「神仏も衆生も目的は一つであること」
神仏の目的も我々衆生の人生の目的も同じではないか。つまりそれは「不条理への挑戦」ではないか?と思うようになってきました。この世は地獄で「不条理」で満ち満ちています。言い換えれば「解のない苦悩」でみちみちています。ウクライナでも幼子が無残に殺され、東日本大震災でも無数の人々が津波に浚われました。コロナでもアッという間に世界中で700万人が犠牲になりました。自分の責任でもないのに障害を背負わされた1千万人の心身障害者の方々がいます。不治の病で幼子を残してなくなる親も数え切れません。市井三郎は歴史の進歩とは「各人が責任を問われる必要のないことから受ける苦痛を、可能な限り減していくこと」である、という趣旨の事を書いていたとおもいますが、これを敷衍すれば、神仏や人生の目的は「不条理をできるかぎり減らしていくこと」つまり「不条理への挑戦」でなければならない、と思っています。