4年前の今日、東日本大震災がおこりました。地殻変動で地震が起こるといってみても、ではなぜ地殻変動が起こるのか?です。
「大智度論巻」ではまさにわれわれ凡愚の衆生を覚醒するために地震が起こるとあります。
大智度論巻弟八です、
「問曰。佛何以故に三千大千世界を震動させたまふや。
答曰。衆生をして一切皆空無常なることを知らしめんと欲するが故に。諸人あり、言く、大地及日月須彌大海是皆有常なりと。是以て世尊は六種に地を動かして此の因縁を示し、無常なることを知らしめ給ふ。
・・・
復次に・・衆生の福徳微薄にして一切磨滅し、皆歸無常に帰することを知らしめたまふ。
今以是三千大千世界、雜惡の衆生其心麁にして善事あることなし。是故に世尊は此の大地を動かし、皆柔軟心にして利益を得さしめたまふ。・・・」
また、性霊集を読み返すと、お大師様の「恵果和尚の碑」の中に「一たびは明らかに一たびは暗きこと天の常なり。」(明るいことがあれば暗いこともある即ち吉凶はあざなえる縄のごときものであることは天の道理である)とあったことや、
「天長皇帝大極殿にして百僧を屈するあまごひの願文」に「・・・三綱(君臣、父子、夫婦の道)弛み紊れて、五常(仁義礼智臣)廃れ絶ゆるときは旱澇飢饉し邦國荒涼す。國十善をおこなひ、人五戒を修すれば、五穀豊登し、萬民安楽なり。」とありました。すなわち人々の行いが悪ければ自然災害がおこり、行いが治まってくれば国は安泰であるとあったのです。
しかし多くの方が犠牲となりました。また深刻な被災をされました。いたいけない子を失った方、家族全員を失った方、報道を見るたびに本当にいつまでたってもやりきれない思いです。被災された方々は単に運が悪かっただけなのでしょうか。とてもそんなことでは納得できません。先の経典等の文では業を積み重ねている我々を覚醒させるために地震がおこるとありますがそれでは不条理にも犠牲になった方々はどう考えればいいのでしょう。人間の側の尺度ではこういう悲惨な出来事の解釈は不能です。
只どうしても人間側としてこういう悲惨な出来事に理屈をつけたくなることも事実です。どうしてもというならば「代受苦の菩薩様」という概念で考えねばやり切れません。代受苦の思想は瑜伽師地論 や華厳経等多くの経典に出てきます。
聖徳太子は倒れている異人に衣をかけてやると達磨大師だったとか、光明皇后が、らい病者の膿を吸ってやると阿閦如来となって天に昇ったとかの伝説があります。鎌倉時代、叡尊・忍性は光明皇后の伝統を引き継ぎ悲田院・敬田院を再興し弱者救済に励みますがこの背後には不条理な目にあっている人々の本当の姿は文殊菩薩、地蔵菩薩、観世音菩薩であるという信仰がありました。まさにおおくの経典にとかれているとおりです。今回の悲惨な犠牲者の方々はまさに我々の無始以来の深い罪業を代わって受けてくださった「代受苦の菩薩様」です。本当は文殊菩薩、地蔵菩薩、観世音菩薩様であったのでしょう。そしてわれわれはこの「代受苦の菩薩様」にあらゆる方法で報恩行をすることによってのみ罪業から救われるのでしょう。本日はボラチアにいけない方も四回忌を導いてくださる普賢菩薩様の御真言「おん さんまやさとばん」七回と、光明真言(これは一切の万徳のもと、五智如来の秘密呪で、光明真言を一遍唱えて亡魂に回向すれば阿弥陀如来御手を授けて極楽浄土に引導したまい、四十九回唱へて回向すれば、無量寿如来かの霊を荷負して極楽に生ぜしめたまい、地獄餓鬼畜生阿修羅道の苦しみを免れる機会なきもののためにも、おのおの四十九回唱えて回向すれば、その苦しみを免れ、浄土に往生すと。(玉かがみ)言われています。)「おん あぼきゃべいろしゃのまかぼだらまに はんどま じんばら はらばりたや うん」もできれば四十九回犠牲者の為におとなえしていただくと有難いと思います。
「大智度論巻」ではまさにわれわれ凡愚の衆生を覚醒するために地震が起こるとあります。
大智度論巻弟八です、
「問曰。佛何以故に三千大千世界を震動させたまふや。
答曰。衆生をして一切皆空無常なることを知らしめんと欲するが故に。諸人あり、言く、大地及日月須彌大海是皆有常なりと。是以て世尊は六種に地を動かして此の因縁を示し、無常なることを知らしめ給ふ。
・・・
復次に・・衆生の福徳微薄にして一切磨滅し、皆歸無常に帰することを知らしめたまふ。
今以是三千大千世界、雜惡の衆生其心麁にして善事あることなし。是故に世尊は此の大地を動かし、皆柔軟心にして利益を得さしめたまふ。・・・」
また、性霊集を読み返すと、お大師様の「恵果和尚の碑」の中に「一たびは明らかに一たびは暗きこと天の常なり。」(明るいことがあれば暗いこともある即ち吉凶はあざなえる縄のごときものであることは天の道理である)とあったことや、
「天長皇帝大極殿にして百僧を屈するあまごひの願文」に「・・・三綱(君臣、父子、夫婦の道)弛み紊れて、五常(仁義礼智臣)廃れ絶ゆるときは旱澇飢饉し邦國荒涼す。國十善をおこなひ、人五戒を修すれば、五穀豊登し、萬民安楽なり。」とありました。すなわち人々の行いが悪ければ自然災害がおこり、行いが治まってくれば国は安泰であるとあったのです。
しかし多くの方が犠牲となりました。また深刻な被災をされました。いたいけない子を失った方、家族全員を失った方、報道を見るたびに本当にいつまでたってもやりきれない思いです。被災された方々は単に運が悪かっただけなのでしょうか。とてもそんなことでは納得できません。先の経典等の文では業を積み重ねている我々を覚醒させるために地震がおこるとありますがそれでは不条理にも犠牲になった方々はどう考えればいいのでしょう。人間の側の尺度ではこういう悲惨な出来事の解釈は不能です。
只どうしても人間側としてこういう悲惨な出来事に理屈をつけたくなることも事実です。どうしてもというならば「代受苦の菩薩様」という概念で考えねばやり切れません。代受苦の思想は瑜伽師地論 や華厳経等多くの経典に出てきます。
聖徳太子は倒れている異人に衣をかけてやると達磨大師だったとか、光明皇后が、らい病者の膿を吸ってやると阿閦如来となって天に昇ったとかの伝説があります。鎌倉時代、叡尊・忍性は光明皇后の伝統を引き継ぎ悲田院・敬田院を再興し弱者救済に励みますがこの背後には不条理な目にあっている人々の本当の姿は文殊菩薩、地蔵菩薩、観世音菩薩であるという信仰がありました。まさにおおくの経典にとかれているとおりです。今回の悲惨な犠牲者の方々はまさに我々の無始以来の深い罪業を代わって受けてくださった「代受苦の菩薩様」です。本当は文殊菩薩、地蔵菩薩、観世音菩薩様であったのでしょう。そしてわれわれはこの「代受苦の菩薩様」にあらゆる方法で報恩行をすることによってのみ罪業から救われるのでしょう。本日はボラチアにいけない方も四回忌を導いてくださる普賢菩薩様の御真言「おん さんまやさとばん」七回と、光明真言(これは一切の万徳のもと、五智如来の秘密呪で、光明真言を一遍唱えて亡魂に回向すれば阿弥陀如来御手を授けて極楽浄土に引導したまい、四十九回唱へて回向すれば、無量寿如来かの霊を荷負して極楽に生ぜしめたまい、地獄餓鬼畜生阿修羅道の苦しみを免れる機会なきもののためにも、おのおの四十九回唱えて回向すれば、その苦しみを免れ、浄土に往生すと。(玉かがみ)言われています。)「おん あぼきゃべいろしゃのまかぼだらまに はんどま じんばら はらばりたや うん」もできれば四十九回犠牲者の為におとなえしていただくと有難いと思います。