日本霊異記第十四「僧の心経を憶持し現報を得て奇しき事を示しし縁」
「釈義覚は本百済の人なりき。其の国破れし時に、後の岡本の宮に宇御(あめのしたおさ)めたまひし天皇のみ代に当りて、我が聖朝(みかど)に入り、難破の百済寺に住りき。法師は身の長七尺ありて、広く仏教を学び、心般若経を念誦せり。時に同じ寺の僧慧義といふひと有りき。独り夜半を以て出で行く。因りて室の中を見るに、光明照り耀く。僧乃ち之を怪しびて、竊(ひそか)に牖(まど)の紙を穿ち窺ひ看るに、(義覚)法師端坐して経を誦せり。光、口より出づ。僧、驚き悚(お)ぢ、明くる日に悔過(けくわ)して周く大衆に告げき。時に覚法師、弟子に語りて言はく、『一夕、心経を一百遍ばかり誦じき。然る後に目を開けて観れば、其の室の裏の四壁、穿(う)げ通り、庭の中、顕に見えたり。吾是に希有の想を生じ、室より出でて院内を廻(めぐ)りみて、還り来りて室を見れば、壁と戸と皆閉ぢたり。即ち外にして後に心経を誦ずれば、前の如くに開け通れり』といへり。即ち是れ心波若経の不思議なり。賛に曰はく、『大きなるかな、釈子。多聞にして教を弘め、閉居して経を誦す。心廓かに融(かよ)ひ達(いた)る。現ずる所玄寂なり。焉(いづく)にぞ動揺を為さむ。室壁開き通り、光明顕れ耀く』といふ。」
(この登場の僧侶たちはいずれも伝不詳)