まかせておくれ、必ず救う
浄土真宗の僧侶の方の以下のような法話がありました。
1,「・・・私の祖父は、戦争のために長男を12歳で亡くしました。その悲しみを常に、親鸞聖人のみ教えに問い続けた人生でした。祖父は、長男の死を縁にいくつかの歌を残しています。『絶望の淵にありとも本願の道は変わらずひらかれてあり』・・・」
https://www.hongwanji.or.jp/mioshie/story/001216.html
2,また、このような法話もありました。ハッとさせられました。
「・・念仏は仏さまへのお願いの言葉ではないということです。私がつみ上げる行(ぎょう)でもありません。親鸞聖人は南無阿弥陀仏を『まかせておくれ。必ず救う』との阿弥陀如来からの『および声』と示されています。私を抱きとって決して離さないという仏さまのはたらきが、声として私の上にあらわれてくださるのが念仏なのです。・・」
https://www.hongwanji.or.jp/mioshie/story/001740.html
3,これらの法話は何も浄土真宗に限ったことではなく、宗教そのものの根源にある考えかたではないかと思わせられました。
『絶望の淵にありとも信仰の道は変わらずひらかれてあり』
すべての神仏は地獄の我々に『まかせておくれ、必ず救う』とおしゃっていただいているのだと思います。