関東四番は大聖山 真福寺です。別名和田不動尊。
三十六童子のうち光網勝童子にあたります。
「和田不動の光る眼
源頼朝の重臣、和田義盛は平家追討を悲願としていたが、或る夜の夢に不動尊が現れ「我を勧請祈願すれば必ず悲願成就せん」との夢告得た。早速義盛は堂を建立し、夢に出た不動尊の姿を刻ませ、御本尊として安置した。治承元年(1177)のことである。
この当山の本尊・不動明王のご尊像は全国でも稀な、利剣を前に突き出して向けている御姿である。正面に拝すると、お不動様の目が眼光も鋭く爛々と輝いている。和田義盛の激しい気性が乗り移ったとも云われ、それだけに真剣に祈りをささげればきっと願いを叶えて下さる仏様である。
胎内からは病気平癒、身体健全の霊験を記した文書が発見されており、特に眼病をお救い下さると伝えられている。
治眼の霊験は現代でも続いている。
不運にも帯状泡疹が眼に入り光を失った妹を按じて、わらをもすがる思いで当山を訪れた方が御本尊のお守りを頂き帰ると、翌朝に突然眼が開いたという霊験を、現住職は目の当たりにしている。・・」とありました。
関東五番は金蔵寺です。日吉不動尊ともいわれます。
三十六童子では無垢光童子にあたります。
ガイドブックには
「天台五代座主智証大師円珍が不動尊を刻みさらに日枝神社も勧請して建立。円珍は生まれ故郷の讃岐金蔵郷をしのび金蔵寺とした。古来「東三井寺」「新三井寺」として鎮護国家の勅願寺であった。また塔頭二十三寺を擁する修験の一大安居道場であった。・・・大正十二年(1923)の関東大震災で堂の倒壊などの被害にあったが、当山第三十三世である大見は自ら勧進を行い、浄財・寄進を集めて本堂を千鳥破風瓦葺に改築した。
現在も先の本堂や、推定350年前に建築された庫裏を始め、大書院、観音堂、水天堂などの大伽藍が三百坪を越える地を占めるという、近隣には稀な大寺院である。
第三十四世大亮も先住の遺志を継ぎ、本堂修築や弁天堂の新築を施すなど、境内の整備に努めた。
大梵鐘やキリシタン灯籠などの文化財をはじめ、歴史ある建築物、日吉の生んだ第三十三代横綱・武蔵山武「遺愛の松」など見るべきものの多く残る古刹である。
約二万坪の境内には桜、百日紅、銀木犀などの樹々があり四季を通じて楽しめる「隠れ花どころ」となっている。
(不滅の法燈)
本堂内陣にひっそり灯り続けているのは、伝教大師最燈が灯した不滅の法燈の分燈である。
最燈が比叡山を開いた折りに灯した一筋の補の炎が、決して絶やされることなく受け継がれている。
・・丘の中腹にある横穴にも不動像を祀る。・・」とあります。
三十六童子のうち光網勝童子にあたります。
「和田不動の光る眼
源頼朝の重臣、和田義盛は平家追討を悲願としていたが、或る夜の夢に不動尊が現れ「我を勧請祈願すれば必ず悲願成就せん」との夢告得た。早速義盛は堂を建立し、夢に出た不動尊の姿を刻ませ、御本尊として安置した。治承元年(1177)のことである。
この当山の本尊・不動明王のご尊像は全国でも稀な、利剣を前に突き出して向けている御姿である。正面に拝すると、お不動様の目が眼光も鋭く爛々と輝いている。和田義盛の激しい気性が乗り移ったとも云われ、それだけに真剣に祈りをささげればきっと願いを叶えて下さる仏様である。
胎内からは病気平癒、身体健全の霊験を記した文書が発見されており、特に眼病をお救い下さると伝えられている。
治眼の霊験は現代でも続いている。
不運にも帯状泡疹が眼に入り光を失った妹を按じて、わらをもすがる思いで当山を訪れた方が御本尊のお守りを頂き帰ると、翌朝に突然眼が開いたという霊験を、現住職は目の当たりにしている。・・」とありました。
関東五番は金蔵寺です。日吉不動尊ともいわれます。
三十六童子では無垢光童子にあたります。
ガイドブックには
「天台五代座主智証大師円珍が不動尊を刻みさらに日枝神社も勧請して建立。円珍は生まれ故郷の讃岐金蔵郷をしのび金蔵寺とした。古来「東三井寺」「新三井寺」として鎮護国家の勅願寺であった。また塔頭二十三寺を擁する修験の一大安居道場であった。・・・大正十二年(1923)の関東大震災で堂の倒壊などの被害にあったが、当山第三十三世である大見は自ら勧進を行い、浄財・寄進を集めて本堂を千鳥破風瓦葺に改築した。
現在も先の本堂や、推定350年前に建築された庫裏を始め、大書院、観音堂、水天堂などの大伽藍が三百坪を越える地を占めるという、近隣には稀な大寺院である。
第三十四世大亮も先住の遺志を継ぎ、本堂修築や弁天堂の新築を施すなど、境内の整備に努めた。
大梵鐘やキリシタン灯籠などの文化財をはじめ、歴史ある建築物、日吉の生んだ第三十三代横綱・武蔵山武「遺愛の松」など見るべきものの多く残る古刹である。
約二万坪の境内には桜、百日紅、銀木犀などの樹々があり四季を通じて楽しめる「隠れ花どころ」となっている。
(不滅の法燈)
本堂内陣にひっそり灯り続けているのは、伝教大師最燈が灯した不滅の法燈の分燈である。
最燈が比叡山を開いた折りに灯した一筋の補の炎が、決して絶やされることなく受け継がれている。
・・丘の中腹にある横穴にも不動像を祀る。・・」とあります。