福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

佛教人生読本、(岡本かの子)より・・その18

2014-02-24 | 法話

第一八課 勇気


 勇気はその背後に信念がついていなければ正当に保つことも、永続させることも出来ません。論争するにしても、争闘するにしても、あるいは貧苦、煩悩を征服しようとしても、何か一定不変の信念を持たなかったなら、折角奮闘努力しようとする勇気も正当の勇気とならないで、蛮勇となり乱暴とさえなり終るのであります。正義の戦とか、御国のためとか、陛下の御ためとか、あるいは自分の奉ずる正しい主義のためとか、そういう確信を以て奮う勇気は、常に正々堂々として世の亀鑑てほんとなり、しかもその勇気は、撓まず滅せず、いやさらに燃えさかるのであります。
 楠正成が湊川の戦いに、みすみす負け戦と判っていながら、勇気凜々と戦場に立ち向ったのは、正成の心中、唯一点、忠君の念があったからであります。そして、戦敗れ、自刃する際に臨んで「七度この世に生れて君恩に報いん」とさえ誓っております。何という素晴しい勇気でしょう。「信念は人を鉄にす」という諺を立証した好よき例であります。
 古今東西に亘って輩出した哲人、偉人、英雄の殆んど大部分が、それぞれ信仰を以て心身の拠りどころとし、充分の活躍をなしたのは明白な事実であります。昔の名僧などで、信念の凝り固まったものには、悪人強盗はもちろん、猛獣毒蛇でさえ近寄れなかったと言い伝えられています。その際の名僧の畏れざる態度こそ一見消極的に見えますけれど、なかなか凡人に出来にくい沈勇というものであります。沈勇を持する人は非常に落ち付いて、しかも堂々たる威力をそれとなく発揮しているものであります。
 凡人の心は、苦難に際し、誘惑迷妄に際し、誠にぐらつきやすいものです。その凡心を以て――日常しなれた事をなすには凡心で結構かも知れませんが――少くとも一大事業を成し遂げようとするならば、まず何かしっかりした信念を掴んでかからないと結局失敗してしまいます。明治維新の際から日清、日露の戦役当時にかけて、盛んに活躍した豪勇の将士たち、沈勇の大政治家たちの殆んど大部分は、あるいは禅により胆たんを練り、あるいは浄土宗、浄土真宗により心身を仏に委託し、あるいは日蓮宗により宇宙の生命力を唱題によって心身に享け容れた人たちでありました。中には自室や庭園内に仏像を安置したり、堂を建立して仏、菩薩を祀り、礼拝を怠らなかった人々もあります。その人たちの偉大な勇気の源泉が、仏教信仰にあったということは、私たちの生活に、如何に信仰が重大な役目を演ずるかを示すものであります。(「国家の品格」で数学者藤原正彦氏は宗教心の厚い、品格のある国が栄えると喝破しました。ドラッカーは「経営者は、学習して身につけることはむつかしいがどうしても持っていなければならないものがある、それは品格である」といいました。古来各界の本物のリーダーとして歴史に残っている人たちは篤い宗教心をもっていました。古くは三蔵法師を庇護し「貞観政要」を著した唐の太宗、「篤く三法を敬え」とおっしゃった聖徳太子、民衆の罪深さに対し自らの不徳を反省し真言密教の大阿闍梨となった宇多天皇等の例がありますが近代でも財閥の創始者はみな深い仏心を持っていました。
住友財閥の創始者は涅槃宗僧侶の住友正友です。旨意書「浮利に趨り軽進すべからず」は有名です。 昔は住友財閥の理事には座禅をやってなければなれませんでした。大阪茶臼山の住友本家には禅堂があったということです。最近でも住友金属元社長田中外次は一橋大の座禅会如意団の出、住友生命横山進一社長は40年以上朝晩1時間座禅を組んでいると新聞に紹介されています。
また三井財閥の創始者三井高利は「現銀掛け値なし」という新商法を掲げ、呉服の価格を下げ、また、呉服は反物単位で売るという当時の常識を覆し、切り売りをして大成功しましたがこれは母親の厚い信仰心によっています。客は皆佛性をもっており同じように尊いのだから相手により商いを変えてはならないという母親の考えから出た商法です。
 伊藤忠の創業者伊藤忠兵衛は西本願寺津村別院に従業員と毎朝参拝するとともに蓮如上人を慕う酬徳会を設立しています。キャノン創始者吉田五郎は熱心な観音信者で国産初のカメラをKWANONと名ずけました。)
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