十一月六日 曇、時雨、晴、行程六里、室戸町、原屋。
朝すこしばかりしぐれた、七時出立、行乞二時間、銭四銭米四合あまり功徳を戴いた、行乞相は悪くなかったと思う、海ぞいに室戸岬へいそぐ、途上、奇岩怪石がしばしば足をとどめさせる、椎名隧道は額画のようであった、そこで飯行李を開く、私もまた額画の一部分となった訳である。
室戸岬の突端に立ったのは三時頃であったろう、室戸岬は真に大観である、限りなき大空、果しなき大洋、雑木山、大小の岩石、なんぼ眺めても飽かない、眺めれば眺めるほどその大きさが解ってくる、……ここにも大師の行水池、苦行窟などがある、草刈婆さんがわざわざ亀の池まで連れて行ってくれたが亀はあらわれなかった、婆さん御苦労さま有難う。
山の上に第二十四番の札所東寺がある、堂塔はさほどでないが景勝第一を占めている、そこで、私は思いがけなく小犬に咬みつかれた、何でもないことだが寺の人々は心配したらしい、私はさっさと山を下った、私としてこれを機縁として、更に強く更に深く自己を反省しなければならない。
麓の津呂で泊るつもりだったけれど泊れなかった(断られたり、留守だったりして)、とうとう室戸の本町まで歩いて、やっと最後の宿のおかみさんに無理に泊めて貰った、もうとっぷり暮れていたのである。
片隅で無燈、一杯機嫌で早寝した(風呂があってよかった)。
(山頭火もお婆さんにいろいろ案内してもらったようですが、自分も何回目かの遍路で御蔵堂の茶店のお婆さんに御蔵堂の岩肌を指さされて「あそこにお大師様が見えるでしょう、信心者にはみえるのですよ。」といわれたのにはまいりました。ここはむかしからお婆さんが出没してお遍路をもてなすところなのでしょう。ここで「東寺」というのは最御崎寺のことでこのあとしばらくは最御崎寺そのものでも宿坊をされていたがいまはやめておられます。いずれにせよ宿坊さえしていただいていたならこういう遍路の苦労はないのですが・・。)
(十一月六日)“室戸岬”へ
波音しぐれて晴れた
あらうみとどろ稲は枯れてゐる
かくれたりあらはれたり岩と波と岩とのあそび
海鳴そぞろ別れて遠い人をおもふ
ゆふべは寒い猫の子鳴いて戻つた
あら海せまる蘭竹のみだれやう
東寺
うちぬけて秋ふかい山の波音
土佐海岸
松の木松の木としぐれてくる
朝すこしばかりしぐれた、七時出立、行乞二時間、銭四銭米四合あまり功徳を戴いた、行乞相は悪くなかったと思う、海ぞいに室戸岬へいそぐ、途上、奇岩怪石がしばしば足をとどめさせる、椎名隧道は額画のようであった、そこで飯行李を開く、私もまた額画の一部分となった訳である。
室戸岬の突端に立ったのは三時頃であったろう、室戸岬は真に大観である、限りなき大空、果しなき大洋、雑木山、大小の岩石、なんぼ眺めても飽かない、眺めれば眺めるほどその大きさが解ってくる、……ここにも大師の行水池、苦行窟などがある、草刈婆さんがわざわざ亀の池まで連れて行ってくれたが亀はあらわれなかった、婆さん御苦労さま有難う。
山の上に第二十四番の札所東寺がある、堂塔はさほどでないが景勝第一を占めている、そこで、私は思いがけなく小犬に咬みつかれた、何でもないことだが寺の人々は心配したらしい、私はさっさと山を下った、私としてこれを機縁として、更に強く更に深く自己を反省しなければならない。
麓の津呂で泊るつもりだったけれど泊れなかった(断られたり、留守だったりして)、とうとう室戸の本町まで歩いて、やっと最後の宿のおかみさんに無理に泊めて貰った、もうとっぷり暮れていたのである。
片隅で無燈、一杯機嫌で早寝した(風呂があってよかった)。
(山頭火もお婆さんにいろいろ案内してもらったようですが、自分も何回目かの遍路で御蔵堂の茶店のお婆さんに御蔵堂の岩肌を指さされて「あそこにお大師様が見えるでしょう、信心者にはみえるのですよ。」といわれたのにはまいりました。ここはむかしからお婆さんが出没してお遍路をもてなすところなのでしょう。ここで「東寺」というのは最御崎寺のことでこのあとしばらくは最御崎寺そのものでも宿坊をされていたがいまはやめておられます。いずれにせよ宿坊さえしていただいていたならこういう遍路の苦労はないのですが・・。)
(十一月六日)“室戸岬”へ
波音しぐれて晴れた
あらうみとどろ稲は枯れてゐる
かくれたりあらはれたり岩と波と岩とのあそび
海鳴そぞろ別れて遠い人をおもふ
ゆふべは寒い猫の子鳴いて戻つた
あら海せまる蘭竹のみだれやう
東寺
うちぬけて秋ふかい山の波音
土佐海岸
松の木松の木としぐれてくる