福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 5/14巻の13/17

2024-08-08 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 5/14巻の13/17

十三、        比丘身を現じ頓寫したまふ事

中古越中國(富山県)安之多良(あんたら)と云處に貧乏至極の俗人ありし。常に賀加國宮の越(金沢市金石)近所に栖けり。字を足部の尹直(をさなお)とぞ申す。然るに此の人嘗てより地蔵を信じ奉りしかども宿業の果たすところ貧道にをちいりければさせる功勲は積奉らざれども内心は天晴一行三昧の行者にてぞ侍りける。時に母の三十三回に相當りけるほどに佛事を営奉らんと思ひけれども元より窮乏の習何のたくはへもなし。生平釜中に魚を躍らすありさま(「後漢書‐独行伝・范冉」に「甑中生塵范史雲、釜中生魚范莱蕪」による。 かまを久しく使わなかったので中にぼうふらがわく意から きわめて貧しいことのたとえ)詮方なし二度逢ふべき月日ならねばさていかがと忙然たるが情けなく思やう人の身に従ふものは妻子珍宝と云へり、されども妻も亦常にしたがはず子は庸(つね)に父に依るべきものなればこれぞ我を助くる財なりと案じ出してあるが、嫡子を慈悲と号し次男を救闡提と云ひ、末子を女子なりしが佛とぞ呼けり。兄は十四歳になり山寺に喝食(かっしき・禅寺で、諸僧に食事を知らせ、食事の種類や進め方を告げること。 また、その役目の名や、その役目をした有髪の少年。 のちには稚児の意)してぞ居りたり。次は十二歳になるを叔父の家に養ふ、女子は十一歳に成りけるが天質世にすぐれたり。此の三子を呼び出して近くに招き集めて云ふやう、汝等物を語らばよくきけ、凢そ孝と云は道さまざまにあれども畢竟して一也。其の一と云は父母の心に逆はずこれなり。若し親の心に違はば日々に万珍を羅(つらね)て仕ふと云へども彼面諛(面前でこびへつらう)の類にして父子の道を失ふ。孔聖の曽子に示す(孔子がその高弟曾子に「孝」を説いた内容が『孝経』)何ぞこれに外ならむ。然るに今度祖の忌にあたりたれども供佛の物なく施僧の方を覚へず。ここに於いて安からず。汝等孝心を推さば何ぞ快き事有んや、如かず汝等が身を得りて價を我に得させよ。随分三宝にほどこして過去の母を追善せんと、涙を流して断りけり。三子者由を聞きて一言にもをよばず思ひ々に身を賣りき。就中二男は父の方を忍び出て船に入り身をうらんとて出けるを叔父聞き付けて押し留めんとしければさらば買い取り給へさらずば海底に飛び入り寶珠にかえ奉らんと申せば是非なく買い取りにき。妹の佛は都に上り平相國清盛に見えて仕へ申す。佛御前これなり。三人の子の價を計るに三十餘貫(360 万円か)にぞなりぬ。これにて思ふほど作善を営まんと悦びしが何をか修せんと思念するに先ず法華経の御事は能仁出世の本(もと)八教(衆生教化の形式方法面より仏教を分けた頓、漸、秘密、不定の四種(化儀の四教)と、教理の内容面より分けた蔵、通、別、円の四種(化法の四教)の総称)過超の法なり。殊更八歳の龍女すら無垢の浄土に居し五逆の調達天王の記を得。然れば則ち読誦書写の中を僧を請じ頓寫し奉らん廿一人の僧を定めけり。廿人は既に来り給ふ、一人はいまだ来り玉はず。日已に暮れて不参の由を告ぐ、来る當所は法師の栖遠くありければ指當って請ずべき僧なし。俯仰して満足せざることを歎く所に諸国一見の僧の由を申して一宿を乞玉ふ。尹直(をさなお)喜悦して諾し件の子細を云ふて經衆の數に入りぬ。各々心を合わせ書写し玉ふが旅宿の僧は人より先に書終りぬ。坐上の老僧助筆を乞ふ。彼の僧承はるとて書きしが此れよりも彼よりも助けを乞ふを皆功を加へ經すでに終はりければ此の僧暇を乞ひて出られけるを尹直(をさなお)止め奉りければ僧を留る功徳一宿千年にあたれり。されども行くべき道を止む罪障なるべしとの玉ひて押し出し給ひぬ。尒らば御布施申さんとて一封を捧ぐ。僧の曰、諸國修行の身なれば一物たくはうる事はいらねども六度の内にも檀波羅蜜第一なり。若し布施せんとならばあれに見ゆる松原の邊に破れたる堂あり。是を修補せん其の勧進に参時を待ち玉へとて去り玉へばせめて彼の墨筆を持ち玉へとて参ければ請取て去り給ふ。尹直(をさなお)あまりに物を参らせたく思ひて早行延玉ふを跡より布施物をもたせて追つめさせてけり。・・後影少し見えければ追付奉らんと思て走りける。漸く言(ものい)ふほどに近付きければ行延たまひけり。いかさまにもと逐ひまいらするほどに件の松原之中の地蔵堂に入玉ひてげれば佛未だ蓮花座に立直り給はざりしに人とて一人もなし。こはいかに故狐(ふるきつね)の化けたるにやと立ち寄りて見れば件の墨と筆とを持ち玉へり。見聞の僧俗神通無方なる事を感信して一同に功を合せて修造の勧進を為るに勇めば彼の文王の靈臺(周の文王(推定紀元前12世紀)は、人民とともに楽しむため、自然公園である「霊囿」、水城公園である「霊沼」、展望公園である「霊台」を作った。漢・賈誼「新書」君道篇「文王の志の在るところ、意の欲するところ、百姓その死を愛(お)しまず、その労を憚らず、これに従うこと集の如し。霊台を経始し、これを経しこれを営む。庶民をこれを攻(おさ)めて日ならずしてこれを成す」)よりも速やかに日ならずして成就しけり。金石本音無し、打によりて響を出す、法身元不生、機有れば斯に應用をなす。心有る人信ずべし疑ふべからず。

引証。延命經に云、延命菩薩は或は佛身を現じ、乃至比丘比丘尼優婆塞優婆夷身を現ず、乃至種々の身を現じて六道に遊化して衆生を度脱す(仏説延命地蔵菩薩経「延命菩薩は或は佛身を現し或は菩薩身を現し或は辟支佛身を現し或は聲聞身を現し 或は梵王身を現し或は帝釈身を現し或は閻魔王身を現し或は毘沙門身を現し或は日月身を現し或は五星身を現し或は七星身を現し或は九星身を現し或は轉輪聖王身を現し或は諸小王身を現し或は長者身を現し或は居士身を現し或は宰官身を現し或は婦女身を現し 或は比丘比丘尼優婆塞優婆夷身を現し或は天龍夜叉人等身を現し 或は醫王身を現し或は薬草身を現し或は商人身を現し或は農人身を現し或は象王身を現し或は師子王身を現し或は牛王身を現し或は馬形身を現し或は大地形を表し或は山王形を現し或は大海形を現す。三界のあらゆる四生五形は變ぜざるところなし。延命菩薩は如是に法身自體遍きが故に種種身を現じ六道に遊化し衆生を度脱したまふ」)。

 

 

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