今日は後柏原天皇が般若心経を写経された日
後柏原天皇は先代後土御門天皇の息。当時、応仁の乱により朝廷の財政は厳しく後土御門帝は譲位もできなかった。後土御門天皇が亡くなると、後柏原天皇が位を嗣ぐ。第104代。即位の礼もしばらくできなかったが帝は朝廷儀式復活に努められた。
そして庶民を悪疫の流行から守るため、般若心経を延暦寺と仁和寺に納められました。
この 後柏原天皇御宸翰般若心経奥書は国重要文化財です。
「宸翰英華」によるとこの奥書の内容は以下のようになっています。
「宸筆般若心経奥書(案)
頃年、小瘡流行、都鄙愁苦久円矣。之に依りて蒼生を利する為に聊か丹精を凝らし般若の真文を写し仁和の霊寺に祷る。仰ぎ願はくは三寶知見し萬民安楽乃法界平等利益。 大永五年・・月」
(後柏原天皇の時代、大永五年に疱瘡流行し都鄙大いに苦しんだ。天皇は心経を書写して仁和寺及び延暦寺に納め給ひ、悪疫の終焉を御祈請あらせられた。三條西實隆の日記によれば、同年十一月十七日天皇は實隆に宸翰の紺紙金泥の心経を拝見せしめられその後、奥書のことに関して諮らせられた。・・)
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