「阿字の子が 阿字のふるさと立ち出でて また立ちかえる阿字のふるさと」・・・我々は阿字から出て阿字に帰るのですが、これを体得するのが阿字観です。
阿字観に通じる霊験談もあります「宇治拾遺物語」です。
「貧しき俗、仏性を観じて富めること」に、「今は昔、唐の辺州に一人の男あり。家貧しくして宝なし。妻子を養ふに力無し。もとむれども得ることなし。・・ある僧にあひて宝を得べき事を問う。知恵ある僧にてこたふるよう「汝、寶を得んとおもはば、ただ實(まこと)の心をおこすべし。さらば寶も豊かに、後生はよきところに生まれなん」といふ。このひと「まことのこころとはいかが」と問へば、僧「仏法を信ずるなり。・・吾心はこれ仏なり、我が心をはなれて仏なしと。しかれば我が心の故に仏はいますなり」といへば、手をすりて泣く泣く拝みてそれより此事を心にかけて夜昼思ひければ、梵、釈(梵天、帝釈天)諸天来りてまもり給へば、はからざるに宝出で来て、家の内豊かになりぬ。命終わるに、いよいよ心、仏を念じ入りて、浄土にすみやかに参りてけり。」とありました。
覚鑁上人「阿字観」には「もし諸仏を見奉らむと思ふ人、諸仏を供養せむと思ふ人、菩提を証せんと思ふ人、諸仏の出生に遇いたてまつらむとおもふ人、一切衆生を利益せんと思ふ人、一切悉地を得むと思ふ人、一切智を得むと思ふ人、無上菩提を証得せむと思ふ人、此の如き事を得むと思ふ人は、ただ、別の法なし。此の阿字を観ぜば、速やかに如上の諸願悉く成就すべし。」とあります。
阿字観次第
1.着座
手を洗い口を漱ぎ心身を清め合掌して座に着く。 半跏座(胡坐をかき右足を左足に乗せる)でよい。法界定印(右手をうえに重ね膝の上に置く、親指同士は合い支える)目は細めにして鼻柱をみる。
2.「誓願」
合掌して
衆生無辺誓願度
福智無辺誓願集
法門無辺誓願学
如来無辺誓願事
菩提無上誓願証
と唱える。
3、胎蔵界真言「あびらうんけん」を百回唱える。
4、「調息」
腹式呼吸、吐く息をできるだけ長く。
鼻からすっと吸い少し開いた口から細く長く出す。
舌は上顎に着ける。しばらくして口を閉じ鼻で呼吸する。
5、自身も自心も阿字となる。(「胸中に阿字を観ずれば自身即阿字となる。阿字即自心なり。かくのごとく観ずれば心境不二にして縁慮亡絶す。」「この阿字に空、有、不生の三義あり。空とは森羅万法皆自性なければ是まったく空なり。然れども因縁に従って仮諦現じて万法歴然としてこれあり。たとえば如意宝珠の七珍万寶を湛えて、縁にしたがって宝を雨降らすが如し。玉を破って中をみるに一物もこれなし。然りといへども縁にしたがって宝を生じて万寶無きにあらず。これをもって知りぬ空、有全く一体なり。」「三毒(貪瞋痴)自然に清浄にして離散すれば苦しむことこれなし。」「この観に入る者は安楽を得て世間の苦悩を離る。是を解脱となずく。いかにいわんや観達するときは生死において自在なるべし。これを即身成仏と為す。」((阿字観用心口決))
6、
満月の中に自分がいる。そのうち月と一体化、お腹から出る「アー」の声が自分のいる満月の中に響き渡る。
7、広観
「始めには一肘量に月輪の分斎を観じ、後には漸漸にのべて三千大千世界、乃至法界宮に遍ず。」同上)
自分と一体化した満月はどんどん大きくなり
地球大・・・太陽系大・・・銀河系大・・・宇宙大、そして過去現在未来、仏界、衆生界、地獄界をも覆う。自己と他者すべてが阿字でありこれらの間のすべての境が消失しとけあう。「アー」の声のみ宇宙に満ち満ちている。
8、「斂観、出定」阿字はだんだん小さくなり元へ戻る。このとき広観でとりこんだ大宇宙がそのまま縮小されてこのなかに入っていると観念。すなわち全宇宙がじぶんの体に入っている。