福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

Q,真言宗でいう「阿字本不生」とは?・・その3

2018-01-18 | 諸経

問、(先日の記事で)本不生の理あらあら承けたまはり畢りぬ。但しこの理を明らめ得たらば善悪も不二、邪正も一如なるべし。しからば善をなさずして却って悪を作るべし。何となれば自然に悪は作りやすく善は作りがたきが故なり。しかるときは本不生の理は却って悪を造る基と成るべし如何。

答、この難ことわりあるに似たれども却って理に背くなり。なんとなれば善は作難く悪は造易と云うは本不生の理を解せざるがゆえなり。若し善悪不二なる理を能く通達せば何の故あってか善を捨て悪に附かんや。又悪は自差別を性とす、善は本より平等を理とす、善悪不二といふは是平等の理なり、すでに平等の理を解知せば何ぞ善の平等を捨てて悪の差別を事とせんや。

又本有なる法は縁あるときは必ず起こる。今若し三毒を起こして悪業を造らば自心本有の三途忽然に生じて而も自其の中に入りて諸々の苦を受くべし、恐るべし。此の故に本有の理をよく解する人は少分なりとも善をば作るべし。微塵も悪をばつくるべからず。今時少許真言法を知りたりと思へる人ややもすれば悪を好み、善を嫌うは本不生の義を僻見するなり。(以上二種の邪見を挙げて本不生の実義と対弁すること了しぬ。是より本不生の実義を広説すべし。)

凡そ本不生の実義を事によって近く云はば、たとえば此に一の方木あらん、是を四の角を落とせば八角となる。猶其角を悉く落とせば円となる、方なるを角違に断せば三角となる、円くなりたるを中より断たば半月となる、方なるを細かく割りたるときは長くなる、又それを中より截てばみじかくなる、長きを竪たるときは高きなり、短きをなお段々にするときは細になる、始めの方木のままなればあらきなり、又方木のままなれば厚と云う、方木をいくつにも片ときは薄と云、かくのごとく様々にするに此の方木に四角八角円三角半月長短高下粗細厚薄の十三の形あり、しかるに智慧ある人は方木に一刀をも下さざれども心をもって思惟し十三の形を具えたりと知る(是佛の知見の如し)、愚人は裁断せざれば唯方木とのみ知る、種々に裁断したる時始めて是は八角なり、あるいは円なり是は三角なり等と見る。(これ凡夫の因縁より生ずると見る知見なり)。

密教には始めより具えたる処を示すがゆえに本不生と説く。顕教には縁を寄て顕たる処を愚人の心に随って示すがゆえに無生と説き、(未だ断割せざる時のごとし)或は因縁生と説く(断割して後の如し)。禅門の意は無生を示す、この故に南岳譲和尚は説似一物(「六祖檀経」にある話。南嶽懐譲が師慧能に「私は以前和尚(慧能)の問いに答えることができませんでしたが、その後の修行で悟るところがありました。」 「説似一物即不中(説似すれども一物として中(あた)らず、言葉を発すればもう的を外れている)」といい南嶽懐譲がその悟りを認められた話) と云ひ、二祖は覓心不可得といひ、達磨は「吾汝の為に安心しおわんぬ」といへり。(「無門関」第41則「達磨安心」の言葉、修行僧神光が達磨に「心を安心させてください」といったのに対し達磨が「心をここに出してみよ」というが神光が「心を覓むるについに不可得」といいそれに対し達磨は「汝の心を安心させてやったぞ」と答えます。)

これをみるに密教は未だ第二に落ちざる処に於いて歴々として万法具たるを極大頓機のために説く。自余の諸経は次次の下劣の機のために説示するが故に一物も無処を本来本分と示す。真言宗と諸宗との勝劣ここに明らかなり。

又次に寄りて本不生を説けばたとえば柿は本渋き味なり、然るによく熟しつれば甘くなる。病人の口には若し熟しすぎぬれば酸くなる。又甘は喉の渇を止る能あるは淡味を具したる故なり。是を智ある人は始めの渋柿に甘・苦・酸・淡の味ありと知る(本不生の知見の如し)。愚人は味変じて後にようやく知る(因縁生と見るが如し)。

また次に周易の八卦は事の未萌の時に六爻の上に於いて事の変化を知る。是始めより具したるなり。良医は未病ざる時に脈を診て病を発すべきことを知る。又夢に未萌のことを見ることあり。又草木の果実の中に微細の菌あり、これ等は皆是本有の証拠歴然たり。

若し仏智を以て見れば一切諸法皆悉く、かくのごとくなるべけれども、凡夫は無始より己来の無明(愚痴をいふなり)厚きがゆえに、唯其の一,二を知るのみにして万法に通ずることあたわざるなり。

若し此の本不生の理を決定して信知するときは自身に本来仏智を具したりと知る。又諸の作業皆仏の所作なりと解するを以て、成仏すること甚速なり。ゆえに真言の修行は一向初心より作るところの印・真言・観心の三密さながら悉く佛の所作なり。苟もこにおいて疑いを造ることなかれ、疑はしきは信なし、信あるときは能く仏法に入る、智度論に「仏法の大海は信をもって能く入る」と云へるはこの意なり。

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