福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

Q,四十九日の法要はなぜ大切といわれるのですか?

2013-03-27 | 法話
Q,四十九日の法要はなぜ大切といわれるのですか?

A,お経に死後四十九日の追善供養により故人の受ける福分がきまってくるとされているからです。
出典をあげます。

佛説灌頂隨願往生十方淨土經卷第十一に「普廣菩薩復佛に白して言さく、『若し四輩の男女善く法戒を解し、身の幻の如くなるを知りて精勤修習して菩提の道を行じ、未だ終らざるの時に逆修三七(21日間)燈を然(もや)し、明を續ぎ、旛蓋を懸け、衆僧を請召して尊經を轉讀し、諸の福業を修す。福を得るは多なりや不や。』佛言はく『普廣よ其福無量にして度量すべからず。心の願ふ所に隨って其の果實を獲るなり。』」

薄草子口決 「 彼の衆生の善惡増は歿後の追善に依る也」とあります。

地蔵菩薩本願功徳経巻下、利益存亡品第七「若し能く更に身死しての後七七日の内に廣く衆
善を造らば、能く是の諸の衆生をして永く惡趣を離れ、人天に生ずることを得て、勝妙の樂を受けしめ、現在の眷屬は利益無量なるべし。・・・命終の日に臨みて一佛名一菩薩名一辟支佛名を聞くことを得ば、罪有るも罪無きも問はず、悉く解脱を得べし」

梵網戒経「父母兄弟和上阿闍梨亡滅之日、及び三七日乃至七七日また應さに大乘經律を讀誦講説し、齋會して福を求むべし。」

佛説灌頂七萬二千神王護比丘呪經「若し人終未終之日に臨んで當に爲燒香然燈續明、塔寺中
表刹之上において、懸命に幡を過び、尊經を轉讀して三七日を竟うべし。然る所以の者は命終の人中陰の中に在りて身は小兒の如し。罪福未だ定まらず。應に爲に福を修すべし。願くは亡者の神、使十方無量の(佛)刹土に生じ、此の功徳を承けて必ず往生せしめん。」
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