福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

さきほど若い美人のお母さんが立川の公園で塵拾いをしていました

2011-02-02 | 法話
若いお母さんが立川の公園で塵拾いをしていました。小さな子を3人つれていました。子供を遊ばせがてら真剣な表情で公園内のごみを拾って大きなゴミ袋に入れていました。自転車で通りかかったのですがおもわず顔をみると美しい人でした。「トイレの神様」という歌がありますが、神様はトイレだけでなくどこにもいらっしゃるのだと思いました。

私の知り合いの新聞記者も毎朝散歩のついでにごみをひろっているそうです。以前は見知らぬ人に塵掃除用の手袋を路上でプレゼントされたといっていました。このひとはそのせいかその後もめぐまれた記者生活をおくっているようです。

わたしも以前からなにも善事を行ってないのでせめて塵拾いでもと思い散歩のときはゴミ袋をもって塵拾いを続けていますが塵拾いをするときはいつも周利槃特(しゅりはんとく)のことをおもいだします。

お釈迦さまの弟子であった周利槃特は自分の名前さえしばしば忘れるほど記憶力が悪かったので、背中に名札をはっておいたくらいといわれます。あるときお釈迦様が周利槃特を呼んで『三業に悪を造らず、諸々の有情を傷めず、正念に空を観ずれば、無益の苦しみは免るべし』(身と口と心に悪いことをせず、生き物を害せず、正しい思いに徹すれば悩みはない))という言葉を覚えさせようとしますがお釈迦様の前からひきさがった周利槃特は覚え切れません。ついにお釈迦様はあらた改めて周利槃特に一本の箒とともに「塵を払い、垢を除かん」という句を与えました。それからというもの、周利槃特は箒で各所を掃除しつつ、一心にこの「塵を払い、垢を除かん」を唱え掃除を続けました。そして何十年かの後、ついに阿羅漢となったといいます。

また大蔵経を検索すると「清浄」という句が16万回弱ヒットします。それだけ清浄ということは大切なことなのでしょう。「仏様は清浄なところをおよろこびになる」という趣旨のお経がありましたがいま出てこないので別途書くことにします。
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