福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

釈雲照師「十善業道経講義」から・・その28

2018-03-28 | 諸経
「また次に竜王、若し邪見を離るれば即ち十種の功徳の法を成就することを得。」
これから不邪見戒のお話である。が、この戒を保つにはまず無我ということを知らなくてはならぬ。・・凡そ因縁より生ずるもので独立なものは一つもない。・・無我とは独立のものが一つもないということ。・・・一つの小さい針でも皆何万人の手を経て出来上がったものかわからぬ。だから俺一人でやるのだという考えは大きな間違い。皆世界の多くの人々の世話になって成り立つもので、互いに会い助け合うて今日を暮していくのじゃ。これを衆生縁の慈悲という。これを知らずして独立独行などというのはやがて邪見を起こす本である。・・いかに独立自尊と云う人でも自身で骨肉を造って自身の力で生まれ、独立したというものは一人もない。この「我」というものは一切衆生の共有物、・・「我」と思うていてもその実「我」でないとわかる。それが無我じゃ。それを因縁生という。・・衣服も食物も自身の手足も(一切衆生の恩によりなりったっている)。随って一切衆生の恩を報ずるために、天子様の恩を報ずるために、父母の恩を報ずるために、我が身を忘れて尽くさねばならぬ。・・こうわかるが不邪見戒を成ずることじゃ。慈雲尊者の十善法語(不邪見戒)の中に、「不邪見戒その身に有れば一切の人民、貴賤男女を見るときにも山河大地を見るときにも、全く因果応報の相じゃ。・・一切の邪思惟分別、聖を蔑にし賢を謗り、神祇を侮り、佛菩薩を非毀する悪族煩悩はよりつかぬじゃ。・・・宿福なきものは智者も愚者も学者も不学者も、仏あることを信ぜぬ、法あることを信ぜぬ、聖賢あることを信ぜぬ、神祇あることを信ぜぬ、善悪報応あることを信ぜぬじゃ。・・重病必死の人は明医の言を信ぜぬもの、又多くは明医に逢わぬものじゃ。・・」とあります。)
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