福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験その139

2014-09-16 | 四国八十八所の霊験
遍路のみでなく写経、滝行やお寺で拝むときもじつは拝むたびに即身成仏しているのではないかと思います(当然密教修法をするときはその都度、即身成仏してご本尊そのものになるわけですが)。そしてそういう縁に出会ったことそのものがすでにお蔭をいただいたことになるのだと思い至りました。

四国遍路では何度泣いたかわかりません。
 「なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」。
 これは一休さんの歌とか天台慈円大師の作とか西行さんの歌とかいわれていますがこの思いは四国遍路に皆共通のものです。大般涅槃経には「仏を信ずる心は人の心の底に横たわっている仏性の表れである。 なぜかといえば仏を知るものは仏であり、仏を信ずるものはほとけでなければならないからである。・・・信を得たものはその信が遠い昔に仏の慈悲によってすでにその因縁が植え付けられていたものであることを知らなければならない。・・・信を得て遠い昔に仏が与えられた深い因縁を喜び厚い仏の慈悲を喜ぶものは、この世の生活そのままに仏の国に生まれることができる」とあります。


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