縁に応じていろいろなおすがたで示現される・・」。
追加で、その九、善通寺の「瞬目大師」(この大師像は、弘法大師が唐に渡る前、母のために御影堂前の御影の池で、自分の姿を写して描いたとされています。鎌倉時代、土御門天皇御拝覧の時に、目をまばたきされたことから、この御尊号を下賜されたといわれています。善通寺御影堂奥殿に秘蔵、50年に一度、弘法大師御遠忌にのみ御開帳。)