古今著聞集「北野宰相輔正(注1)安楽寺に塔婆を造営の時聖廟託宣の事」
「北野宰相殿は天神四世の苗裔也。圓融院(注2)の御侍讀として道の文譽ゆゆしくおはしましけり。天元四年981に太宰大貳に任じて同五年九月に府につきて安楽寺(注3)を巡礼し給けるに堂舎かずありといへとも塔婆いまたみえず建立の願もとより有けるによりて造営をはしめられけり。聖廟悦ひおほしめしける故に永観二年984六月廿九日の御託宣に云く、大貳の朝臣、式部大輔を兼むる事、又希有にして家の面目為り。大貳の朝臣内外共に末孫にして又信心を存す。造塔写経之大願を發するに依りて我れ深く信ず。謀を廻して當任せしむ。暫く他事を停めて早く此願を遂げよ。合力を致さんの人々、現世後生之大願皆成りて
生々世々因果熟せしめん云々」。寺家の別當松壽みつ゛からこれを記す。都督いよいよ信心を発して三年が中に多寶塔一基をたてて、胎蔵界の五佛を安んじ、法華経千部をおさめたてまつる。これを東の御塔と名付く。禅侶を置て不退のつとめをいたさる。彼卿宰府のあひだ寺家の佛神事の儀式、寺務のあるべき次第など、くはしく記しをかれて三巻書と名付て寶蔵におさめていまにつたはれり。秩滿(注4)の後、都へ歸給て長徳二年956に参議に任し寛弘六年1009十二月に八十五にてうせ給。其後神とあらはれて叢祠を庿壇の傍にひらかる。壽永三年1184三月に贈正二位の加階にあつかり給ひけり。」
注1)菅原輔正は道真の三代末裔。
注2)第六十四代円融天皇。
注3)道真公が葬られた寺、現在の太宰府天満宮。
注4)秩滿とは任期満了のこと。