第三章 さとりの心
第二節 かくれた宝
二、人々はこの本来備わっているさとりの仏性にそむいて、煩悩のちりにとらわれ、ものの善し悪しの姿に心を縛られて不自由を嘆いている。
なぜ人々は本来悟りの心をそなえていながらこのように偽りを生み、仏性の光を隠し、迷いの世界にさまよっているのか。
昔ある男が、ある朝、鏡に向かって自分の顔も頭もないのにあわてて驚いた。しかし顔も頭もなくなったのではなく、それは鏡を裏返しに見ていたにすぎなかったのである。
さとりに達しようとして達せられないからといって、苦しむのは愚かである。さとりの中に迷いはないのであるが、限りない長い時間に、外のちりにうごかされて妄想を抱き、その妄想によって迷いの世界を作り出していたのである。
だから妄想がやめば、さとりはおのずとかえってきて、さとりのほかに妄想があるのではないとわかるようになる。しかも不思議なことに、ひとたびさとったものには妄想はなく、さとられるものもなかったことに気ずくのである。
第二節 かくれた宝
二、人々はこの本来備わっているさとりの仏性にそむいて、煩悩のちりにとらわれ、ものの善し悪しの姿に心を縛られて不自由を嘆いている。
なぜ人々は本来悟りの心をそなえていながらこのように偽りを生み、仏性の光を隠し、迷いの世界にさまよっているのか。
昔ある男が、ある朝、鏡に向かって自分の顔も頭もないのにあわてて驚いた。しかし顔も頭もなくなったのではなく、それは鏡を裏返しに見ていたにすぎなかったのである。
さとりに達しようとして達せられないからといって、苦しむのは愚かである。さとりの中に迷いはないのであるが、限りない長い時間に、外のちりにうごかされて妄想を抱き、その妄想によって迷いの世界を作り出していたのである。
だから妄想がやめば、さとりはおのずとかえってきて、さとりのほかに妄想があるのではないとわかるようになる。しかも不思議なことに、ひとたびさとったものには妄想はなく、さとられるものもなかったことに気ずくのである。