観音霊験記真鈔26/33
西國二十五番播州新清水寺千手像御身長五尺二寸
釈して云く、普門品に云く、「若有無量百千萬億衆生受諸苦悩 聞是観世音菩薩 一心称名観世音菩薩 即時觀其音聲 皆得解脱」。今此の娑婆世界は六根門の中に於いて耳根最も利なる故に此界番番出世の諸佛何れも聲塵説法を以て衆生利益の第一とす。されば楞厳會上(夏安居の坐禅修行中に楞厳呪をよむ)に於いて大小二十五人の聖者有りて各々自ら所證得度の方便を説き玉ひてさて釈迦如来文殊菩薩勅命あって言ふやうは、二十五人の圓通何れか勝れたると評定ありし時に文殊二十五人の得度の門戸を一々沙汰して観音の耳聞圓通を以て最第一とすと云へり(「楞厳經巻五・六では二十五聖の圓通が説かれるがこの最後に観音菩薩の耳根圓通が説かれる」)。其の由は此土の衆生は諸根の中に於いて耳聞にあらざれば其の利を得ることかたし。故に聞聲に依りて利益を得る者は甚だ多し。故に知ぬ観音聞聲悟道によって利益殊にあまねし。故に耳聞悟道を以て第一と讃め玉へり。六塵説法事を談ずべし(弘法大師の聲字実相義に「・・・響きは必ず声による。声はすなわち響の本なり。声発して虚からず、必ず物の名を表するを号して字という。名は必ず体を招く。これを実相と名づく。声字実相の三種区々に別れたるを義と名づく。また四大相触れて音響必ず応ずるを名づげて声という。五音、八音、七例、八転、みなことごとく声を待って起る。声の名を詮することは必ず文字による。文字の起こりはもとこれ六塵なり・・」)。曲しくは普門品に披きて是を講ずべし。之を略す(普門品に「聞是觀世音菩薩。一心稱名。觀世音菩薩即時觀其音聲皆得解脱。・・若有衆生。聞是觀世音菩薩品自在之業普門示現神通力者。當知是人功徳不少」)。西國二十五番目播州國佐多郡新清水寺千手像は聖徳太子の御開基なり。往昔蘇我入鹿大いに兵を起す時に播州に牧夫と云人あり、其の妻女下男と密通し若し事あらはれてはと思ひ枚夫を語らひ出て鹿狩にともなひすでに山中に至るとき下男高き所に上り弓を引き矢を番て云く、我むかし汝を君とすと云へども今は又敵とす。此の山中には鹿なし。君を殺さんが為なり。一矢に君の命を得べしと云ふ。牧夫聞て云く、我此事を知らず、ねがはくは汝しばらく待てと云ひて腰に付けたる食を取出し包を開きて二つの犬をなでて云く、我汝等を畜ふこと年久しく而も子の如くす。汝等よく聞け、我今爰死す。汝二つの犬一時に我が屍を喰ひて跡に貽すことなかれと。時に二つの犬食を残さずして耳をたれて聴く。一つの犬たかく踊りて下男の持ちたる弓絃を喰切る。又一つの犬飛び上がりて下男の喉をくひ殺す。牧夫二犬をひいて家にかへり則ち其の妻を追い出す。さて後二犬を子の如くに畜ひたりしか幾程なくて二犬自ら死せり。牧夫不憫の事に思ひて則ち聖徳太子に申し上り寺を建立いたし千手大悲の像を安置して冥福を勧む。則ち二犬を地主神とするに此の霊験日々にあらたなり。其の後野火四面より来る。伽藍恙なきこと凡そ三度。桓武帝聞し召して信勅ましまして宮寺とし、田數頃を捨てると。此時寺号をあらためて新清水と名くと云へり。二事少なく異なりと云へども並べ記して疑はしきを傳ふる者なり。
歌に
「哀みや 普ねき門に 品々の何をがな見に 爰に清水(きよみず)」
私に云く、歌の意は上の句は観音の普門品二十五の義を云ふなるべし。下の句は「何をがな」等とは「見にきたる」と云ふ枕詞の縁に「ここにきよみず」と云ひ掛けたり。言こころは観音は衆生をすくはんと常にあはれみ玉ふ誓願なれば、ここに大悲の像を拝みに来りとなり。其上に至誠心をもって歸命奉らばそれぞれの御利益あるべきこと勿論なり。或人の歌に
「法の門(のりのかど)品かはれども 黒衣 出入る人の 袖はさはらじ」
又古歌に
「分け上る ふもとの道は さまざまに 同じ雲井の月をこそ見れ」
西国の歌に引き合わすべし。愚(松誉)諸文要解六巻浄土列傳五巻篇、世に行わるる者也。
観音霊験記真鈔巻三