4月14日福聚講の坂東霊場2回目の参拝を始めました。
簡単に記録しておきます。
第一番 大蔵山 杉本寺は、前回より一時間早く九時過ぎに到着しました。正面の苔むして千年以上の巡礼者により踏まれて大きくくぼんだ石段は通行止めになっており迂回路が設けられていました。人気が少なかったためか前回は入れなかった本堂にもあげていただけました。中央奥には秘仏の十一面観世音様が三体お祀りされています。中央は行基菩薩作の十一面観音様、両脇にそれぞれ慈覚大師作の十一面観音様、恵心僧都作の十一面観音様です。右わきの宅間法眼作の毘沙門様の前で一同ご法楽をささげました。こんなすごい本堂に上げていただけたということで早速観音様のお蔭をいただいた気がしました。
二番 海雲山 岩殿寺もご本尊は十一面観音様です。奥ノ院は本堂裏手です。奥ノ院の祠の中にはいってお経をあげました。この祠が、ご詠歌「たちよりて天の岩戸を押し開き 仏を頼む身こそたのしき」にいう『天岩戸』であろうと思いました。偶然そこにおまいりされていた千葉から来たという女性の方も一緒にお経をあげてくれました。こういうだれとでも安心して打ち解けられるところがお参りのありがたいところです。そういえば今回は白衣の巡礼姿の方と多く行き違いました。前回ではなかったことのように思います。それだけ人々の祈りが深くなってきているということだとするとありがたいことです。
三番 祗園山 安養院 はご本尊は千手観音様です。本堂の背後に大小二基の宝篋印塔があり、鎌倉最古のものとして重文に指定されています。大きい方が尊観上人の培、小さい方が北条政子のものといいます。政子の塔には「二位政子御法号安養院殿如実妙観大禅定尼」と刻まれておりこれから「安楽寺」という寺号をとっています。「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経」には宝篋印陀羅尼を収めた塔を供養すれば福徳・延命、極楽往生等のおかげを受けると書かれており、中国、日本で盛んに造塔されたものです。
四番 海光山 長谷寺、ご本尊は十一面観音様。いつもながらその威容に圧倒されます。養老4年(720年)徳道上人が、大和の国初瀬(長谷)の山中で見つけた一本のの霊木から二体の十一面観世音菩薩像を造らせ、一体を奈良長谷寺に、一体を海に流したがこれが鎌倉に漂着したので安置したのが鎌倉長谷寺のはじまりとされます。奈良長谷寺のご本尊とまったく瓜二つの威容です。ただここでは奈良長谷寺と違い、おみ足に触らせていただくことはできません。宝物館ではこの地から出土した光明真言等の陀羅尼が梵字で書きつけてある千年以上前の人骨を展示してあります。骨を故人の魂を成仏させるためのツールとして扱っていたことに改めて我が意を得たりと思いました。骨は粗末に扱うべきではないのです。散骨や樹木葬などとんでもないということです。今回はこの梵字人骨の展示を見ることができただけでも大変な収穫でした。
簡単に記録しておきます。
第一番 大蔵山 杉本寺は、前回より一時間早く九時過ぎに到着しました。正面の苔むして千年以上の巡礼者により踏まれて大きくくぼんだ石段は通行止めになっており迂回路が設けられていました。人気が少なかったためか前回は入れなかった本堂にもあげていただけました。中央奥には秘仏の十一面観世音様が三体お祀りされています。中央は行基菩薩作の十一面観音様、両脇にそれぞれ慈覚大師作の十一面観音様、恵心僧都作の十一面観音様です。右わきの宅間法眼作の毘沙門様の前で一同ご法楽をささげました。こんなすごい本堂に上げていただけたということで早速観音様のお蔭をいただいた気がしました。
二番 海雲山 岩殿寺もご本尊は十一面観音様です。奥ノ院は本堂裏手です。奥ノ院の祠の中にはいってお経をあげました。この祠が、ご詠歌「たちよりて天の岩戸を押し開き 仏を頼む身こそたのしき」にいう『天岩戸』であろうと思いました。偶然そこにおまいりされていた千葉から来たという女性の方も一緒にお経をあげてくれました。こういうだれとでも安心して打ち解けられるところがお参りのありがたいところです。そういえば今回は白衣の巡礼姿の方と多く行き違いました。前回ではなかったことのように思います。それだけ人々の祈りが深くなってきているということだとするとありがたいことです。
三番 祗園山 安養院 はご本尊は千手観音様です。本堂の背後に大小二基の宝篋印塔があり、鎌倉最古のものとして重文に指定されています。大きい方が尊観上人の培、小さい方が北条政子のものといいます。政子の塔には「二位政子御法号安養院殿如実妙観大禅定尼」と刻まれておりこれから「安楽寺」という寺号をとっています。「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経」には宝篋印陀羅尼を収めた塔を供養すれば福徳・延命、極楽往生等のおかげを受けると書かれており、中国、日本で盛んに造塔されたものです。
四番 海光山 長谷寺、ご本尊は十一面観音様。いつもながらその威容に圧倒されます。養老4年(720年)徳道上人が、大和の国初瀬(長谷)の山中で見つけた一本のの霊木から二体の十一面観世音菩薩像を造らせ、一体を奈良長谷寺に、一体を海に流したがこれが鎌倉に漂着したので安置したのが鎌倉長谷寺のはじまりとされます。奈良長谷寺のご本尊とまったく瓜二つの威容です。ただここでは奈良長谷寺と違い、おみ足に触らせていただくことはできません。宝物館ではこの地から出土した光明真言等の陀羅尼が梵字で書きつけてある千年以上前の人骨を展示してあります。骨を故人の魂を成仏させるためのツールとして扱っていたことに改めて我が意を得たりと思いました。骨は粗末に扱うべきではないのです。散骨や樹木葬などとんでもないということです。今回はこの梵字人骨の展示を見ることができただけでも大変な収穫でした。