・今日は天長二年七月一九日大師が「公家の仁王講を修せらるる表白」を書かれた日です。
仁王経が大切な護国の経典であることが分かります。
「公家(朝廷)の仁王講を修せらるる表白
唐(おお)いなるかな三尊(仁王経の教主たる釈迦如来、脇侍の普賢・文殊菩薩)、六趣(六道)に耶嬢(父母)たり。殿を太虚の無際に構え(あまねく法界を宮殿とし)、都を妙空の不生に建つ(都を真空の不生不滅の悟りの境地とする)。五眼(肉眼・天眼・恵眼・法眼・佛眼)高く照らして赫日の光、儔(ともがら)にあらず(太陽の光の比ではない)。四量普く覆うて(慈悲喜捨の四無量心が一切を覆って)靉雲の冪(まく)何ぞ喩えん。吾子,多病にして医薬遑あらず(衆生が迷っていて仏さまが救うのに忙しい)、奇しきかな、大なるかな、談ぜんと欲するに舌を巻く(仁王経の三本尊が衆生済度される力は舌を巻くほどである)。
伏して惟んみれば、わが皇帝陛下、百億の一、一得の貞なり(百億の中の一人であり、道を得て天下を治め給う)。物を悲しんで足を潤す(衆生の苦しみに同じる)、時を済って手を申ぶ(衆生を救うために手を伸ばす)。切に一物(たった一人を)を軫(いた)んで納隍(どうこう、くるしむ)す。常に万れいを憂えて安堵す(万民を憂えて安堵させる)。謹んで天長二年閏七月十九日に宮中および五畿七道にして一百獅子座を設け,八百怖魔の人(比丘)を延いて一日両時に仁王護国般若経を演べ奉る。五忍(菩薩の位を五に分けたもの)義を開いてたちまちに咎氛(きゅうふん)の霧を搴(かか)げ(災害や妖気を払いのけて)、二諦理を審らかにして(勝義諦と世俗諦をはっきりさせて)、たちまちに休徴の祥を聚む(めでたい兆しを集める)。この白業(善業)を惣べて聖体を資し奉る。
伏して願わくは教令の五忿(不動明王、五大力菩薩)、輪剣を揮って魔怨を降し(五大力菩薩の輪宝と剣で悪魔と怨敵を降し)、自性の十六(金剛界の十六菩薩)、惟宝(宝珠)をさしまねいて福寿を滋くせん。洪祚(こうそ、天皇位)氷水として芥石(芥子劫と盤石劫)をなお短きにあざけり、玉体緊密にして金剛を滅えやすきに咲わん。十善の風、四天を扇いで枝を鳴らさず(十善の帝王の徳風は四天下おさめて太平である)、万民の廩(くら)九年に貯えて遺を拾わじ(万民は庫に九年分のたくわえを持ち、道に落ちたものも拾わない)、その帝力を忘れて、その垂拱を悟らん。上は七廟(皇帝の廟)を福(さいわい)してかの三明(宿命通・生死通・漏尽通)を益さん。永く無明の根を抜いて常に大覚の観に遊ばん。太上天皇
、姑射の遊び八仙とともにして極まりなく(嵯峨天皇は仙洞御所に於いて長寿を寿ぎ)、㐮城の徳千葉にしてその芳しきことを流さん(嵯峨天皇の徳は千歳までも伝えられる)。震位弐君(東宮)、名、文王の世子に斉しく(文王が皇太子の時のように賢く)、徳、悉陀薩埵に比せん。監國の誉れいよいよ新たにして、紹構(ちょうこう、徳行)の功墜ちざらん。富貴美を飛ばし、文武能を效さん(文官武官は能力を発揮する)。北極を繞って力を竭し(天子に忠誠をつくし)、南風を仰いで慍(いかり)を解かん(天子の徳により庶民の怒りは解ける)。鼎食余りあって(鼎で煮た珍味を食べることのできる三公が輩出)、冠帯尽きることなからん。普く幽冥を潤して広く動植い及ぼさん。共に般若の甘露を沐して同じく解脱の蓮台に昇らん。」