福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今昔物語より

2012-07-21 | 法話
願って地蔵菩薩變化僧にあいたてまつる語(はなし) 第一
今は昔、西の京の邊に住む僧有けり、道心有ければ、懃に佛の道を行ひけり。
其の中にも、年来、殊に地蔵菩薩に仕て、願ひ思ひける樣、「我れ、此の身乍ら
し生身の地蔵に値遇し奉て、必ず引接を蒙らむ」と。此れに依り、國もとに行て、
地蔵の霊験有所を尋て、願ふ心を語るに、此れを聞く人、咲ひ嘲て云く、
「汝が願ひ思ふ所、甚だ愚也。何でか、現身には生身の地蔵には値遇し奉らむ」と。
然れども、僧、尚、本意を不失ずして諸國に行く間、常陸の國に行き至ぬ。
何くとも无く行く程に、日暮ぬれば、賎の下人の家に宿りぬ。其の家に年老た
る嫗一人居たり、亦、牛飼ふ童の年十五六歳許なる有り。見れば、人来て、此
の童を呼び出でヽ去ぬ。其の後、聞けば、此の童泣き叫ぶ音有り、
泣※く、即、家に返来たり。僧、嫗に問云く、「此の童、何の故に泣ぞ」と。
嫗の云く、「此の童の主の牛を飼ふに依て、常に被打責て此く泣く也。父には
疾く送て更に憑む方无し。但し、月の廾四日に生たるに依て、名を地蔵
丸となむ云ふ」。僧、此の童の故を聞くに、心の内に恠しく思えて、
「此の童は、若し、我が年来の願ひに依て、地蔵菩薩の化身にや有らむ。菩薩の誓ひ
不可思議也。凡夫、誰か此れを知」と思へども、忽に、此れを難悟ければ、
弥よ地蔵を念じ奉て、終夜不寝ずして有る間、「丑の時許にも成やしぬらむ」と思ふ程に、
聞けば、此の童、起居て云、「我れ、今三年、此の主の為に被仕て可被打責かりつれども、
今、此の宿れる僧に値ひ奉ぬれば、只今、外へ行ぬ」と云て、外に出づとも不聞
で掻消つ樣に失ぬ。僧、驚き恠むで、嫗に「此は、何に此の童は云つる事ぞ」
と問ふに、亦、嫗、外に出づとも不聞で忽に失にけり。其の時に、僧、「實に此れ、地蔵の
化身也けり」と知て、音を擧て叫び呼と云
へども、嫗も童も遂に見ず成ぬ。夜あけて後、僧、其の里の人に向て、嫗・童の
失ぬる事を泣く泣く語て云く、「我れ、年来、地蔵菩薩に仕て、『現身に値遇し
奉らむ』と願ひつ。而るに、今、其の感應有、地蔵菩薩の化身に値遇奉れり。
悲き哉や、貴哉」と。里の諸の人、此れを聞て、涙を流して、不貴と云ふ事
无し。然れば、難き事也と云ふとも、心をつくして願はヾ、誰も此かく
可見奉きに、心を尽ざる故に値ひ奉る事无也。彼の僧の上て語り傳ふるを聞き
継て語り傅へたるとや。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 福聚講・今日の言葉 | トップ | 今昔物語より »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

法話」カテゴリの最新記事