地蔵菩薩三国霊験記 1/14巻の6/9
六、叡好法師肥前國に於いて生身地蔵を拝し奉る事。
後一条院の御宇(11世紀)天台座主三昧和尚
の門人大法師睿好は少年より修行を好みて忽ちに學窓を出て山野を栖とし樹下石上を道場とす。一向地蔵尊に皈伏して未来の善果引導をぞ慕ひけるほどに法界流浪しけるが鎮西に下向して三年の間苦修練行しき。肥前の國の御崎根(みさきね。佐賀県唐津市御崎神社)と申す處に詣りけり。彼の所は日本國の西南月浦の東北なり。奇樹奇岳神にして亦神也。四面は海なり。されば彼の境は地蔵観音補處大悲應跡の界なりとぞ傳へ白す。或は夜半には童女身を現じ或は晨朝には沙門の身を示して隋逐し玉へりと語傳を聞て彼の岩窟に籠居て五穀鹽味を断て行じける程に第八日の晨朝に小舟一艘出現しける中に管を吹き絃を引て一唱一詠して漸(やや)彼の岩窟の前を過行けり。詠歌の妙なる凢音の及ぶべきならねば睿好心を澄して聴くに言詞異にぞありき、曰く、毎日晨朝入諸定と此の一句を聴聞して貴き心肝に徹す。凢そ此の心は十輪経に曰く、善男子一々の日に於いて晨朝時毎に諸の有情を成熟せんと欲す為の故に競って伽河沙等の諸定に入り、定より起ちて已って遍く十方諸佛の國土に於いて一切所化の有情を成熟し、其の所應に随って利益安穏ならしむと云々(大乘大集地藏十輪經序品第一「此善男子。於一一日毎晨朝時。爲欲成熟諸有情故。入殑伽河沙等諸定。從定起已遍於十方諸佛國土。成熟一切所化有情。隨其所應利益安樂」)。
是晨朝とは東方已に赤きを云ふ。日の未だ出ざる二刻前を云なり。地蔵大士の慈悲を以て毎日晨朝に入り玉ふ。兢河の定力堅固なることは金剛宝の如し。既に定より起て徧く十方諸の佛國土に於いて利益を施すと同時にして前後なしとの事なり。今の歌詠信ずべし。況や亦十王經の中に極悪の海は能く渡し導く者無し、地蔵の願船に乗りて必定して彼岸に到らんと云々。唯今の化儀誠なる哉と弥よ一向に行けるが薩埵の加被力にや侍るらん。皈洛の後も明匠のおぼへをとり一条院の御宇に律師の宣旨を下され世出の求願如意天年を終らしけるとなん。