福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・19

2017-11-19 | 頂いた現実の霊験
・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・19
第七章、十三佛各説
十三佛を組織的に説いたのみでは各尊の本誓が分からぬから各尊についてここに再度説明する。
第一節、 不動明王。不動明王は胎蔵曼荼羅の持明院に在して、佛の教令即ち命令を衆生にいやでも応でも必ず服従せしむべき役目を持ってござる。その命令に服従せぬものは捕縛もしなければならぬは、仏教に摂受・折伏の二門ある中の折伏の仏であるから。故に不動明王の形は種々の異像があって四臂の鎮宅不動明王もあれば、輪を持つ仁王経の不動明王もあり、またどこにもある剣と縄を持つ不動明王もある。いずれも黒色で歯をむき出した凄いお姿である。この凄い形は何の意味であるか、即ち剛強難化の悪党輩を左手の縄で縛って、それでもきかざれば右手の剣で切り殺すというわけである。しかしこれは第一重の解釈である。不動明王の頭の毛は左右に垂れて七つ結んである。これは印度の奴僕の印で不動明王の頂上に蓮華座を載せて御座るのである。不動明王は自己を信仰する人々をその蓮華の上に載せてまよえる苦しみの淵から悟りの岸へ運ぶのでがご誓願である。
不動明王が奴僕の三昧に住するとはその広大の慈悲に驚かざるを得ないのである。またこの仏さまだけが(他の仏は蓮華座であるのに)大磐石の上に坐し給うのである。これはその御名の寂然不動の姿勢を示したもので、確固不動の精神を顕したものである。御仏の配置から言えばこの確固不動の精神これ即ち最初の発菩提心の寂然不動の様である。内には確固不動の精神ありて外に最も卑しき奴僕の状を現すとは実にこの功徳の偉大なるを称嘆すべきである。同じ明王でも愛染明王は王者の三昧で、不動明王は奴僕の三昧である。三世諸仏十方菩薩はすこぶる多いが不動明王の如く奴僕の三昧に住したまう佛はない。

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