百三十九条
問。現世をいのり候に、しるしの候はぬ人はいかに候ぞ。(拝んでもお蔭を頂けない人はどう考えるべきですか?)
答。現世をいのるに、しるしなしと申事、仏の御そらごとには候はず、わが心の説のごとくせぬによりて、しるしなき事は候也。さればよくするにはみなしるしは候也。観音を念ずるにも、一心にすればしるし候。もし一心なければしるし候はず。むかしの縁あつき人は、定業すらなを転ず、むかしもいまも縁あさき人は、ちりばかりものくるしみにだにもしるしなしと申て候也。仏をうらみおぼしめすべからず。ただこの世、のちの世のために仏につかへむには、心をいたし、ま事をはげむ事、この世もおもふ事かなひ、のちの世も浄土にむまるる事にて候也。しるしなくば、わが心をはづべし。 (現世利益を祈ってもお蔭を頂けないというが、仏様は嘘はつかれない。仏様の意に沿わぬ拝み方をするためにお蔭をいただけないのである。こころがけの良い人はすべてお蔭をうけているのである。観音様を拝んでも一心に念ずればお蔭はある。一心に拝まなければお蔭はない。昔の縁の篤いひとは宿業すら転じることができた。むかしも今も信心の薄い人はすこしばかり苦しみがあってもお蔭がないという。仏様を恨んではならない。唯現世来世に仏様にお仕えするには心から真剣にお仕えすればこの世では思うことが叶い、来世は浄土に生まれることができるのである。お蔭を頂けないときは自分の心を恥じよ。)
七十六条、
問、申候事のかなひ候はぬに、仏をうらみ候、いかが候。(願い事がかなわないので仏様を恨みます。)
答。うらむべからず、縁により信のありなしによりて利生はあり、この世、のちの世、仏をたのむにはしかず。(仏様を恨んではならない。縁の厚薄、信心の有る無しによりてお蔭はあるもの。この世と来世 にわたって仏様を信じきることが大切)
百十九条、
問、仏をうらむる事は、あるまじき事にて候な。(仏様を恨んではならないということですか?)
答。いかさまにも、仏をうらむる事なかれ。信ある物は大罪すら滅す、信なき物は小罪だにも滅せず、わが信のなき事をはづべし。
(そうです。仏様を恨んではなりません。信心深いひとは大罪も消えます。不信心者は小罪でも消えない。お蔭を頂けない時はは自分の信心の足りないことを恥じよ。9