成仏示心 沙門浄空(注1)撰
徧く海内四部の衆に告げて曰く、昼夜四時観念誦経、六字の名号(南無阿弥陀仏)、七字の題目(南無妙法蓮華經)、五字の真言(阿卑羅吽欠)等、宗宗の勤行の終に所座(禅要に曰く、夫れ三昧に入らんと欲する者は、初學の時事諸境絶へ余の縁務を屛じ、独り一静処に其の禅室を構へ、則ち太ひに明らかなるべからず。又太ひに暗きべからず。太ひに明らかなれば則ち心を散乱せしめ、太ひに暗からば是心惽沈す。明暗中を取り其の宜を得るを常とす。又其の夜分則ち後邊に於て幽に燈明を挑へ以て観智を助けよ。是其の處を擇ぶ大略也。而して実に途に触れて處に随ひ須臾もこの行を離るべからず。離るべきは真の阿字観に非ざる也。)の向ふに阿字を懸けて先ず蓮華合掌し、次に外縛し、次に法界定印になして決定の信心を発して自身阿字身なりと思取て余念思惟なく向ふの阿字に目を寄せ、念を係けて出る息と俱に至りて静かに阿(梵字)と唱ふること十反を一反として七反か二十一反か、其の後は数を留めずに唱へ観ずべし。只昼夜四時阿字(梵字)に向ふ時のみならず、行住坐臥常に阿字(梵字)を唱ふべし。是の如く数々唱て夢にも支へ(印)唱へ(あ梵字)、現にも支唱るやうなれば最後断末魔遍身疼痛の時も忘ることなく設ひ助伴善智識なくとも正念に阿字門に帰入するなり。然れども宿因測がたく何等の障り起こるべきも知らず。一生の悪業も臨終の一念にて善となり、一生の善業も臨終の一念にて悪となる、最要の時節なれば常常篤実なる沙門近處になくば、又は志のある在家の朋友と臨終の用心申し合わせおくべし。出る息、入る息またぬ無常のこの身なれば跡に申し置き度事などは明日をまたず遺状認め置き、今命の終ても心懸りなきやうに又臨終の夕べに遺状遺言などといろいろ心みだれぬやうに兼ねて用心すべし。此の世の限と見る時は、右の沙門又は朋友、病人の近所にて妻子親族悲涙哀音なきやうに堅く警め寝所の近辺随分物静かに清浄の香気断へざるやうにとりはからひ、病人の機嫌を見合わせ此の世の無常なること、彼の世の楽しきことなど、のどやかに語り、又は病人一生の善事数挙げて成仏うたがひなきよし讃嘆すべし。物の聞き分けある病人ならば下に引く大日経の疏の阿字の功能など能々説き示すべし。鐘の音には諸仏影向し魔障驚き去り無間の重苦も脱れ、臨終に正念を得とあれば必ず時々馨を鳴らすべし。但し緊しからず窄(せわし)からざるやうに息の絶るまでは金の音は絶ぬやうに柔らかに静かに打つべし。勁く高く打てば病者の身心疼痛す、とあれば用心すべし。金の音さへ響痛むとあればまして病人へさはることは愈々あしし。たとひ頭北面西に非ずとも頭北面西と思ひ取て臥したるままにて動かすことなかれ。但し両足そろそろ局らず、息持たず、又枕のはずれたるなどはそろそろなほすべし。勿論寝所の方角により、頭北限らず、四方四隅心に任す。とかく右脇臥にありたきものなり。僧祇律等の意に仰臥・阿修羅臥と。覆臥・餓鬼臥と。左脇席に著けば婬欲臥すとは之の為べからず。右脇席に著すは師子王臥の如し。両脚塁ね両足双伸するを得ず、是頭北面西臥なり。旦し右脇臥にて拝見なるやうに臨終佛・香花等弁備すべし。衣服も随分軽きやうなるを身にさはらぬやうに着せおくべし。息断へても廿四時が内は必ず身にさはるべからず。入棺の用心に息絶とそのまま手足ををりかがめなどにすればひねりころすも同然大罪なり。慎むべし恐るべし。息絶とそのまま身にさわらぬやうに口の内幷に胸の上に光明真言の加持土砂をふりかけおけば生きたる時の如く総身やはらかにあたたかにて入棺のときも手足自然になるなり。沐浴入棺の時も又土砂を入るべし。真言不思議即身成仏の加持力、この土砂の功能にて知るべし。出る息と俱に折々勧むる阿字も耳へおしつけ緊しくいふはあしし。随分柔和なる音にて耳へ押し付けずに静かに勧むべし。是の如く心を用ゐてのどかに阿字を唱えへて命終せば臨終正念即成阿字身疑ふところなし。阿は是れ人人本具の命風(大日経阿字第一命云々。「大毘盧遮那成佛神變加持經・悉地出現品第六」「阿字第一命 是爲引攝句 常安大空點 能攝授諸果」)、阿より出でて阿に帰し、生入死出総て是阿なるは法爾自然の道理なり。設ひ教へて六字の名字、七字の題目、五字の真言など唱へしむとも平生は唱ふべけれども最後は断末魔骨節疼き痛む時、五字六字七字は勿論、阿の外は鑁の一字も妙の一字も彌の一字も唱へ難し。尤も不思議の根拠、不思議の法力、断末魔の時、五六七字を唱へ、又は妙の一字、彌の一字、陀の一字等を唱て正念往生正念成仏するも、希には有るべけれども亦是本具自然の阿の聲の上の妙字等なれば、兎角唱易本具自然の阿の聲を常常唱へ観練薫修し自身全く阿字身と思ひ取て余念余思惟なきが無上の臨終の用心、無上の平生の用心なり。阿字身と云ふは大日如来なり。大日如来とて余尊に対する一身にもあらず。佛菩薩声聞縁覚人道天道十界の依正皆悉く大日如来なり。是故に極楽浄土も阿字身なり。阿弥陀如来も阿字身なり。弥勒菩薩も阿字身なり。兜率の浄土の阿字身なり。霊山會上も亦阿字身なり。釈迦如来も阿字身なり。心佛衆生是三無差別(大方廣佛華嚴經夜摩天宮菩薩説偈品第十六「心如工畫師 畫種種五蘊 一切世界中 無法而不造 如心佛亦爾 如佛衆生然 心佛及衆生 是三無差別」)、十界依正全く自身、全く阿字身なれば、自身阿字身と思ひとる外か何の浄土へ往生し何れの仏になるべきと分別するにも及ばざるなり。昔悉達太子の難行苦行も只だ佛に成らんとばかりに何の浄土へ往生し何れの佛と成らんとの余念余思惟はさらさらなかりしなり。但しかくいへばとて何れの浄土へ往生し何れの佛となりたしと願ふを決して僻事と云ふには非ず。然るに人人本具の無造無作自然の命風の阿と相応するは阿字身の故に。阿字身とはいへども又は自身即ち一大円満如意宝珠、又は自身即大日如来、又は自身即極楽浄土、又は自身即釈迦如来と観ずる等、行者の意楽に任すべし。阿字即釈迦如来、阿字即兜率の浄土等の故に命風の阿、何の佛菩薩、何れの浄土と思ひ取りても少しも相違なきなり。請ふ、有空不二の中道を観ずる者、八不中道を観ずる者(三論宗)、本来無一物と観ずる者(禅宗)、三千三諦の観を作す者(天台宗)、六相十玄の観を作す者(華厳宗)、本初不生の観を作す者、念仏の者、称題の者、等しく阿字門平等の法門を修して同じく阿字門平等の妙果に住せよ。何れの宗の教か實に阿字身にあらざる。もし六字の名号にて往生せんとおもふものは阿字を六字の名号と思ひ取て唱ふべし。七字の題目にて生前に無生法忍を得んと思ふ者は阿字を七字の題目と思取て唱ふべし。又は阿字即有空不二の中道乃至阿字即六相十玄十重無盡と思取て唱念すべし。何れの宗、何れの法も全く平等の阿字門なり。是の如く返す返す阿字を唱へよ観ぜよと勧むも、一息絶断のとき阿字より以外は唱へがたければなり。心をよせて阿(梵字)と唱るも心をよせず 阿(梵字)と唱へざるも、阿の功徳を知も、阿の功徳を知らざるも、ありとしあらゆるもの、出入の息せざるはなし。出入の息は自然の阿の字の聲なれば阿字門を離れては生死の道もなし。況や菩提の道をや。凡そ阿字門の功能の広大甚深なること只未来一大事のみならず現在災を払ひ、福を求るに響きの音に応ずるが如し。大日経疏に曰く「阿字門を以て出入の息に作して三時に思惟すれば、壽命長遠なり。若し短命の者は三時に阿字を思惟すれば即ち
壽を得、薬物の毒・龍蛇等の毒・貪瞋痴の三毒・内外一切の毒を除かんと欲すせばこの阿字を想へ。毒漸漸に下らば字も亦之を追ひ出し盡して即ち除くなり、と云々」(大毘盧遮那成佛經疏卷第十一悉地出現品第六「經云。以阿字門作出入息。三時思惟。行者爾時能持誦。壽命長劫住世。此明阿字菩提心不生不滅門。若欲住壽長久者。想阿字同於出入息謂以此字作出入息令出入分明不斷也 若短命者。如是想念日日三時思惟。即得常壽也。祕説者。字及句并本尊爲三時也。若欲攝一切毒。想是阿字。或自或他想在身。若如自在者。想此字於有毒之處。漸遍身分而驅下之。毒漸漸下字亦逐之。逐出盡即除也。」)。「諸仏を見上らんと欲ふ者、供養せんと欲ふ者、發菩提心を證せんと欲する者、諸菩薩と同會せんと欲する者、衆生を利益せんと欲する者、悉地を求めんと欲する者、一切智智を求めんと欲する者、此の諸佛の心に於て。勤て之を修すべし。諸仏の心とは阿字門也云々」
(大毘盧遮那成佛神變加持經・悉地出現品第六「善男子此阿字。一切如來之所加持。眞言門修菩薩行諸菩薩。能作佛事普現色身。於阿字門。一切法轉。是故祕密主。眞言門修菩薩行諸菩薩。若欲見佛若欲供養。欲證發菩提心。欲與諸菩薩同會。欲利益衆生。欲求悉地。欲求一切智智者。於此一切佛心。當勤修習」)。
「一切如来この阿字門に由りて正覚を成じ、此を以て護心したまふ。。異路有ることなし。唯だ此一門也。初て佛教に依りて発心るは即ち阿字也。後に即ち成仏して佛に等しきは是の阿字也。
(大毘盧遮那成佛經疏卷第十五・祕密漫荼羅品第十一之餘「一切如來昔因此門而成正覺。以此護心。或加暗。於頂及加囉於眼等。是堅固菩提心。是故得成自在之業。若異此者不得心自在也。故云非餘。非餘者。言一切如來成佛。無有異路唯此一門也。初加持地依於佛教。佛謂阿字也。第二心自在。謂安點也。點即是三昧。定慧等故一切自在也。更不應異此教也。初依佛教發心。即阿字後即成佛等於佛。即是阿字也。」)
「時に毘盧遮那如来、種々の形を出し竟って仏身の支部に入り又復如来不思議法身の中に入るとは、意は阿より出でて又阿より入ることを明かす也、云々」(大毘盧遮那成佛經疏・入祕密漫荼羅位品第十三「時出種種形竟。還入佛身支分。又復還入如來不思議法身之中。各隨所生之處而入。故經云。又復入如來祕法身不思議。此不思議梵音阿眞底。亦有阿聲。意明從阿而出又從阿而入也」)。過去の仏も是の如く説き、現在の仏も是の如く説き、未来の仏も是の如く説き、説き説き説き究竟じて更に異路なし。四部の弟子(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)教えの如く信受し奉行すべし。具には心地法門に説くが如し。披閲を要せんものは行きて看よ。努努等閑に看過して終焉の一大事を誤るなかれ。」
(注1・作者略傳)京都智積院第二十世浄空僧正。字は慈潭、號を白壌といひ。後に改めて法國と云ふ。下野丹津川村の人、俗姓は鈴木氏。母は同郷新井氏の女なり。元禄六年十月十日に生る。甫めて七歳、四書を父に学び、翌年村の寛光寺に投じて三體詩・古文を読み、九歳の時、龍華院に往き至日、院主に五経,文選幷に仏書等を受け十歳にして詩を賦し文を綴るに至る。初め叔父出家して名を海浄、字を善衣と称し京都に在り。十三歳の時、観照阿闍梨海浄に代わり師の髪を剃り戒を受く。十四歳の冬、論場に於て論鋒を交へ老宿舌を捲き敢て當る者なし。十七歳の時、海浄、武蔵倉田明星院に住す。師従ひ往きて常に給仕す。師、袁中郎(明代後期の官吏・詩人。浄土信仰や禅宗について述べた『西方合論』等)の集を愛読す。十八歳和上の住心論疏・起信論蔵疏・四教集解等の講席に侍す。二十歳智積院に掛塔に祖堂に於て十住論を読み自誓して曰く「住心次第、大小権実、孔老勝数の如きは一一宗祖の範を渉猟して分別すべからず。戒を学び定を学ぶとも中間期なからん。大毘盧遮那如来を俟ちて止まんのみ」と。論場匹敵するものなし。爾後儒林に遊学し盛唐の詩調を学ぶ。後、華開院(現在浄土宗。開基は後深草天皇皇子、光岸法達親王とし、後深草天皇の意を受けて創建されたと伝える。守良親王の遷御により五辻御所と呼ばれた。応仁の乱で西軍の陣)湛恵の下にて圓暉頌疏(倶舍論頌疏)を聴き、奈良薬師寺高範の下にて因明唯識を聞き沓掛の如山禅師の下に往き倶舎論光記(唐の普光撰)を討論し、退きて光寶二記(「倶舎論記・唐の普光述」「倶舎論疏・唐の法寶述」)、俱舎、婆娑(阿毘逹磨大毘婆沙論)、正理(阿毘達磨順正理論)、顕宗等を対検すること一年、尋いて鳳潭(江戸中期の華厳僧、以下はいずれも鳳潭の著)の輪下に因明瑞源記、四教儀集註、起信論義記、五教章匡真鈔の講述を聞き、北野高麗寺に於て三論及び金錍消毒(「金剛錍論(唐の湛然の著。草木・国土などの非情にも仏性が備わるとする)」の注釈書)の講筵に交り、成唯識疏を聞かんと欲して半途退隠し自ら三十論、二十論、両疏、瑜伽(瑜伽師地論)等を見ること一年、其の余暇、五智山如幻を訪ひて問尋す。其の後三井の義端(三井寺の僧)の入疏を聴受せんと欲し、両三席にして市中に屛居し、入疏、三大部(天台三大部(法華玄義・法華文句・摩訶止観))、観音玄義、光明玄義(金光明玄義)、涅槃経會疏、指要抄(「十不二門指要鈔」宋の知礼の著。湛然の『十不二門』に対する注釈書。観心の対象が妄念を離れた純粋な心であるとする山外派の主張に対して,一心三観などの瞑想法の対象となるのは,迷っている状態のままの心であると強く主張し,天台宗教学をもとの形に復することをねらいとした山家派の主張)等を講究し、鳳潭、梵網経疏(唐の法読)を講ずるを聴受し、新旧華厳を決択し尋いで範僧正に随ひて報恩院流の聖教を受け、寶詮和上に安流の聖教を授かり其の源底を盡し秘密諸軌を伝授す。後、大日経疏諸鈔を集め沈潜反復して怠ることなし。時に智山喧擾あり、師、黒谷の傍に幽棲し総て人事を絶ち書巻中に遊ぶこと三年、其の中百日百夜誓て無言を保ちて思惟す。師智山野山豊山三山を離れて孤峯頂上に隠棲し一門を立てんと欲すること数度なれども労しその法脈を断んことを恐れて許さず。是に於いて隠棲を遂げず。享保十年1726四月三十日老師の病報来る。即ち智山より起ち百三十四里の間を馳せ五月五日病床に着し両日両夜手ずから湯薬を奉ず。老師八日に寂す。其の臨終に方り持寶山浄妙に法を授け、諸流の印可を授く。師乃ち浄妙の下にありて西院流四度の灌頂、三部厚艸子等悉く付可せらる。仍って席を嗣ぎ明星院(真言宗智山派の桶川市の明星院か)に住し其の三十二代となり、翌年集解を講ず。後二十二年半ば智山にありて学業を力む。寶暦六年1756六十四歳にして幕命を蒙り江戸円福寺に住すること四年、宝暦九年1759再び命を承けて智積院に進み参内して竜顔を拝す。学徒を指揮すること八年、明和三年1766三月退隠す。六年大衆の請を容れて奥疏(大日経疏奥之疏か)を講授し、八年六月五日瑞應山に移住し同十二日より九月九日に至る迄、住心品疏、蘇漫聲、殺三磨婆釈を講ず。安永四年十月二十四日病に罹り同二十八日夜寂に入る。壽八十三。著作、禅餘筆陳四巻、減縁減行爾暉論遊刃一巻、釈難一巻、八轉聲鈔批點一巻、六釈通開批點一巻、因明講述五巻、倶舎執中十九巻、唯識執中三十一巻、起信論執中十巻、集解通釈十巻、指要通釈五巻、教分記執中十二巻、大日経疏鈔執中四十九巻、大毘盧遮那心地法門十八巻、即身成佛安心決定一巻、付法實録一巻あり。