神道は祭天の古俗(明治24年)・・10
文科大学(東京大学)教授 久 米 邦 武
祓除は古の政刑
神道は穢惡を惡む至て嚴なる故に。祓除を行ひ。身を清淨にして神に事へるを大主旨とせり。上古神宮皇居を別たざりし時代に於て。朝廷の有様は。後の伊勢神宮の如きものなりと想像すべし。國造伴造の分轄する國縣の府治も。盡く其式に倣ひ。因て諸國に天社國社は設けたり。其天社國社に於て取扱ふ事は、年年新嘗祭(即後の氏神祭禮)をなして報本の意を表し。祓除を行ひて攘災招福をなすに外ならず。故に臣民みな毎年農桑諸業より収めたる。粟米布帛等を撰みて神に奉納す。之をみつぎと云。後世に御初穂といふ是なり。災害若しくは罪過に因て。祓除の料を納むるをあがものと云。猶後の贖罪金の如し。朝廷國縣の經濟皆是にて立ち。刑罰も是に依りたり。是を祭政一致の治とするなり。祓除の起りは甚古し。諾冉二尊も筑紫橘小戸の祓除あり。魏志に〔詣水中澡浴〕と記す。(並に前に出)蓋し神道と共に邈古より來りたることなるべし。其法は中臣家に傳はる書紀一書(天石窟の條)に。〔天兒屋命、則以神祝祝之〕と。又〔掌其解除之大諄辭〕とあり。今の中臣祓は其諄辭にて。原文は簡古なりしを。文武帝の朝に柿本人麻呂修潤したる文なりと云。(衆人の前にて、再三反覆し誦する詞に、甚古拙なる所あれは、人の誠敬を損する故なるべし)神の供物は齋部家にて掌る。古語拾遺に。〔命太玉命率諸部神造和幣〕と。又〔宣太玉命率諸部神供奉其職如天上儀〕(天上は天朝の義と見るべし)とありて。又神武の朝に〔其裔孫天富命率供作諸氏造作大幣〕と。又〔宮内立藏。令齋部氏永任其職〕とある等にて見るべし。神宮皇居の別れたる後は。調貢の法も改まりて、此藏は齋藏・内藏・大藏の三藏に分れ、大寶令に大藏省あり。内藏寮あり。又齋藏は神祇官にありて。祓除の贖物を納めたるなるべし。
祓除の主旨は。支體を清め。心を清め。清淨なる天地に呼吸するに非ざれば。靈顯なる天神の加護を蒙り得ずとの旨なり。是宗教の善根懺悔に近し。されども此旨につきて別に心身を清くする教文もなく。因て世に誘善利生の方を述べたる教典もなし。本居宣長は神ながら言擧せぬ國と誇れども。言擧せぬにて神道宗教をなす程の力なきこと明かなり。而して右に説たる如く。古は祓除を政治の本となし。刑罰も是に因て行へり。素盞鳴尊神の。御田に重播・毀畔・埋溝・挿籤したるうへに。大嘗殿を穢し。重々の罪を犯したるは。神道破滅を主張したる所爲にて。天照大神も御位を遜れんとするに至りしに。諸大臣等盡く服せす。天安河の會議にて。大神の復位を勸め。素盞鳴尊に重罪を科したるは。是國是一定して。皇室の安固したる根柢なり。國史に於て最重最要の節にて。神道の最功力ある處とす。此時尊に〔科之以千座置戸(日本書紀に「科するに千座置戸(財産没収)を以てし、遂に之を逐う」)〕とは。釋日本紀に。〔私記曰。座是置物之名也。言置積祓物者。正是千處也。置戸者。是積置此千處之物。便爲其戸。令罪人出其中。故云置戸也〕と釋せり。(余は千處の齋藏を科したるにて、戸は烟戸のことならんと思ふなり)又〔至拔髪以贖其罪。亦曰拔其手足之爪贖之罪(日本書紀巻一に「髪を拔き、以ちて其の罪を贖(あがな)わしむに至る。 亦は其の手足の爪を拔きて之を贖うと曰う」。)〕とあるは。亦曰の文を是とすべし。其は一書に、〔已而科罪於素盞鳴尊。而責其祓。是以有手端吉棄物。足端凶棄物(日本書紀に「已(すで)而(に)素戔嗚尊、其の秡具で責めて罪に科す。是を以って手の端に有る棄てる物は吉、足の端の棄てる物は凶」)又〔即科素盞鳴尊千座置戸の解除。以手爪爲吉爪棄物。以足爪爲凶爪棄物。乃使天兒屋命、掌其解除之大諄辭而宣之焉。世人慎収己爪者。此其縁也〕とあるに合へばなり。古より貴人には死刑を行ひたる例なし。蓋解除の科に輕重の差等あるまでのことなるべし。其解除には。必す吉凶の兩を重科す。紀の履仲帝五年に。〔則負惡解除・善解除。而出於長渚崎令祓禊(日本書紀・履仲帝五年に「既に神に分け寄せしもの、車持部(くるまもちべ)兼(かねて)之(こ)を奪ひ取りしこと、罪の二(ふたつ)也。」とのたまひて、 則(すなはち)悪解除(あしはらへ)善解除(よしはらへ)を負(おほ)して長渚崎(ながすのさき)に出(い)でて祓(はらへ)禊(みそぎ)せ令(し)めたまひき。)〕と見え。三代格延暦二十年五月十四日に至りて。大・中・小祓の物を定めらる。其詔に〔承前。神事有犯。科祓贖罪。善惡二祓。重科一人。條例已繁。輸物亦多。事傷苛細。深損黎元。仍今弛張立例〕とあれば。平安京の初めに至り。始めて兩科を一重に改められたり。
文科大学(東京大学)教授 久 米 邦 武
祓除は古の政刑
神道は穢惡を惡む至て嚴なる故に。祓除を行ひ。身を清淨にして神に事へるを大主旨とせり。上古神宮皇居を別たざりし時代に於て。朝廷の有様は。後の伊勢神宮の如きものなりと想像すべし。國造伴造の分轄する國縣の府治も。盡く其式に倣ひ。因て諸國に天社國社は設けたり。其天社國社に於て取扱ふ事は、年年新嘗祭(即後の氏神祭禮)をなして報本の意を表し。祓除を行ひて攘災招福をなすに外ならず。故に臣民みな毎年農桑諸業より収めたる。粟米布帛等を撰みて神に奉納す。之をみつぎと云。後世に御初穂といふ是なり。災害若しくは罪過に因て。祓除の料を納むるをあがものと云。猶後の贖罪金の如し。朝廷國縣の經濟皆是にて立ち。刑罰も是に依りたり。是を祭政一致の治とするなり。祓除の起りは甚古し。諾冉二尊も筑紫橘小戸の祓除あり。魏志に〔詣水中澡浴〕と記す。(並に前に出)蓋し神道と共に邈古より來りたることなるべし。其法は中臣家に傳はる書紀一書(天石窟の條)に。〔天兒屋命、則以神祝祝之〕と。又〔掌其解除之大諄辭〕とあり。今の中臣祓は其諄辭にて。原文は簡古なりしを。文武帝の朝に柿本人麻呂修潤したる文なりと云。(衆人の前にて、再三反覆し誦する詞に、甚古拙なる所あれは、人の誠敬を損する故なるべし)神の供物は齋部家にて掌る。古語拾遺に。〔命太玉命率諸部神造和幣〕と。又〔宣太玉命率諸部神供奉其職如天上儀〕(天上は天朝の義と見るべし)とありて。又神武の朝に〔其裔孫天富命率供作諸氏造作大幣〕と。又〔宮内立藏。令齋部氏永任其職〕とある等にて見るべし。神宮皇居の別れたる後は。調貢の法も改まりて、此藏は齋藏・内藏・大藏の三藏に分れ、大寶令に大藏省あり。内藏寮あり。又齋藏は神祇官にありて。祓除の贖物を納めたるなるべし。
祓除の主旨は。支體を清め。心を清め。清淨なる天地に呼吸するに非ざれば。靈顯なる天神の加護を蒙り得ずとの旨なり。是宗教の善根懺悔に近し。されども此旨につきて別に心身を清くする教文もなく。因て世に誘善利生の方を述べたる教典もなし。本居宣長は神ながら言擧せぬ國と誇れども。言擧せぬにて神道宗教をなす程の力なきこと明かなり。而して右に説たる如く。古は祓除を政治の本となし。刑罰も是に因て行へり。素盞鳴尊神の。御田に重播・毀畔・埋溝・挿籤したるうへに。大嘗殿を穢し。重々の罪を犯したるは。神道破滅を主張したる所爲にて。天照大神も御位を遜れんとするに至りしに。諸大臣等盡く服せす。天安河の會議にて。大神の復位を勸め。素盞鳴尊に重罪を科したるは。是國是一定して。皇室の安固したる根柢なり。國史に於て最重最要の節にて。神道の最功力ある處とす。此時尊に〔科之以千座置戸(日本書紀に「科するに千座置戸(財産没収)を以てし、遂に之を逐う」)〕とは。釋日本紀に。〔私記曰。座是置物之名也。言置積祓物者。正是千處也。置戸者。是積置此千處之物。便爲其戸。令罪人出其中。故云置戸也〕と釋せり。(余は千處の齋藏を科したるにて、戸は烟戸のことならんと思ふなり)又〔至拔髪以贖其罪。亦曰拔其手足之爪贖之罪(日本書紀巻一に「髪を拔き、以ちて其の罪を贖(あがな)わしむに至る。 亦は其の手足の爪を拔きて之を贖うと曰う」。)〕とあるは。亦曰の文を是とすべし。其は一書に、〔已而科罪於素盞鳴尊。而責其祓。是以有手端吉棄物。足端凶棄物(日本書紀に「已(すで)而(に)素戔嗚尊、其の秡具で責めて罪に科す。是を以って手の端に有る棄てる物は吉、足の端の棄てる物は凶」)又〔即科素盞鳴尊千座置戸の解除。以手爪爲吉爪棄物。以足爪爲凶爪棄物。乃使天兒屋命、掌其解除之大諄辭而宣之焉。世人慎収己爪者。此其縁也〕とあるに合へばなり。古より貴人には死刑を行ひたる例なし。蓋解除の科に輕重の差等あるまでのことなるべし。其解除には。必す吉凶の兩を重科す。紀の履仲帝五年に。〔則負惡解除・善解除。而出於長渚崎令祓禊(日本書紀・履仲帝五年に「既に神に分け寄せしもの、車持部(くるまもちべ)兼(かねて)之(こ)を奪ひ取りしこと、罪の二(ふたつ)也。」とのたまひて、 則(すなはち)悪解除(あしはらへ)善解除(よしはらへ)を負(おほ)して長渚崎(ながすのさき)に出(い)でて祓(はらへ)禊(みそぎ)せ令(し)めたまひき。)〕と見え。三代格延暦二十年五月十四日に至りて。大・中・小祓の物を定めらる。其詔に〔承前。神事有犯。科祓贖罪。善惡二祓。重科一人。條例已繁。輸物亦多。事傷苛細。深損黎元。仍今弛張立例〕とあれば。平安京の初めに至り。始めて兩科を一重に改められたり。