福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「十善法語」その54

2019-10-24 | 十善戒
外典にも仁者は敵なしとある。(「仁者敵無し」(孟子、梁恵王章句上))。又僧傳に。或将軍漉水囊(ろくすいのう)を帯持して陣に臨む。部下の者諌て云。軍中には勇を尚び武を勵すべし。漉囊は物命を救ふ器なれば事相違せりと。将軍答ふ。今有罪反逆の者を討す。罪無き者は此を塗炭に救ふと。此仁愛に感じて敵國が馬前に降参せしとある。又佛在世。罽賓國(けいびんこく)に毒龍有て、人民を傷害す。老宿の羅漢その神力を運べども此龍を伏し得ず。其時少年の羅漢あり。一たび弾指して云。檀越此処を去るべしと。此の毒龍直に他所に遷去て此処の害止む。諸の大阿羅漢問。汝は何の徳ある故如是なるや。答ふ。我年少別徳なきは上座の知るところなり。但遮罪を護すこと性罪の如くと。(法苑珠林卷八十七にあり)。かうじゃ。謹慎篤実ということは強きものじゃ。又経中に.或時一の鳩。鷹に遂れて廊下に堕。舎利弗尊者の影の内に在ては怖れおののき、世尊の影の内に在ては安らかに住せしとある。此も舎利弗尊者は瞋恚の餘習未盡ず。世尊は無量劫来大慈大悲の薫ずる姿なる故。この差別あると云ことじゃ。(大方便佛報恩經卷第六に「佛有大慈大悲。舍利弗無大慈悲。佛習氣盡。舍利弗習氣未盡。佛三阿僧祇劫修菩薩行。舍利弗六十劫中修習苦行。以是因縁。鴿入舍利弗影猶有怖畏。入佛影中而無怖也。」とあり)。世教にも出世教にも。道に依る者の怯弱になる理はなきことじゃ。
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