19、南円堂鎮壇、種智院開設(大師四十歳、弘仁四年八百十四)南円堂鎮壇・・・興福寺南円堂(西国九番興福寺南円堂)興福寺南円堂は「弘法大師御行状集記興福寺南円堂第八十」に「右大臣冬嗣と大師檀契深く、・・・大師興福寺の殊勝の地を択びて南円堂を建立さる。」とあります。「弘法大師行状絵巻」には「円堂鎮壇」として、「昔、大職冠鎌子、奉公の労によりて、藤原の姓を賜り、内大臣に拝任して,永く摂籙の臣たり。嫡男左大臣不比等、興福寺を建立して氏寺とせり。その後年序漸く移り、藤氏衰え廃れて殆ど他氏に移らんとす。ここに閑院左丞相冬嗣公、大師と師壇の契りあさからざるによりて、藤氏の繁栄を祈らん為に弘仁四年、興福寺の中に勝地を択び点じて、八角の円堂を建て、不空羂索の像を据え奉りて、修行持念したまへり。今の南円堂是なり。大師則ち鎮壇を行い給いし時、壇を築ける人夫の中に,異相の老人ありて詠じていわく、「補陀落の南の岸に堂立てて、今ぞ栄えん北の藤波」。これ春日大明神形をやつしきたまひて家門の繁栄すべきことを告げたまひしなり。それよりこのかた藤氏の執柄、世を重ねて、今に至る迄たゆることなし。閑院丞相帰佛の志いよいよ高く、・・一つの校舎を建てられ、・・永く大師に奉れり。かの給孤長者の沙金を敷きしに誠に等しく、将軍太子の林泉を捨てし例におなじ。大師この精室を綜芸種智院となずけ・・」
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