福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今昔物語より

2012-07-22 | 法話

紀の用方、地蔵菩薩につかえて利益を蒙りたる語 第二
今は昔、尾張の前司※※の※※と云ふ人有けり、公に仕て年来有けるに、後には出家して入道と云てぞ有ける。其の家に、一人の心武き者有けり、名をば武蔵の介紀の用方と云ふ。此の用方、本性、武勇にして、邪見熾盛なる事限なし、敢て善き心无かりけり。而る間、俄に、用方、何なる事か有けむ、堅固に道心をもよおして、殊に地蔵菩薩を歸依し奉けり。毎月の廾四日には酒肉を断ち、女の境を留めて、専らに地蔵菩薩を念じ奉る。亦、日夜に阿弥陀の念佛を唱ふ、亦、常に持斉す。但し此の用方本性、嗔恚盛にして自然ら物云ふ間にも、事に觸て※を成す事、火の燃るが如し。然れば、此れを見る人、常の事として謗り咲ふ。然りと云へども、瞋恚を発し乍らも、地蔵を念じ、念佛を唱ふる事
怠たらず。而る間、世に阿弥陀の聖と云ふ者有けり、日夜に行き、世の人に念佛を勧むる者也。而るに、其の聖の夢に「金色の地蔵菩薩に値奉れり。即ち、其の地蔵尊、自、阿弥陀の聖に示して宣はく、『汝ぢ、明日の暁に、其の小路を行むに、値はむ人を以て、必ず、我れ地蔵と可知し』と」。聖、夢
覺て後の心の内に、地蔵尊の化身に値奉らむ事を喜て、明る日の暁に念佛を勧めむが為に、其の小路を行くに、一人の俗人出来れり。聖、此れを見て、俗に問て云く、「汝をば誰人とか云ふ」と。俗人、
荅て云く、「我は此れ、紀の用方也」と。聖、此れを聞て、用方を度※礼拜して、涙を流して悲び
貴て云く、「我れ、宿善む厚くして、地蔵菩薩に値奉れり。願くは、必ず、我を導き給へ」と。用方、此れを聞て、驚き恠て云く、「我れは此れ、極悪・邪見の人也。聖、何の故有てか泣き悲て我れを
礼拜する」と。聖、泣く泣く云く、「我れ、昨日の夜の夢に、金色の地蔵に値奉れり。其の地蔵、我に告て云く、『明日の暁に、此の小路に値はむ人をば必ず我れ地蔵と可知し』と。我れ、其の事を深く信ずるに、今の君みに値ひ給へり。定めて知ぬ、此れ、地蔵尊の化し給ふ所也」と。用方、此れを
聞て、心の内に思く、「我れ、地蔵※を念じ奉て、既に年来に成ぬ。若し、其の故に地蔵の示し給ふ所か」と思て、聖と別れ去ぬ。其の後、用方、弥よ心を励まして、地蔵尊を念じ奉る事无限し。而るに、用方、年漸く傾て、遂に、出家入道しつ。十餘年を経て後、身に病有と云へども、苦しむ所无く、心不違して、西に向て弥陀の念佛を唱へ、地蔵の名号を念じて、絶へ入にけり。此れを見聞く上下の道俗・男女、涙を流して悲び貴びけりとなむ語り傳へた
るとや。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今昔物語より | トップ | 蓮華色比丘尼の話 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

法話」カテゴリの最新記事