「かの子と観世音」岡本一平
「・・(妻、岡本かの子(岡本太郎の母)は命日が2月18日で観音様の縁日であるくらい深い観音様の信者でした)・・かの子には何か神秘めく性質のカンをうみつけられてきたようにわたしには思われます。その一例として、忘れもしません関東大震災の時の事です。その日の午前、私たち親子三人は、滞在中の鎌倉の旅館を立ちまして、東京へ帰ろうとしていました。だが、のろ臭くさやで有名な彼女です。やれ下締めの紐が見つからないとか、帯がうまく締まらないとかいい、ぐずぐずして、とうとうお昼前になってしまいました。ではまだ少し早いけど、ついでに昼ごはんも食べてから立とうと、彼女はいいだしまして、ちょうどそれを食べ終えたとき地震でした。あとで判ったころですが、もし私たちが、前に乗ろうと定めていた電車に乗っていたら、それは藤沢駅の外れで転覆し、もしまた昼ご飯を食べずに、次の電車を待ち合わすべく鎌倉駅へ行っていたら、プラットフォームの墜落に出会っていました。時間を計ってみますのに、私たちはどっちみち惨死の運命を免れませんでした。・・・」
「・・(妻、岡本かの子(岡本太郎の母)は命日が2月18日で観音様の縁日であるくらい深い観音様の信者でした)・・かの子には何か神秘めく性質のカンをうみつけられてきたようにわたしには思われます。その一例として、忘れもしません関東大震災の時の事です。その日の午前、私たち親子三人は、滞在中の鎌倉の旅館を立ちまして、東京へ帰ろうとしていました。だが、のろ臭くさやで有名な彼女です。やれ下締めの紐が見つからないとか、帯がうまく締まらないとかいい、ぐずぐずして、とうとうお昼前になってしまいました。ではまだ少し早いけど、ついでに昼ごはんも食べてから立とうと、彼女はいいだしまして、ちょうどそれを食べ終えたとき地震でした。あとで判ったころですが、もし私たちが、前に乗ろうと定めていた電車に乗っていたら、それは藤沢駅の外れで転覆し、もしまた昼ご飯を食べずに、次の電車を待ち合わすべく鎌倉駅へ行っていたら、プラットフォームの墜落に出会っていました。時間を計ってみますのに、私たちはどっちみち惨死の運命を免れませんでした。・・・」