憧れの老僧の描写・・5
漱石「門」では円覚寺の釈宗演が漱石に対しても容赦なく鉄槌を下す姿が生き生きと描写されています。
「山門の通りをほぼ一丁ほど奥へ来ると、左側に蓮池があった。寒い時分だから池の中はただ薄濁りに淀よどんでいるだけで、少しも清浄な趣はなかったが、向側に見える高い石の崖外まで、縁に欄干のある座敷が突き出しているところが、文人画にでもありそうな風致を添えた。
「あすこが老師の住んでいられる所です」と宜道は比較的新らしいその建物を指ゆびさした。二人は蓮池の前を通り越して、五六級の石段を上のぼって、その正面にある大きな伽藍(円覚寺)の屋根を仰あおいだまま直すぐ左りへ切れた。玄関へ差しかかった時、宜道は「ちょっと失礼します」と云って、自分だけ裏口の方へ回ったが、やがて奥から出て来て、「さあどうぞ」と案内をして、老師(釈宗演)のいる所へ伴つれて行った。
老師というのは五十格好に見えた。赭黒い光沢のある顔をしていた。その皮膚も筋肉もことごとく緊って、どこにも怠りのないところが、銅像のもたらす印象を、宗助の胸に彫りつけた。ただ唇があまり厚過ぎるので、そこに幾分の弛が見えた。その代り彼の眼には、普通の人間にとうてい見るべからざる一種の精彩が閃た。宗助が始めてその視線に接した時は、暗中に卒然として白刃を見る思があった。
「まあ何から入っても同じであるが」と老師は宗助に向って云った。「父母未生以前本来の面目は何だか、それを一つ考えて見たら善かろう」・・・。
宗助は敷居際に跪ひざまずいて形のごとく拝を行なった。すると座敷の中で、「一拝で宜しい」と云う会釈があった。宗助はあとを略して中へ入った。
室の中はただ薄暗い灯に照らされていた。その弱い光は、いかに大字な書物をも披見せしめぬ程度のものであった。宗助は今日までの経験に訴えて、これくらい微かすかな灯火に、夜を営む人間を憶い起す事ができなかった。その光は無論月よりも強かった。かつ月のごとく蒼白い色ではなかった。けれどももう少しで朦朧の境に沈むべき性質のものであった。
この静かな判然しない灯火の力で、宗助は自分を去る四五尺の正面に、宜道のいわゆる老師なるものを認めた。彼の顔は例によって鋳物のように動かなかった。色は銅であった。彼は全身に渋に似た柿かきに似た茶に似た色の法衣ころもを纏まとっていた。足も手も見えなかった。ただ頸から上が見えた。その頸から上が、厳粛と緊張の極度に安んじて、いつまで経っても変る恐を有せざるごとくに人を魅した。そうして頭には一本の毛もなかった。
この面前に気力なく坐すわった宗助の、口にした言葉はただ一句で尽きた。
『もっと、ぎろりとしたところを持って来なければ駄目だ』とたちまち云われた。『そのくらいな事は少し学問をしたものなら誰でも云える』
宗助は喪家の犬のごとく室中を退いた。後に鈴を振る音が烈しく響いた。」
漱石「門」では円覚寺の釈宗演が漱石に対しても容赦なく鉄槌を下す姿が生き生きと描写されています。
「山門の通りをほぼ一丁ほど奥へ来ると、左側に蓮池があった。寒い時分だから池の中はただ薄濁りに淀よどんでいるだけで、少しも清浄な趣はなかったが、向側に見える高い石の崖外まで、縁に欄干のある座敷が突き出しているところが、文人画にでもありそうな風致を添えた。
「あすこが老師の住んでいられる所です」と宜道は比較的新らしいその建物を指ゆびさした。二人は蓮池の前を通り越して、五六級の石段を上のぼって、その正面にある大きな伽藍(円覚寺)の屋根を仰あおいだまま直すぐ左りへ切れた。玄関へ差しかかった時、宜道は「ちょっと失礼します」と云って、自分だけ裏口の方へ回ったが、やがて奥から出て来て、「さあどうぞ」と案内をして、老師(釈宗演)のいる所へ伴つれて行った。
老師というのは五十格好に見えた。赭黒い光沢のある顔をしていた。その皮膚も筋肉もことごとく緊って、どこにも怠りのないところが、銅像のもたらす印象を、宗助の胸に彫りつけた。ただ唇があまり厚過ぎるので、そこに幾分の弛が見えた。その代り彼の眼には、普通の人間にとうてい見るべからざる一種の精彩が閃た。宗助が始めてその視線に接した時は、暗中に卒然として白刃を見る思があった。
「まあ何から入っても同じであるが」と老師は宗助に向って云った。「父母未生以前本来の面目は何だか、それを一つ考えて見たら善かろう」・・・。
宗助は敷居際に跪ひざまずいて形のごとく拝を行なった。すると座敷の中で、「一拝で宜しい」と云う会釈があった。宗助はあとを略して中へ入った。
室の中はただ薄暗い灯に照らされていた。その弱い光は、いかに大字な書物をも披見せしめぬ程度のものであった。宗助は今日までの経験に訴えて、これくらい微かすかな灯火に、夜を営む人間を憶い起す事ができなかった。その光は無論月よりも強かった。かつ月のごとく蒼白い色ではなかった。けれどももう少しで朦朧の境に沈むべき性質のものであった。
この静かな判然しない灯火の力で、宗助は自分を去る四五尺の正面に、宜道のいわゆる老師なるものを認めた。彼の顔は例によって鋳物のように動かなかった。色は銅であった。彼は全身に渋に似た柿かきに似た茶に似た色の法衣ころもを纏まとっていた。足も手も見えなかった。ただ頸から上が見えた。その頸から上が、厳粛と緊張の極度に安んじて、いつまで経っても変る恐を有せざるごとくに人を魅した。そうして頭には一本の毛もなかった。
この面前に気力なく坐すわった宗助の、口にした言葉はただ一句で尽きた。
『もっと、ぎろりとしたところを持って来なければ駄目だ』とたちまち云われた。『そのくらいな事は少し学問をしたものなら誰でも云える』
宗助は喪家の犬のごとく室中を退いた。後に鈴を振る音が烈しく響いた。」