平成20年の「法光」に松原泰道師の「一人一人の位牌拭く」という法話がのっていました。
・・・和歌山県新宮市へ布教に行ったおり、土地の旧家を訪れた。旧家であるだけに30本余りの位牌が祀られていた。・・その家の70歳余りの老婦人が次のような話をしてくださった。「ある年お盆がちかずいて新しい布で御位牌を拭いていると幼稚園から帰ってきた孫が、一本一本の位牌について『この位牌はだあれ』とききます。そのうちある一本をとりあげてこ『これはだあれ』ときいたので『それはあなたのお兄ちゃんよ、あなたはお兄ちゃんに抱かれこともないしお兄ちゃんの顔もしらないけれど、お兄ちゃんなのよ・・・』というと孫は『お兄ちゃん、お兄ちゃん』とその位牌をしっかり抱きしめて部屋の中を走り回りました。・・・私(おばあちゃん)は胸の迫る思いで、『盆ちかし一人一人の位牌拭く』と口ずさみました。」
こうしてみると今はやりの散骨や樹木葬でお墓も位牌もないうちでは先祖の教育はどうなることでしょうか・・と思います。
・・・和歌山県新宮市へ布教に行ったおり、土地の旧家を訪れた。旧家であるだけに30本余りの位牌が祀られていた。・・その家の70歳余りの老婦人が次のような話をしてくださった。「ある年お盆がちかずいて新しい布で御位牌を拭いていると幼稚園から帰ってきた孫が、一本一本の位牌について『この位牌はだあれ』とききます。そのうちある一本をとりあげてこ『これはだあれ』ときいたので『それはあなたのお兄ちゃんよ、あなたはお兄ちゃんに抱かれこともないしお兄ちゃんの顔もしらないけれど、お兄ちゃんなのよ・・・』というと孫は『お兄ちゃん、お兄ちゃん』とその位牌をしっかり抱きしめて部屋の中を走り回りました。・・・私(おばあちゃん)は胸の迫る思いで、『盆ちかし一人一人の位牌拭く』と口ずさみました。」
こうしてみると今はやりの散骨や樹木葬でお墓も位牌もないうちでは先祖の教育はどうなることでしょうか・・と思います。