承和二年(835) 六月癸卯(29日)「 勅す、当今に嘉穀初秀にして秋稼まさに実らんとす。風雨失時の如きは、恐くは損害を致さん。宜しく十五大寺常住僧をして各の本寺において、大般若経を転読し其の霊護を憑(たのま)しめよ、必ず豊稔を致さん。」 (続日本後紀)
(この頃も、
続日本後紀 / 承和元年(834)二月「辛丑(廿日) 越後国飢 振給之」
続日本後紀 / 承和元年二月「丁未(廿六日) 石見国言 去年不登 百姓飢饉 賑給之」
などと飢饉の記述が多くみられます。この頃は、朝廷は木目細かく庶民の暮らしを心配していたことが伺われます。)