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福聚講

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神道は祭天の古俗(明治24年)・・11

2018-06-11 | 頂いた現実の霊験
神道は祭天の古俗(明治24年)・・11
文科大学(東京大学)教授  久 米 邦 武    

神道の弊
天地は活世界なり。循環して息まず。常に新陳代謝しつゝ進めり。故に其中に棲息する萬物萬事。みな榮枯盛衰をなし。少し活動を失ひたる停滞物は。頓て廢滅に歸すること。皆人の眼前に觀察する所なり。故に久くして弊れざるものハなし。日本の創世は神道より成り。皇基は是に因りて奠定したり、其主要の節目は。前に述べたる條々に略盡せり。夫も數千年間に漸々と修正改進したる結果なるべく。神武帝の橿原に神人一致の政治を建給ひし時も。多少改革ありたるならん。亦九世を經て。時運益進み。崇神の朝に。神宮皇居を別けられたれば。神物官物も別れ。從ひて齋藏官倉も別れ。調貢の法も改まり。政治兵刑みな改まらざるを得ざれども。古來沿習の餘勢あれば。猶祭政一致の制によりて。漸々と變じたるは見易き情實にて。そは歴史上にも概見する所なり。三韓服屬し。應神・仁徳の兩盛代を經て。履仲。反正・允恭三朝に移る比には。已に刑罰の變革したるを見る。武内宿禰甘内宿禰兄弟權を爭ひたるとき。くかたち〔探湯〕をなしたり。允恭帝群卿國造の氏姓(即譜第)詐冒を改正の時も。〔諸氏姓人等沐浴齋戒。各爲盟神探湯。則於和橿丘之辭禍戸(石+甲)。坐探湯瓮而引諸人令赴曰。得實則全。偽者必害。或?納金煮沸。攘手探湯。云云詐者愕然之。豫退無進〕とあれば。探湯は神に要して詐偽者を發覺する。鞠訊法なるべし。是當時に盛んに行はれたることと見えて。北史(東夷倭傳)に。〔毎訊冤罪。不承引者。以木壓膝。或張強弓。以弦鋸其項。或置小石於沸湯仲。令所競者探之。或置蛇瓮中令取之。曲者即螫〕とあり。是は西國筋の事を觀察のまゝに記したることならん。諸国の國造伴造等支配下には。頗る惨酷の法も行はれたらん。繼體帝二十四年に。〔爰以日本人與任那人。頻以兒息諍訟難決。元無能判。毛野臣楽置誓湯、曰。實者不爛。虚者必爛。是以投湯爛死者衆〕とありて。我朝の任那諸國に人心を失ひたるハ。其等の暴政に由るものなり。此時代人智漸く開け。既に神道にては治むべからず。因て儒学を講じ。亦佛教も流入せんとす。履中帝の時に。安曇連濱子が仲皇子に徒黨したる巨魁なるを以て。事平くの後詔して。〔將傾國家罪當死。然垂大恩。而免死科墨。即日黥之〕と見え。又允恭の忍阪姫皇后も。〔赦鬪?(鶏の左+雉の右)國造死刑。貶其姓謂稻置〕と見ゆ。其年に爲皇后定刑部とあれは。已に死刑其他の刑名も生したり。併し黥は貶等にて。甘内宿禰の紀直に賜ひ。?(≒鬪)?(鶏の左+雉の右)國造を稻置に貶する類にして。黥の刑ハなきことなるべし。履中五年に。〔伊弉諾神託祝曰。不堪血臭矣。因以卜之兆云。惡飼部等黥之氣。故自是後頓絶以不黥飼部而止之〕とあり。記の安康の條に。〔面黥老人來。我者山代之猪甘也〕とあるを見れば、厮養の諸部は黥する習法なることを知るべし。支那歴史の記する所によれば。日本の古は文身の俗なるに。今は東國のに文身俗を存するまでにて。西國には却て其俗なきは。かゝる由縁にて。自然に黥を廢したることなるべし。崇神の朝に神人別れてより。履中帝まで七世を經たれば。時運已に進み。神道の弊を生じたるを見る。
人智の開進して。學藝鬱興し。上下の生活益滿足なる時代となれば。祭政一致の政に依頼し。大占を以て神慮を迎へて事を斷し。諄辭を以て解除をなして刑罰をなすまでにては。國の治安を保つべからず。此時となりては。舊來これに浸染したる風俗には亦?(幣の下を犬に)習を存して。洗除するに困むことあるは必然の理なり。紀の孝徳帝大化二年三月甲申の詔に。〔有被役邊畔民。事畢還郷之日。忽然得疾。臥死路頭。於是路頭之家。乃謂之曰。何故使人死於余路。因留死者友伴。強使祓除。由是兄雖臥死於路。其弟不収者多。(其弊一なり)復有百姓。溺死於河。逢者乃謂之曰。何故於我使遇溺人。因留溺者友伴。強使祓除。由是兄雖溺死於河。其弟不救者衆。(其弊二なり)復有被役之民。路頭炊飯。於是路頭之家乃謂之曰。何故任情炊飯余路。強使祓除。(其弊三なり)復有百姓就他借甑炊飯。其甑觸物而覆。於是甑主乃使祓除。(其弊四なり)如是等類。愚俗所染。今悉除斷〕とあるは。是今の警察違註罪に科する贖銭をば。人民相互に科徴したるなり。神道の死穢不淨を忌嫌ひ。事に觸れ端に就て祓除を強索する陋習ハ。千二百年前迄存して。其時旅行の困難思ひやられたり。公役にて巳を得ざるの外は。郡郷の往來交通絶えて。猶歳月を經るならば。國の繁盛なる道は頓に塞り果てん。此時に當り佛教僧徒等宣教の方便によりて。郡郷を巡りて道路橋梁を修架せしめ。池溝を開き。往來を通し。生産工藝を教へたる功は。歴史に歴々と記載し。文武元明の朝に至り。始めて貨幣を鑄造し。諸國に令して米を行旅に賣らしめ。終に奈良の盛治を見るに至りたり。其大恩は永く忘却すへからす。
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