十善が船の体のようなもの、六度(六波羅蜜)は船を渡すところの水夫のようなもの、なんぼよい水夫があっても,なんぼよい航海者があってもなんぼよい船衆があっても船(つまり十善戒)がなければ渡れぬ。・・だから六波羅蜜は十善の体があってしかして後、六波羅蜜がなければならぬ。これについてこれまで施のことを述べた。殺生の心を離れて施をする。邪淫の心を離れて施をする、物を掠め取る心を離れて施をする、妄語を離れて施をする、両舌を離れて施をする、悪口を離れて施をする、綺語とばかなたわけた言葉を離れて施をする、貪欲を離れて施をする、瞋恚を離れて施をする、邪見を離れて施をする、こういうように十善戒を持っておって而も布施波羅蜜を行じ、其の功徳を以て十善戒を荘厳するのである。
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