「世間諸善の根本にて、人の人たる道なれば、出家在家もたもつべく、貴賤老少奉ずべし」
「世間諸善の根本」とは、およそ世界の一切の善根はこの十善戒を本として生じたるものなれば諸善を根本というなり。
「人の人たる道なれば」とは、輪王の十善、僧家の五倫五常、神道の惟神の道(かんながら)、西洋の倫理の學等凡そ人の為すべきところの道はみなこの十善より生じたる枝末細目にして、もし人がこの十善を慎み護れば世界万国ゆくとしておこなわれざるはなし(平和である)。これに反して十善に背くときは国の華夷、時の文野、人の貴賤を問はず、必ず不虞の災害を招ききたるなり。ゆえに人の人たる道といふなり。
「出家在家もたもつべく」というのは出家は世間の十善戒は勿論、すすんで二百五十戒(即ち声聞の十善戒)を保ち更に縁覚の無漏の十善をも保つべく、また大乗に説くところの菩薩の化他の十善と一乗無縁の慈悲中道の十善と、秘密の唯心三密の十善との一切の十善戒をもみな悉くこれを保つべきなり。
「貴賤老少奉ずべし」とはむかし親王の歌に「きくならく、奈落の底に入りぬれば刹利(せちり)も首陀(しゆだ)も変はらざりけり」」(注、「俊頼髄脳(12世紀、源俊頼によって書かれた歌論書)に「いふならく、奈落の底に入りぬれば、刹利(せちり)も首陀(しゆだ)も変はらざりけり(地獄の底に入ってしまうと、王族もシュードラも変わらないそうだ.
今も地獄ならば本来貴賤はないはずだ))と詠じたまへり。よくよくこの歌の真意を察すべし。およそ因果の真理は人の貴賤老少、文明野蛮を問ふことなく、善をなせば必ず現世来世に善果を招き、悪を行えば必ず現世後世に悪道に入りて無量の悪趣を感ずること、かの銅像の形に随って影を映す如し(卑劣なふるまいの国も自滅するということです)。
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