第四二課 虚栄
虚栄はその字の示すとおり、むなしい栄えをのぞむことです。
もとより虚しいことです、ほんとうに手にも取り得ず、わが身を徒らに吹き過ぎる風のようなものです。これを捉えようとするものは労つかれるだけです。
労れはやがて生命をほろぼすものです。しかも虚栄の姿は、もっとも甘やかに華やかに人々を誘惑の手で手招くのです。
ほんとうの栄えは仏神を念じて、生命の底から湧き上る力を得てのちに得られるものだと信じます。
(雑誌等で世界の長者番付などというのが時々発表された時や、テレビで豪邸が映し出される時など羨ましく思うことがありますが、それらは所詮虚栄です。亦サラリーマンは出世競争に敗れたときなど本当にいつまでも悩むものですが、本当に競う必要があるとすれば神仏に導かれて積む「隠徳」の高さでしょう。羨むべきはこういう陰徳を秘かに日々積み重ねている人を羨むべきであります。また陰徳を積むことこそ本当の蓄えと悟るべきです。陰徳といえば「說苑卷六」に「楚莊王、群臣に酒を賜う,日暮れて酒酣なり,燈燭滅す,乃ち美人之衣を引く者あり。美人其の冠纓を援絕す,王に告げて曰く「今ま燭滅す時、引妾の衣を引く者有り,妾は得其の冠の纓を援じて之を持つ,火を趣って來上し,纓の絕たる者を視ん。」王 曰く「人に酒を賜い醉使しめて失禮す,奈何ぞ婦人之節而辱士を顯わさと欲する乎?」乃ち左右に命じて曰く「今日寡人與飲、冠纓を絶えざる者は歡ばず。」群臣百有餘人皆な其冠纓絕去してのちに上火し、歡を卒盡して罷る。居 三年,晉と楚戰う,一臣常在前なる有り,五合五奮,首卻敵,卒得勝之,莊王怪んで問うて曰く、「寡人薄うして,又た未だ嘗って子を異らず,子何故ぞ死を出でて如是疑はざるや?」對えて曰く、「臣當に死すべし,むかし醉うて失 禮す,王隱忍して誅を加えざる也;臣終に不敢以蔭蔽之而不顯報王也,常に肝腦塗地を願う,用頸血湔敵久矣,臣は夜に纓を絕てし者なり。」遂に晉軍敗れ,楚以って強きを得る,此れ陰有る者は必ず陽報有る也。」とあります。陰徳で家来を助けた王がのちにその家来から助けられたというものです。)