福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今昔物語 釋迦如来、人界生給語  第二

2012-06-29 | 法話
釋迦如来、人界生給語 第二

今昔、釋迦如来の御母摩耶夫人、父の善覺長者と共に、春の始二月の八日、藍毘尼薗の
无憂樹下に行給ふ。夫人、薗に至り給て寶の車より下て先づ種々の目出たき瓔珞を以て身を飾り給て无憂樹下に進み至り給ふ。夫人の共に従へる綵女八万四千人也、其の乗る車十万也。大臣・公卿及び百官、皆、樣々に仕へり。其の樹の様は上より下まで等しくして葉しだりて枝に垂敷けり。半は緑也、半は青し。其の色の照曜ける事、孔雀の頚の如し。夫人、樹の前に立給て右の手を擧て樹の枝を曳取むとす為時に、右の脇より太子生れ給ふ、
大に光を放給ふ。其の時に、諸の天人・魔・梵・沙門・婆羅門等、皆悉く樹の下に充ち満てり。太子已に生れ給ひぬれば、天人、手を係け奉て、四方に、おのおの各七歩を行ぜさ
せ奉る。足を擧げ給ふに、蓮花生て足を受け奉る。南に七歩行ては无量の衆生の為めに
上福田と成る事を示し、西に七歩行ては生を盡して永く老・死を断たつ※後の身を示す。北に七歩行ては諸の生死を渡る事を示す。東に七歩行ては衆生を導く首と成る事を示す。四のすみ維に七歩行ては種々の煩悩を断じて佛と成る事を示す。上に七歩行ては不浄の者の為に穢ざる事を示す。下に七歩行ては法の雨を降して地獄の火を滅して彼の衆生に安穏の樂をうけしむる事を示す。太子、各、七歩を行じ畢て頌を説て宣はく、「我生胎分盡 是最末後身、我已得解脱 當復度衆生」。
行ずる事の七歩なる事は七覺の心を表す。蓮花の地より生ずる事は、地神の化する所也。
其の時に、四天王、天の※を以て太子を接奉て寶の机の上に置奉る。帝釋は寶蓋を取り、
梵王は白拂を取て左右に候ふ。難陀、跋難陀の龍王は虚空の中にして清浄の水を吐て太子の御身に浴し奉る、一度は温に、一度は涼し。御身は金の色にして、三十二の相在ます、
大に光明を放て普く三千大千世界を照し給ふ。天龍八部は虚空の中にして天樂を成す。天より天衣及び瓔珞乱れ落る事雨の如し。其の時に、大臣有、摩訶那摩と云ふ、大王の御許に参て太子生れ給へる事を奏聞し、又種々の希有の事を啓す。大王驚乍ら、彼薗に行幸し給ふ。時に一人の女有て、大王の来り給へるを見て薗の内に入て太子を懐奉て大王
の御許に将奉りて云く、「太子、今、父の王を敬礼し給ふべし」と。王の宣はく、「先づ我が師の婆羅門を礼して後に我を見よ」と。其の時に女人、大子を懐て婆羅門の許に将奉る。婆羅門、太子を見奉て大王に申さく、「此の太子は必ず轉輪聖王と成給べし」と。
太王、太子を具し奉りて迦毘羅衛城に入給ふ。其の城を去る事不遠ずして一の天神有り、名をば増長と云ふ。其の社には諸の釋種常に詣で礼拜して、心に稱はむ事を乞願ふ社也。大王、太子を彼の天神の社に将詣給て諸の大臣に告て宣はく、「我れ、今、太子に此の天神を礼しむべし」と。乳母太子を懐奉て天神の前に詣づる時に、一の女天神有り、名をば
无畏と云ふ。其の堂より下て太子をむかへ迎奉て掌を合せ恭敬して太子の御足を頂礼して
乳母に語て云く、「此の太子は人に勝れ給へり、努々軽め奉る事无かれ。又太子に我を
礼せ奉つる事无かれ。我れ、太子を礼し奉るべし」と。
其の後、大王ならびに太子・夫人、城に返入給ひぬ。摩耶夫人は太子生れ給て後七日有て
失給ひにけり。然れば大王より始め國擧て嘆き合へる事无限し。太子未だ幼稚に御ます間にて、たれ誰か養ひ奉らむと大王思ひ歎く。夫人の父、善覺長者、八人の娘有、其第八の娘、摩迦波闍(まかはじゃ)と云ふ。其人を以て太子を養ひ給ふ、實の母に不異ず。太子の御夷母に御す。太子の御名をば悉駄と申す。摩耶夫人は失給
て忉利天に生れ給ひにけりとなむ語り傳へたるとや。
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