「まだ悪の果報が熟していないうちは、
悪人でも幸せに巡り合うことがある。
しかし悪の果報が熟したときには、
悪人はわざわいに巡り合うことになる。
まだ善の果報が熟していないうちは、
善人でもわざわいに巡り合うことがある。
しかし善の果報が熟したときには
善人は幸せに巡り合うことになる。
その果報は自分にはこないだろうと考えて、
悪を軽く見てはならない。
水が一滴ずつ落ちても水瓶は満たされる。
愚か者が一滴の水を集めるように
悪を少しずつ行なうならば、
やがてわざわいに満たされる。
その果報は自分にはこないだろうと考えて、
善を軽く見てはならない。
水が一滴ずつ落ちても水瓶は満たされる。
心がけのよい人は、一滴の水を集めるように少しずつ善を行えば、
やがて福徳に満たされる。
(『法句経』第一一九-一二二偈)