福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「イスラム国」というテロ組織が世界中に蔓延する危険があります。

2014-09-17 | 法話

ニュースを見ていると、「イスラム国」というテロ組織が世界中に蔓延する危険があります。無責任な評論家が「イスラム教の教えに純粋に従えばこういう殺人も許され、信者も世界中で増える」といっていました。とんでもありません。しかし日本でもオウム真理教が出たという土壌があります。こういう間違った教えで日本国が混乱しないよう、最低限の民族としての共通の神話を日本人なら確認しておくべきです。それは古事記と日本書紀にありますが端的にまとめているのは「大祓詞(おほはらへのことば)」です。大祓詞(おほはらへのことば)をできれば毎朝神棚に唱えるべきです。仏壇のお勤め終わった後でいいので。ここに大祓詞と最後にその意味を載せておきます。



大祓詞(おほはらへのことば)  神拝詞(神社本庁)

 

高天原に神留り坐す 皇親 神漏岐 神漏美の命以て 八百萬神等を神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて 我が皇御孫命は 豊葦原瑞穂國を 安國と平らけく知ろし食せと 事依さし奉りき 

たかまのはらにかむづまります すめらがむつかむろぎ かむろぎのみこともちて やほよろづのかみたちをかむつどへにつどへたまひ かむはかりにはかりたまひて あがすめみまのみことは とよあしはらみづほのくにを やすくにとたいらけくしろしめせと ことよさしまつりき 

(高天原におられる、皇室の御祖先のカムロギノ命(高御産霊神たかみむすびのかみ)カムロミノ命(神産霊神かみむすびのかみ)のご命令で、八百万の神等を天の安の河原に御集めになり、大国主命の国譲りの件、天孫ニニギノ命の豊葦原瑞穂の国(日本)への御降臨の件などが議題としてあげられ、真剣な話し合いがなされた結果、大国主命は国を譲る事を快諾せられ、ニニギノ命の祖母の天照大神は「吾が天孫、ニニギノ命は、子々孫々にわたってこの日本の国を平和な国になるように真剣に御統治なさい」とお任せになられた。)



此く依さし奉りかくよさしまつりし國中に 荒振る神等をば 神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 語問ひし 磐根 樹根立 草の片葉をも語止めて 天の磐座放ち 天の八重雲を 伊頭の千別きに千別きて 天降し依さし奉りき 

かくよさしたてまつりしくぬちに あらぶるかみたちをば かむとはしにとはしたまひ かむはらひにはらひたまひて こととひし いはね きねたち くさのかきはをもことやめて あめのいはくらはなち あめのやへぐもを いつのちわきにちわきて あまくだしよさしまつりき 
(しかし、その時点においてもなお、神神がお任せになられたとはいえ、国内には恭順の意を示さない、数多くの荒々しい神様等(国津神)が居られたので、ニニギノ命はある時は説得にあたり、それでも御従いになられない場合は、実力行使で排斥された。その結果、言葉をしゃべる、岩石、樹木、至る所に生い茂る草の葉までもが、話を止め、命令に従うようになった。そこで、ニニギノ命は、天の玉座をお立ちになり、沢山のお供をお従えになられて、幾重にも折り重なった分厚い雲を、激しい勢いで千切るように、掻き分けに掻き分けられて、日向の高千穂の峰に天降りになられた。)

此く依さし奉りし四方の國中と 大倭日高見國を安國と定め奉りて 下つ磐根に宮柱太敷き立て高天原に千木高知りて  

かくよさしまつりしよものくになかと おほやまとひだかみのくにをやすくにとさだめまつりて したついはねにみやばしらふとしきたてたかまのはらにちぎたかしりて (瓊瓊杵尊はこのようにして、天降りになられた、日本の国の中央に位置するとの理由で倭の国を安国と定められて、倭の中心に宮殿建設の計画を立てられた。この宮殿は、地下の岩盤に達するほど深い穴を掘り、太い柱をどっしりと建て、また屋根にそびえる千木は雲にその先を突っ込んでいると思われるくらい、高々と聳え立つ、とても立派な宮殿であった。)

 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて 天の御蔭 日の御蔭と隠り坐して 
すめみまのみことのみづのみあらかつかへまつりて あめのみかげ ひのみかげとかくりまして(皇祖神は瓊瓊杵尊と子孫にみずみずしい立派な御殿をつくられ、ご自身は天の蔭、日の蔭となる壮大な宮殿にお隠れあそばして、その壮大なお姿をお見せにはならなかった。) 


安國と平けく知ろし食さむ國中に成り出でむ天の益人等が 過ち犯しけむ種種の罪事は 天つ罪 國つ罪 許許太久の罪出でむ

やすくにとたいらけくしろしめさむくぬちになりいでむあめのますびとらが あやまちをかしけむくさぐさのつみごとは あまつつみ くにつつみ ここだくのつみいでむ(皇祖神はこうお考えになった。平和になった日本の新しい子孫たちは過って天津罪、国津罪等多くの罪を犯すであろう)

此く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打ち切り 末打ち断ちて 千座の置座に置き足らはして天つ菅麻を 本刈り断ち 末刈り切りて 八針に取り辟きて 天つ祝詞の太祝詞を宣れ 

 かくいでば あまつみやごともちて あまつかなぎをもとうちきり すゑうちたちて ちくらのおきくらにおきたらはして あまつすがそをもとかりたち すゑかりきりて やはりにとりさきて あまつのりとのふとのりとごとをのれ(このように多くの罪がでるようになれば高天原の天照大神の宮殿の天津宮事に倣って、天つ金木の本を打ち切り 末を打ち断ちて机の上に置き、 清麻を刈り 末を刈り切りて 沢山の針のように裂いて、天津祝詞の太祝詞を奏上しなさい )

此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披きて 天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞こし食さむ 國つ神は高山の末 短山の末に上り坐して 高山の伊褒理 短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ 

かくのらば あまつかみはあめのいはとをおしひらきて あめのやへぐもをいつのちわきにちわきて きこしめさむ  くにつかみはたかやまのすゑ ひきやまのすゑにのぼりまして たかやまのいぼり ひきやまのいぼりをかきわめてきこしめさむ(このように奏上するならば、天津神は天の岩戸を押し開いて、天の八重雲を激しく掻き分けてお聞きくださるでしょう。国津神は高い山や低い山の頂上にお登りになられて、高い山低い山の庵を掻き分けてお聞きくださるでしょう。このようにお聞きくださいましたならば、もう罪という罪はこの世には存在しないのだと、偉大なる宣言がなされるでしょう。)
 
此く聞こし食してば 罪と言ふ罪は在らじと 科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く 朝の御霧夕の御霧を 朝風 夕風の吹き払ふ事の如く 大津辺に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く 彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて 打ち掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を  

かくきこしめしてば つみといふつみはあらじと しなどのかぜのあめのやへぐもをふきはなつことのごとく あしたのみぎり ゆふべのみぎりをあさかぜ ゆふかぜのふきはらふことのごとく おほつべにをるおほふねをへときはなち ともときはなちて おほうなばらにおしはなつことのごとく をちかたのしげきがもとを やきがまのとがまもちて うちはらふことのごとく のこるつみはあらじとはらへたまひきよめたまふことを( このように天津神・圀津神がきこしめせば罪という罪は一切消えるであろう。丁度それは、高い山から吹き降ろす強風が分厚く幾重にも重なり、どんよりと垂れ込めた雲でさえ吹き飛ばしてしまうように、朝霧夕霧を朝風夕風が吹き飛ばしてしまうように、大きな港に停泊している大きな船の艫綱(ともづな)を解き、錨をあげて大海原へ押し放ってしまうように、向こう岸に生い茂っている沢山の樹木の根元を充分に焼きを入れた鋭い鎌で伐採し尽くしてしまうように、もう残っている罪は無いのだよと、祓いに祓い、清めに清められるでしょう。)

高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ 速川の瀬に坐す瀬織津比賣と言ふ神 大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す速開都比賣と言ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば 気吹戸に坐す気吹戸主と言ふ神 根底國に気吹き放ちてむ 此く気吹き放ちてば 根國 底國に坐す速佐須良比賣と言ふ神 持ち佐須良ひ失ひてむ 此く佐須良ひ失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 天つ神 國つ神 八百萬神等共に 聞こし食せと白す


たかやまのすゑ ひきやまのすゑより さくなだりにおちたぎつ はやかわのせにますせおりつひめと
いふかみ おほうなばらにもちいでなむ かくもちいでいなば あらしほのしほのやほぢのやしほぢのしほのやほあひにます はやあきつひめといふかみ もちかかのみてむ かくかかのみてば いぶきどにますいぶきどぬしといふかみ ねのくに そこのくににいぶきはなちてむ かくいぶきはなちてば ねのくに そこのくににますはやさすらひめといふかみ もちさすらひうしなひてむ かくさすらひうしなひてば つみといふつみはあらじと はらへたまひきよめたまふことを あまつかみ くにつかみ やほよろづのかみたちともに きこしめせとまをす(そのお祓いになられた罪穢れを、高い山や低い山の頂上から、ごうごうという落下音を立てて盛んに水を落とし、流れている滝のある流れの速い川の上流にお住いのセオリツヒメと言う神様が、大海原に持って出てお行きになられるでしょう。このように持って出てお行きになられたならば、激しい流れの寒流と暖流が幾重にもぶつかり合って大きな渦潮がいくつも生れるような荒海にお住いのハヤアキツヒメと言う神様ががぶがぶと飲み込まれておしまいになるでしょう。このようにがぶがぶと飲み込まれてしまいましたら、生命の息吹が発生すると言う息吹戸にお住いのイブキドヌシと言う神様は、この世の根源の世界まで、激しく息吹き放っておしまいになられるでしょう。
このように息吹放っておしまいになられたならば、根源の世界にお住いの、ハヤサスラヒメと言う神様がどこか遥か彼方へ持ち去られ、さすがの罪穢れも失われてしまう事でしょう。
このように失われてしまったのだから、もうどこを探しても、罪という罪はことごとく存在しないのだと、このように祓え給い清め給えと申し上げます事を天津神国津神を始めとする、八百万の神様等お聞きくださいと申し上げます。)









 


その宮殿の中で、命は朝も夜も、昼夜を問わず御政務に、御祭祀にとお励みになられた結果、国内の政治は安定し、産業は目覚しく発展し、出産ブームに沸き立ち、沢山の子供が生まれ人口は飛躍的に増加の一途を辿ったが、その反面、犯罪を犯すもの、争いを起こすものが増え社会問題にまで、発展した。その犯罪の種類は、自然破壊の罪、人倫の規範を破る罪など数限りないトラブルであった。それらの大量発生は、朝廷政治の大きな悩みの種に成りつつあった。

このように、さまざまの犯罪が発生したので天津神は救いの手を差し伸べられた。その方法とは、天上界で執り行われる儀式にのっとって、天津金木(神聖な硬い木)の本や末を切断し、沢山の置物の上に並べ、天津菅麻の本と末を刈り断って、。と高々と宣言がなされました。

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