最近思うようにならないことが続きましたが、道路掃除や寄付などの細々とした善行は続けています。最近ではその功徳を求めるのではなく、道にゴミが溜まっていたり、困っている人を見かけたりすれば自然と人助けをせざるを得ない気持ちになっています。梁の武帝の様に功徳を求める気持ちはとっくに諦め捨てています。そしていつも道路掃除の時は「恨みに報いるに徳を以てす」と呟いています。此の恨みとは思うようにならなかったことへの神仏への恨みです。しかし神仏をうらむなどということは畏れ多いことです。仏典には「恨みに報いるに徳(善)を以てす」れば全体に功徳が行き渡ると書いてありました。この言葉に救われます。
「成實論」「慈を行ずる者は慈心の果報を以て一切を饒益す。所謂、風雨隨時、日月星宿不失常度、大海不溢、大火不燒、大風不壞、此れ皆な慈の果報力なり。經中に、若し一切世間、皆慈心を行ずれば、則ち所欲自然なりと説くが如し。」
「雑寶蔵経二九・龍王偈縁」「若し怨を報ぜんと欲せば應に善を加へよ。 應に惡を以て毀害すべからず。智者は怨に報ずるに皆な慈を以てす。天地及び山海を擔負し 此の擔を乃ち輕しとせば恩重に背く。 一切衆生平等の慈 是を第一最勝樂と為す。」
「老子・徳経・恩始第六十三」「無為を為とし、無事を事とし、無味を味とす。小を大となし、少を多となし、怨に報ゆるに徳を以てす。難を其その易きに図り、大を其その細と為す。天下の難事は必ず易きより作り、天下の大事は必ず細より作る。是を以って聖人は終に大を為す。故に能く其の大を成す。」