昨日の花祭り模様
昨日孫が護国寺の花祭り御稚児行列に参加しましたので、一緒に行きました。今までも孫は二回ほど御稚児さんに参加していたのですが福聚講と重なって行けませんでしたが今年は初めて孫の稚児姿を見ることができました。昨日もお釈迦様のお誕生日を祝うかの如く空は晴れ上がり、うららかな春光が五色の吹き流しに照り注いでいました。境内の桜はもう殆ど葉桜となっていましたが本堂横の八重桜のみは華やかに咲き誇っています。今年は御稚児さんの申し込みが多く50人の定員を超えたので断られた方も多かったといいます。
お化粧をされ稚児衣装を着せられた孫は親馬鹿ならぬ孫馬鹿でなかなか凛々しく見えます。外人やお参りの人も断って写真を撮っていきます。
鐘の音と法螺貝、錫杖の響きに先導され僧侶の方々の後を50人のかわいい御稚児さん達の稚児行列が不老門を通って本堂に上がっていきます。本堂ではお勤めに合わせて御本尊が御開帳され岡本管主さまが御導師をされました。御稚児さんの代表が献茶や献花をし、また一人一人が名を読み上げられ灌仏堂のお釈迦様に甘茶をおかけして洒水をうけお守りを頂きます。最後に音羽ゆりかご会の子供たちが「巡礼賛歌」「ふるさと」などを天使のような声で(仏教用語でいうと迦陵頻伽のような声で)歌うのを聞くと御本尊の如意輪観世音様もさぞお喜びと思われました。まさに護国寺本堂が極楽浄土に変じた気がします。
最後に小林執事様の法話、お釈迦様の四門出游の話があり、余韻に浸りながら花祭りを終えました。
装束やを返しに再度本坊に帰るとき、孫の保育園の友達に会いました。その子は障碍児でちゃんと話ができませんでした。私ははっとして今迄の極楽気分が飛んでしまいました。まさにさきの四門出游の話のように、このさ中にもいろいろな試練にあっている人がいることを再度思い知らされます。そういえば「天使経」というお経があります。現世で閻魔様のお使いの5人の天使(生・老・病・貪・死)の姿を見ながら、浮かれたまま人生を過ごしていた罪人が地獄に落ちる話です。
「天使経・第二章
閻魔王は、彼に、第一の天使に付いて尋ねる。 『地獄の罪人よ、おまえは、人界に於いて、
私が遣わした、第一の天使を、見なかったか。』『いいえ、大王よ、私は、一度も見ていません。』『生れて来た、赤子の姿を見なかったのか。 三苦の証となる、生の存在を見なかったのか。』 『いいえ、大王よ、確かに、私は見ていました。』 『生を知る事も出来、生を見る事も出来た。にもかかわらず、お前は、生を越えなかった。』 『はい、愚か故に、私は善を積みませんでした。』
「閻魔王は、彼に、第二の天使に付いて尋ねる。」 『地獄の罪人よ、おまえは、人界に於いて、私が遣わした、第二の天使を、見なかったか。』『いいえ、大王よ、私は、一度も見ていません。』 『老いて行く、老人の姿を見なかったのか。 壊苦の証となる、老の存在を見なかったのか。』『いいえ、大王よ、確かに、私は見ていました。』『老を知る事も出来、老を見る事も出来た。にもかかわらず、お前は、老を越えなかった。』 『はい、愚か故に、私は善を積みませんでした。』
「閻魔王は、彼に、第三の天使に付いて尋ねる。」 『地獄の罪人よ、おまえは、人界に於いて、私が遣わした、第三の天使を、見なかったか。』『いいえ、大王よ、私は、一度も見ていません。』『病んで行く、病人の姿を見なかったのか。行苦の証となる、病の存在を見なかったのか。』『いいえ、大王よ、確かに、私は見ていました。』『病を知る事も出来、病を見る事も出来た。にもかかわらず、お前は、病を越えなかった。』『はい、愚か故に、私は善を積みませんでした。』
「閻魔王は、彼に、第四の天使に付いて尋ねる。」『地獄の罪人よ、おまえは、人界に於いて、
私が遣わした、第四の天使を、見なかったか。』『いいえ、大王よ、私は、一度も見ていません。』『膨らみ行く、我儘な姿を見なかったのか。苦苦の証となる、我の存在を見なかったのか。』『いいえ、大王よ、確かに、私は見ていました。』 『我を知る事も出来、我を見る事も出来た。にもかかわらず、お前は、我を越えなかった。』『はい、愚か故に、私は善を積みませんでした。』
「閻魔王は、彼に、第五の天使に付いて尋ねる。」『地獄の罪人よ、おまえは、人界に於いて、
私が遣わした、第五の天使を、見なかったか。』『いいえ、大王よ、私は、一度も見ていません。』『朽ちて行く、死人の姿を見なかったのか。 皆苦の証となる、死の存在を見なかったのか。』 『いいえ、大王よ、確かに、私は見ていました。』『死を知る事も出来、死を見る事も出来た。にもかかわらず、お前は、死を越えなかった。』『はい、愚か故に、私は善を積みませんでした。』 『地獄の罪人よ、すべては、お前の咎である。
為した事が返るまで、獄を抱いて、罪を清めよ。』
昨日孫が護国寺の花祭り御稚児行列に参加しましたので、一緒に行きました。今までも孫は二回ほど御稚児さんに参加していたのですが福聚講と重なって行けませんでしたが今年は初めて孫の稚児姿を見ることができました。昨日もお釈迦様のお誕生日を祝うかの如く空は晴れ上がり、うららかな春光が五色の吹き流しに照り注いでいました。境内の桜はもう殆ど葉桜となっていましたが本堂横の八重桜のみは華やかに咲き誇っています。今年は御稚児さんの申し込みが多く50人の定員を超えたので断られた方も多かったといいます。
お化粧をされ稚児衣装を着せられた孫は親馬鹿ならぬ孫馬鹿でなかなか凛々しく見えます。外人やお参りの人も断って写真を撮っていきます。
鐘の音と法螺貝、錫杖の響きに先導され僧侶の方々の後を50人のかわいい御稚児さん達の稚児行列が不老門を通って本堂に上がっていきます。本堂ではお勤めに合わせて御本尊が御開帳され岡本管主さまが御導師をされました。御稚児さんの代表が献茶や献花をし、また一人一人が名を読み上げられ灌仏堂のお釈迦様に甘茶をおかけして洒水をうけお守りを頂きます。最後に音羽ゆりかご会の子供たちが「巡礼賛歌」「ふるさと」などを天使のような声で(仏教用語でいうと迦陵頻伽のような声で)歌うのを聞くと御本尊の如意輪観世音様もさぞお喜びと思われました。まさに護国寺本堂が極楽浄土に変じた気がします。
最後に小林執事様の法話、お釈迦様の四門出游の話があり、余韻に浸りながら花祭りを終えました。
装束やを返しに再度本坊に帰るとき、孫の保育園の友達に会いました。その子は障碍児でちゃんと話ができませんでした。私ははっとして今迄の極楽気分が飛んでしまいました。まさにさきの四門出游の話のように、このさ中にもいろいろな試練にあっている人がいることを再度思い知らされます。そういえば「天使経」というお経があります。現世で閻魔様のお使いの5人の天使(生・老・病・貪・死)の姿を見ながら、浮かれたまま人生を過ごしていた罪人が地獄に落ちる話です。
「天使経・第二章
閻魔王は、彼に、第一の天使に付いて尋ねる。 『地獄の罪人よ、おまえは、人界に於いて、
私が遣わした、第一の天使を、見なかったか。』『いいえ、大王よ、私は、一度も見ていません。』『生れて来た、赤子の姿を見なかったのか。 三苦の証となる、生の存在を見なかったのか。』 『いいえ、大王よ、確かに、私は見ていました。』 『生を知る事も出来、生を見る事も出来た。にもかかわらず、お前は、生を越えなかった。』 『はい、愚か故に、私は善を積みませんでした。』
「閻魔王は、彼に、第二の天使に付いて尋ねる。」 『地獄の罪人よ、おまえは、人界に於いて、私が遣わした、第二の天使を、見なかったか。』『いいえ、大王よ、私は、一度も見ていません。』 『老いて行く、老人の姿を見なかったのか。 壊苦の証となる、老の存在を見なかったのか。』『いいえ、大王よ、確かに、私は見ていました。』『老を知る事も出来、老を見る事も出来た。にもかかわらず、お前は、老を越えなかった。』 『はい、愚か故に、私は善を積みませんでした。』
「閻魔王は、彼に、第三の天使に付いて尋ねる。」 『地獄の罪人よ、おまえは、人界に於いて、私が遣わした、第三の天使を、見なかったか。』『いいえ、大王よ、私は、一度も見ていません。』『病んで行く、病人の姿を見なかったのか。行苦の証となる、病の存在を見なかったのか。』『いいえ、大王よ、確かに、私は見ていました。』『病を知る事も出来、病を見る事も出来た。にもかかわらず、お前は、病を越えなかった。』『はい、愚か故に、私は善を積みませんでした。』
「閻魔王は、彼に、第四の天使に付いて尋ねる。」『地獄の罪人よ、おまえは、人界に於いて、
私が遣わした、第四の天使を、見なかったか。』『いいえ、大王よ、私は、一度も見ていません。』『膨らみ行く、我儘な姿を見なかったのか。苦苦の証となる、我の存在を見なかったのか。』『いいえ、大王よ、確かに、私は見ていました。』 『我を知る事も出来、我を見る事も出来た。にもかかわらず、お前は、我を越えなかった。』『はい、愚か故に、私は善を積みませんでした。』
「閻魔王は、彼に、第五の天使に付いて尋ねる。」『地獄の罪人よ、おまえは、人界に於いて、
私が遣わした、第五の天使を、見なかったか。』『いいえ、大王よ、私は、一度も見ていません。』『朽ちて行く、死人の姿を見なかったのか。 皆苦の証となる、死の存在を見なかったのか。』 『いいえ、大王よ、確かに、私は見ていました。』『死を知る事も出来、死を見る事も出来た。にもかかわらず、お前は、死を越えなかった。』『はい、愚か故に、私は善を積みませんでした。』 『地獄の罪人よ、すべては、お前の咎である。
為した事が返るまで、獄を抱いて、罪を清めよ。』