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通常61,62,63番を打ってから難所60番横峰寺を打ちます。60番横峰寺は四国随一の難所といわれています。
横峰寺は石槌山(1982m)の途中にあります。
白雉2(651)年、役行者が石槌山に蔵王権現を感得し、お堂を建てたがそのあと大師が弘仁年間星が森で星供をされた時大日如来を感得され、ご本尊にして寺を建立されたのが始まりとつたえられています。
最初の遍路の17年はガイドブックに従い63番の横から比較的整備された道を登ったので標高745mの横峯寺には予定より早く、昼前に着きました。
ただ至る所台風で倒された木や土砂崩れが残っており壮絶な自然の力を思い知らされました。道の下の土砂が数十メートル下まで崩れていて危険を感じるところもありました。
他の多くの札所の山道もまだ台風の爪あとを残していました。
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ここ数年天変地異が多発しました。強烈な地震、台風、異常気象が我々を次々に襲いました。23年には末代まで残る大震災と原子力事故、中国等の領土侵害まで起こっています。是を書いている26年春にはマレーシア機の事故、韓国客船事故、ウクライナの緊迫等もおこり、地球上の悲惨な事件事故が頻発しています。30年にも多くの自然災害で犠牲者がでています。
当事者の方々のことを思うと身の置き所もない気持ちです。
仏教では「共業」(ぐうごう)といいます。京都一灯園の西田天香師は問題を抱える人すべてに対し「私が悪うございました」といったそうです。 寛平の治を実現された宇多天皇は「民の罪悪は自分の徳が足りないためだ」とされ899年、東密根本法流の一つ広沢流の祖、益信から灌頂を受けて真言僧になられました。(その後、天台、真言諸流の伝授を受け事相に通じ広沢流の第二祖にもなられました。仁和寺の開祖でもあります。)
指導者層はもとより責任重大ですが、我々一人一人も継ぎ目の無い一つの業の世界を形成しているのですから無関係とはいえません。
天台宗や日蓮宗では「一念三千」といい、万法(すべてのものごと)はわが心の影なりといいます。
ダライラマも世界平和は一人一人の心が慈悲心に満たされなければ実現しないということを説いておられます。ここにあります。
すべて我々一人一人の心に事件事故の責任があるということです。自分は常に正しい、他が悪いとおもっているとすればそれは愚か者の考えです。 しかし常に自己を正当化してないとなぜか不安なのが我々愚者の愚者たる所以でもあります。
仁王護国般若経に「国土の中に無数の鬼神あり、一一に無量の眷属あり、もしこの経を聞かば国を守らん。もし国乱れんと欲せんときは鬼神まず乱る。鬼神乱るるが故に即ち万人乱る。・・・天地変化し日月衆星時を失し度を失し大火大水及び大風等あらん。」鬼神とは諸の真理を覚ってない霊魂、夜叉とか亡霊です。鬼人を成仏させていなければ国が乱れるということです。いまの日本で成仏できている霊がどの程度あるかは疑問です。指導者層を含め生きている我々が深い迷いの只中ですから鬼人も迷っているでしょう。僧侶の責任は重大です。私は遍路の時は親類縁者の数十家をリストアップして寺寺で供養するとともに「衆生無辺誓願度」「願わくはこの功徳を以て普く一切に及ぼし・・」と唱えることにしています。