蓮の花について・・2
蓮は古来知識階級文人墨客に愛されてきました。
北宋の儒学者周敦頤も「愛蓮説」で蓮をめでています。この詩は漢文の時間で必ずでてきたものです。
「水陸草木の花、愛すべき者甚だ蕃(おほ)し。晋の陶淵明独り菊を愛す。
李唐自り来た世人甚だ牡丹を愛す。
予独り蓮の淤泥より出でて染まらず、清漣に濯はれて妖ならず、中通じ外直く、蔓あらず枝あらず、香遠くして益々清く、亭亭として浄く植(た)ち、遠観すべくして褻翫(せつぐわん)すべからざるを愛す。
予謂へらく、菊は華の隠逸なる者なり。牡丹は華の富貴なる者なり。蓮は華の君子なる者なりと。
噫、菊を之れ愛するは、陶の後聞く有ること鮮し。蓮を之れ愛するは、 予に同じき者何人ぞ。牡丹を之れ愛するは、宜なるかな衆きこと。」
翻って日本では古今集に僧正遍照の有名な「蓮葉の濁りにしまぬ心もて なにかは露を玉とあざむく」の歌があり、これを受けてか貝原益軒は「楽訓」で「みな月のころになりぬれば はし居の風のしたしく、わらふだ敷きてをるも快し。池の心深く蓮葉のにごりにしまずして 花ならで夕風ににほひわたるだにも異草にすぐれたり。ことに花の咲(ゑみ)のくちびるひらけたるは、所狭きまでかほりみちて、世に似たるものなく清らなり。・・」と書いています。
芥川龍之介も「ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匂いが、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。」と蓮を描いて「蜘蛛の糸」を書きはじめています。
蓮は古来知識階級文人墨客に愛されてきました。
北宋の儒学者周敦頤も「愛蓮説」で蓮をめでています。この詩は漢文の時間で必ずでてきたものです。
「水陸草木の花、愛すべき者甚だ蕃(おほ)し。晋の陶淵明独り菊を愛す。
李唐自り来た世人甚だ牡丹を愛す。
予独り蓮の淤泥より出でて染まらず、清漣に濯はれて妖ならず、中通じ外直く、蔓あらず枝あらず、香遠くして益々清く、亭亭として浄く植(た)ち、遠観すべくして褻翫(せつぐわん)すべからざるを愛す。
予謂へらく、菊は華の隠逸なる者なり。牡丹は華の富貴なる者なり。蓮は華の君子なる者なりと。
噫、菊を之れ愛するは、陶の後聞く有ること鮮し。蓮を之れ愛するは、 予に同じき者何人ぞ。牡丹を之れ愛するは、宜なるかな衆きこと。」
翻って日本では古今集に僧正遍照の有名な「蓮葉の濁りにしまぬ心もて なにかは露を玉とあざむく」の歌があり、これを受けてか貝原益軒は「楽訓」で「みな月のころになりぬれば はし居の風のしたしく、わらふだ敷きてをるも快し。池の心深く蓮葉のにごりにしまずして 花ならで夕風ににほひわたるだにも異草にすぐれたり。ことに花の咲(ゑみ)のくちびるひらけたるは、所狭きまでかほりみちて、世に似たるものなく清らなり。・・」と書いています。
芥川龍之介も「ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匂いが、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。」と蓮を描いて「蜘蛛の糸」を書きはじめています。