福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 5/14巻の8/17

2024-08-03 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 5/14巻の8/17

八、伽藍を汚す罰の事。

中古奥州五百河(福島県本宮市)と云處に一宇の寺あり。本尊は地蔵菩薩を安置す。靈感新たに在す。故に人常に歩みをはこびけり。其の近里に住みける女房日比(ひごろ)参詣しけるが或時参詣の折節人もなく心もさすが静かに念佛常よりこまやかにて居りしに、木戸七郎と云者のふと参りて此の女を見ればいかにも故ありげにある躰にて只一人何事をか祈りつらんと兎角の事をも言はず近くによりて能折節に参り合わせたり。日比(ひごろ)他事なく思ひ侍れども人目もいかがなんどと心入をも申し入り侍らすとあともなき事の方便を云て彼の女房に打ち寄りて狼藉あるありさまなり。女房詮方なく思ひ、こはいかなる事に侍る。佛寺宝前と云ふに殊に我身は夫有る身なりとさまざま口説きけれども何条さあるべきことならずとて手を引き足を取りなどするに處に七尺計りもあらんとをぼしき大の法師杖を持ちて彼の男に向ひて眼を怒る¥らして、狼藉なり、其の處立出よと制す。七郎打ち笑ひいらぬ僧の教化だてと飛んでかかりて上を下へと組み合ふ内に女は逃げ去りぬ。さて七郎いかがしけん縁の下に伏せられて、こは無念なりと刀をぬきて下より三刀指してはねかへしてにげさりぬ。明日風聞しけるは何なる狂人なれば本尊を是の如く庭に下し木佛をかやうに刀目を入れし事ぞと貴賤門前に市をなし此の者の果報いかばかりの事ならん誠に出佛身血の大罪人哉とぞ申し合へり。七郎怪み思ひ往きて見れば疑無く我が所作なり。身の毛よだちて其の侭立ち去りぬ。其の後彼の男万事不如意の義のみありて剰へ重病を受けて相果ぬ。伽藍地にて不浄を行ずる者は永く無間の業因也と如来の金言恐るべし。されば五躰不具の者、無福の輩は此の業の中より来ると大集經に説玉へり。(大方等大集經卷第三十四日藏分護持正法品第一「若有刹利婆羅門毘舍首陀。以不信故奪他所施。而彼愚人於現身中得二十種大惡果報。何者二十。一者諸天善神皆悉遠離。二者有大惡名流布十方。三者眷屬知識違背乖離。四者怨憎惡人同共聚會。五者所有資財悉皆散失。六者心狂癡亂恒多躁擾。七者諸根不具。八者睡臥不安。九者恒常飢渇。十者所食之物猶如毒藥。十一者所愛之人悉皆離別。十二者共事之人常多鬪諍。十三者父母兄弟妻子奴婢不信其言。十四者所有隱密覆匿之事。知識親友共相顯露。十五者所有財物五家分散。十六者常遇重病無人瞻視。十七者資生所須常不稱意。十八者形體枯悴。十九者久受勤苦難得免離。二十者常處糞穢乃至命終」)。然りと雖も一旦の罪報を得て遂に逆縁の功力にあつ゛かり万劫の後佛道に入らしめ玉ひけん事の久さよ。罪を怖れ佛を敬奉って早く善果を得べし。遅速は唯已の心の信不信に依るべし。行願を薄くして諸佛の本誓をうらむる事なかれ。闡提救世の悲願には瓦礫變じて清涼となる。清浄心を発し敬禮せば何ぞ成就せざらんや慎むべし々々。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日は寂厳入寂の日 | トップ | 先祖の魂も徳も子孫に伝わる »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

先祖供養」カテゴリの最新記事