「法王もビーガンになって・・・お坊さんもビーガンになって」・・1
「12歳の少女がローマ・カトリック教会のフランシスコ法王(Pope Francis)に公開書簡を送り、イースター(Easter、復活祭)まで40日間続く四旬節(Lent)の期間中、完全菜食主義者(ビーガン)の生活を実践するよう求めた」という記事がありました。我々僧侶もギクッとしなければならない記事です。同じことを我々僧侶に突き付けられたら各宗派はどう対応するのでしょうか。自分も自問自答していますができるだけ肉食は控えるとしかいまのところ言えない状況です。
大乘入楞伽經(實叉難陀譯)斷食肉品では当時の外道でさえ断肉であったとして不食肉を説いています。以下数回に分けて載せます。
大乘入楞伽經(實叉難陀譯)斷食肉品第八(全)・・1/6
「爾時大慧菩薩摩訶薩復た佛に白して言さく。「世尊。願我ために食肉と不食肉との功徳過失を説きたまえ。我及諸菩薩摩訶
薩は其義を知り已って未來現在の報習に熏ぜられる衆生のために之を演説し、肉味をすてて法味をもとめしめ、一切衆生において大慈心をおこし、更に相い親愛して一子の如き想をなし、菩薩地に住して阿耨多羅三藐三菩提をえせしめん。或は二乘地に暫時止息し、究竟して當に無上正覺を成すべし。世尊。路迦耶(ローカーヤ・順世外道「世俗に従う者」の意。来世を認めず,業の報いを否定し,現世の快楽を至上とする)等の諸外道輩の有無見をおこして斷常に執着するものすら尚遮禁ありて食肉をゆるさず。何況如來應正等覺は大悲心に富み世の依怙するところとなりたまふもの、自他倶に食肉を許し給わん耶。善哉世尊。大慈悲を具して世間を哀愍し、衆生を等觀すること猶一子の如し。願は食肉の過惡と不食功徳を解説し、我及び諸菩薩等をして聞おわって奉行し廣く他の為に説かしめたまえ。」
爾時大慧菩薩重説頌言
『菩薩摩訶薩は 無上覚を志求する。 酒肉及び葱を食うとなさんか、 不食となさんか。愚夫は貪って嗜肉し、 臭穢にして名稱無く彼の惡獸と同じ。 云何が食うべけんや』『 食へば何の過ありや。 不食は何の徳ありや。惟願はくは最勝尊よ、 我為に具に開演したまえ』
爾時佛告大慧菩薩摩訶薩言。「大慧。諦聽諦聽、善思念之。吾當爲汝分別解説。大慧。一切諸肉有無量縁。菩薩中に於いて當に悲愍を生ずべし。應に噉食すべからず。我今爲汝説其少分。大慧。一切衆生從無始來。在生死中輪迴不息。かって父母兄弟男女眷屬乃至朋友親愛侍使となり、生をかえて鳥獸等の身を受けざるはなし。云んぞ何において之を取って食はんや。大慧。菩薩摩訶薩は諸衆生をみること同じ、肉は皆な有命の中より來ることをおもう。いかんや之を食うにしのびんや。大慧。諸羅刹等すら我此説を聞いて尚お應に斷肉す。況や法を楽しむ人をや。大慧。菩薩摩訶薩は在在生處において諸衆生をみて皆是親屬乃至一子の如くに想う。是故に應に一切肉を食すべからず。大慧。衢路市肆に諸肉を売る人は、或は犬馬人牛等の肉を得て、利を求めんがための故に而も之を販鬻(はんいく・販売)す。是の如くの雑穢いかんが食するを得や。大慧。一切諸肉は是精血汚穢より成るところなり。清淨を求める人にしていかんぞ肉を食せんや。衆生は肉食の人を見て悉く皆驚怖す。慈心の者は云何が食肉せんや。大慧。譬如獵師及旃陀羅捕魚網鳥諸惡人等を狗は見て驚吠し、獸は見て奔走す。空を飛び水に住む一切の衆生、若し之を見ることあらんかみな是の念を作す。『此人の氣息猶羅刹のごとし。今來って此に到るは必ず當に我を殺すべし』と。命をまもらんがためのゆえに悉く皆な走避す。食肉の人も亦復た是の如し。是故に菩薩は慈行を修せんがために應に食肉すべからず。
「12歳の少女がローマ・カトリック教会のフランシスコ法王(Pope Francis)に公開書簡を送り、イースター(Easter、復活祭)まで40日間続く四旬節(Lent)の期間中、完全菜食主義者(ビーガン)の生活を実践するよう求めた」という記事がありました。我々僧侶もギクッとしなければならない記事です。同じことを我々僧侶に突き付けられたら各宗派はどう対応するのでしょうか。自分も自問自答していますができるだけ肉食は控えるとしかいまのところ言えない状況です。
大乘入楞伽經(實叉難陀譯)斷食肉品では当時の外道でさえ断肉であったとして不食肉を説いています。以下数回に分けて載せます。
大乘入楞伽經(實叉難陀譯)斷食肉品第八(全)・・1/6
「爾時大慧菩薩摩訶薩復た佛に白して言さく。「世尊。願我ために食肉と不食肉との功徳過失を説きたまえ。我及諸菩薩摩訶
薩は其義を知り已って未來現在の報習に熏ぜられる衆生のために之を演説し、肉味をすてて法味をもとめしめ、一切衆生において大慈心をおこし、更に相い親愛して一子の如き想をなし、菩薩地に住して阿耨多羅三藐三菩提をえせしめん。或は二乘地に暫時止息し、究竟して當に無上正覺を成すべし。世尊。路迦耶(ローカーヤ・順世外道「世俗に従う者」の意。来世を認めず,業の報いを否定し,現世の快楽を至上とする)等の諸外道輩の有無見をおこして斷常に執着するものすら尚遮禁ありて食肉をゆるさず。何況如來應正等覺は大悲心に富み世の依怙するところとなりたまふもの、自他倶に食肉を許し給わん耶。善哉世尊。大慈悲を具して世間を哀愍し、衆生を等觀すること猶一子の如し。願は食肉の過惡と不食功徳を解説し、我及び諸菩薩等をして聞おわって奉行し廣く他の為に説かしめたまえ。」
爾時大慧菩薩重説頌言
『菩薩摩訶薩は 無上覚を志求する。 酒肉及び葱を食うとなさんか、 不食となさんか。愚夫は貪って嗜肉し、 臭穢にして名稱無く彼の惡獸と同じ。 云何が食うべけんや』『 食へば何の過ありや。 不食は何の徳ありや。惟願はくは最勝尊よ、 我為に具に開演したまえ』
爾時佛告大慧菩薩摩訶薩言。「大慧。諦聽諦聽、善思念之。吾當爲汝分別解説。大慧。一切諸肉有無量縁。菩薩中に於いて當に悲愍を生ずべし。應に噉食すべからず。我今爲汝説其少分。大慧。一切衆生從無始來。在生死中輪迴不息。かって父母兄弟男女眷屬乃至朋友親愛侍使となり、生をかえて鳥獸等の身を受けざるはなし。云んぞ何において之を取って食はんや。大慧。菩薩摩訶薩は諸衆生をみること同じ、肉は皆な有命の中より來ることをおもう。いかんや之を食うにしのびんや。大慧。諸羅刹等すら我此説を聞いて尚お應に斷肉す。況や法を楽しむ人をや。大慧。菩薩摩訶薩は在在生處において諸衆生をみて皆是親屬乃至一子の如くに想う。是故に應に一切肉を食すべからず。大慧。衢路市肆に諸肉を売る人は、或は犬馬人牛等の肉を得て、利を求めんがための故に而も之を販鬻(はんいく・販売)す。是の如くの雑穢いかんが食するを得や。大慧。一切諸肉は是精血汚穢より成るところなり。清淨を求める人にしていかんぞ肉を食せんや。衆生は肉食の人を見て悉く皆驚怖す。慈心の者は云何が食肉せんや。大慧。譬如獵師及旃陀羅捕魚網鳥諸惡人等を狗は見て驚吠し、獸は見て奔走す。空を飛び水に住む一切の衆生、若し之を見ることあらんかみな是の念を作す。『此人の氣息猶羅刹のごとし。今來って此に到るは必ず當に我を殺すべし』と。命をまもらんがためのゆえに悉く皆な走避す。食肉の人も亦復た是の如し。是故に菩薩は慈行を修せんがために應に食肉すべからず。