今日は西田 幾多郎の誕生日です。西田 幾多郎は1870年5月19日(明治3年4月19日) 加賀国河北郡森村(現在の石川県かほく市森)の大庄屋の子として誕生しています。
西田家の菩提寺は真宗大谷派で、信心深い母親が幾多郎にお乳を飲ませるときに、必ず歎異抄(あるいは「御文章」)を暗記させたということです。西田自身は次のようにいっています。「自分は臨済禅をやったが、生家は真宗であり、特に母は信心深かったので少年時代から親鸞は未知ではなかった。長じて歎異抄を読んで心を打たれた。」
以下ウキぺデアに依ります。
「肉親(姉・弟・娘2人・長男)の死、学歴差別、実家の破産、妻との離縁など、多くの苦難を味わい、・・・思索に耽った。20代後半の時から十数年間徹底的に修学・修行した。
洗心庵の雪門玄雪、滴水、広州、虎関の諸禅師に就き、臥龍山雪門老師(高岡国泰寺の管長、鈴木大拙も指導)に参禅、雪門老師から寸心居士の号を受け後、京都大徳寺孤蓬庵広州老師に参じ、無字の公案透過、 富山県国泰寺で瑞雲老師に参じる等々。]
その頃の思索が結晶となり、『善の研究』(弘道館、1911年1月)に結実。
その『善の研究』第三編には
「永遠普遍なる神なる根底実在(=一なる精神)の自由意志からすべてのすべてが生成発展しているのがこの大宇宙の姿であり、大自然の姿であり、また太陽であり、月であり、地球であり、その中で生かされているあらゆる生命であり、我々人間であります。人間は神の個別的代理人であり、神の意図計画された大宇宙の経営の中にあって、各個人が天与の自由意志によって、この壮大無比なる運営の姿の中に真理を看取し、自己個性の特性と時代精神と国家(都市)精神を活かして最善を「行為」として表現しています。・・」と。
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